24 蜘蛛の子たち

   十二


「累」

 塾の入口で迎えを待っていると、雑踏の影から湧いて出たように、クロが現れた。今日も変わらず、黒のスーツを身に着けている。夜の中にすっぽり隠れてしまった彼を探し出すのは、至難の業だ。


「……におう」

「えっ?」

「あの少女の匂いだ」

「びっくりした。体臭かと」

「お前は虫臭い」

「失礼だなあ」

 クロは、くん、と空気に残った匂いを嗅ぐ。周囲をぐるりと巡らせ、彼女の消えていった方向を目で辿った。


「さっきまでいたよ、横川さん」

「こんな夜更けに? またバイトを始めたのか」

「違う。今日から彼女、この塾に入ったんだ。ついさっきまで一緒に駄弁ってた」

「一人で帰ったのか?」

「ううん。お母さんが来て、一緒に車で帰ったよ」

「なら心配無用だな。……待たせてすまなかった」

 いつもより二十分も遅い迎えに、クロが素直に謝った。


「気にしてないよ。だけどクロが遅れるなんて珍しい。何かあったの?」

「ツヅキとはるが喧嘩を始めてな」

「珍しくもないね」

「いつもなら放っておくんだが、今日は度が過ぎていたから、どうにも放っておけなかった」


 ツヅキ、はる。僕の血の繋がらない弟と妹だ。

 ツヅキは中学一年生、はるは小学六年生で、二人は少し年が離れている。……のだが、妹の方がちょっとばかり我儘であるのと、ツヅキが我が強い性格をしているのも相まって、二人はしばしば喧嘩をする。

 大抵は兄であるツヅキがしぶしぶ折れてやるのだが、それもない時は、兄妹で殴り合いになる。すると必ず、はるに軍配が上がる。言い合いにせよ殴り合いにせよ、はるの言い分が通るのだ。――別にツヅキが加減しているわけではない。単純な力関係で、妹のはるが兄のツヅキより勝っているからだ。


「はるがツヅキを糸でぐるぐる巻きにして、階段に吊るし上げる騒ぎになった」

「それは……随分とお転婆な」

「お転婆どころではない。はるは俺の言うことをまるで聞かないし。ツヅキは、俺が糸から外してやっている最中もはるを煽り続けるし。俺では二人の首根っこを掴んで止めさせるのが関の山だった。結局績(いさ)が二人を諫めて、今もおそらく宥めすかしている」

「流石は大御名の女の子だ、四つ上の兄を凌ぐとは。父さんが倒れる前に帰ろう」

 足早にクロに着いて行き、路肩に停めてあった車に乗り込む。


「二人はどうして喧嘩を?」

「なんでも、ツヅキが最近クラスメイトとばかり遊んでいて、自分と遊ばないからだとか。それではるが怒ったらしい」

「可愛らしい悩みだけど、そんな理由で吊るされちゃあ、ねぇ」

「帰ったらちゃんと二人に言ってくれ。この間も、二人の喧嘩で障子を張り替える騒ぎになったばかりだ。あまり俺の仕事を増やすな。ブラウニーじゃないんだ、家事は得意じゃない、本当に」

「分かったよ。クロに余裕がないってことがね。二人とは、ちゃんと話をしておく」



 自宅に戻ると、家の中は静かだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る