23 オミナさん

   十一


 テストの結果は散々だった。

 私は来週から、教室の最前列で講義を受けることが確定した。恥ずかしい。だがそれ以上に、「いつまでもこの席にいてたまるか」という反抗心に燃えていた。次こそは、最前列から脱してやるのだ。

 塾が終わり、塾の玄関先で大御名くんと駄弁っていると、義母の迎えがやって来た。私は大御名くんと別れ、すぐそこにつけていた車の後部座席に乗り込む。温かい車は、すぐに発進して帰路についた。


「塾どうだった?」

「雰囲気良かったよ。塾長も面白い人だった」

「良かった。ねえレイ、さっきの男の子は誰? 随分親しそうだったけど」

「学校の友達。……言っておくけど、彼氏とかじゃないから」

 真っ暗な窓の外に向けていた視線をバックミラーに移すと、義母が図星を突かれたように眉を跳ねさせた。


「可愛い男の子だったね」

「身長が低いからじゃない?」

「名前はなんていうの」

「大御名累くん」

「オーミナ? 珍しい名字ね。……あれ、オオミナ?」

 義母は首をひねる。


「オオミナって、『大』きいに、御者の『御』に、名前の『名』?」

「そうだけど」

 見事名字を言い当てた義母に、私は首を傾げる。どうして分かったのだろう。

「へええ、偶然ねえ。私が昔住んでた町の近くに、大御名っていう旧家があったよ」

「ふうん。だけど大御名っていう名字、そうそうないよね。もしかしたら親戚じゃない?」


「それはどうかな。その家、親類縁者のほとんどが亡くなってるのよ」

「え?」


「四年か、五年くらい前だったかな、大御名のお屋敷で火事が起こってね、古い日本家屋だったから火の回りが早くて、その時屋敷にいた人達は皆、逃げ遅れて亡くなったんだって。火事が起こった日っていうのはちょうどお正月で、各地から分家の人たちも集まっていたらしいのよ。幼い子供たちを連れて散歩に出かけていたご当主と、その子たちだけは難を逃れたらしいけど。そのご当主も、火柱の上がる屋敷に奥さんを助けに入ろうとして、後遺症が残って動けなくなったんだって。――うちの実家の母親が、わざわざそう連絡してきたわ」

 ドキリ、と心臓が脈打った。

 生き残ったのは、当主と幼い子供たち……。四年前と言えば、大御名は十一歳かそこらだ。幼いとは言えない。だが、かなり小柄なので、「幼く」は見えただろう。そういえば大御名は、血の繋がらない弟と妹がいると言っていた。――もしかして……。


「どうかした?」

「……ううん、何でもない。きっと、同じ名前なだけだよ」

「そうよねぇ。私もそうだと思うわ。……あ、この話で思い出した。うち、田舎だったんだけど、面白い話が結構あってね――『オミナさん』っていうお化けの話とか」

 バックミラーで、義母が得意げにこちらに視線を寄越す。


「蜘蛛を殺すと『オミナさん』が夜な夜なやってきて、良いご縁を切ってしまう、だから蜘蛛は殺しちゃいけない……っていうお話。ようは蜘蛛は益虫だから殺すなっていう教訓。うちの地元の子供たちは、さんざんこの話で脅されて育ってきたものよ。全然関係ないところで『夜更かししてるとオミナさんが来るぞ』って」


「オミナさん?」

「そう。うちの田舎、女郎蜘蛛がたくさんいたの。『女郎』に『花』って書いて『おみなえし』って読むでしょ? だからそれでオミナさんなんだと思う。田舎もなかなか面白いでしょ。他にも変な話とか風習とか、色々あったよ」

「オミナさんは蜘蛛なんだ」

「絵があった訳じゃないけど、蜘蛛を殺すと出て来るっていうのと、オミナさんっていう名前から、何となく女の蜘蛛のお化けなんだろうなっていう共通の認識はあったわね。だけど、きっとそれだけじゃないと思うのよ。あの辺りは昔から大御名家が治めていたから、『大御名』と『オミナ』をかけていたんじゃないかな。」


 鷹子さんの話が、妙に現実味を帯びて感じられた。

 大御名は言っていた、自分は縁が視えるのだ、と。

 縁を視る、大御名の名字を持つ少年。火事を生き残った大御名の幼い子供たち。縁を切るオミナ――大御名とよく似た音の名前を持つお化け。


 ……ううん、これ以上はやめよう。その先に思い至ってしまったら、もう、大御名と会えなくなる気がした。それは、嫌だ。

 今の私にとって重要なのは、彼が私の大切な友人であるということ。そして塾のテストの点数が史上稀な出来だったということだ。今は余計なことに気を割いている余裕はない。勉強して、学生としての時間を取り戻さなければ。

 たとえ大御名が「そう」だったとして、私と彼との交友関係には関係のない話だ。彼が私に救いの糸を垂らしてくれたことに変わりはないのだから。私がすべきことは、ただ二つ。彼が垂らしてくれた糸を無駄にしないこと。そして、蜘蛛を殺さないようにすること。


「……はあ、なんだか、分からなくなってきた」

「何が?」

「人間関係」

「そりゃそうだわね。いつまで経っても分からないわよ」

「鷹子さんも?」

「そりゃそうよ。つい最近まで、それで思い悩んでたくらいだしね」

「それはどうも。真にすいませんでした」

「お互い様ね」

 義母がカカと笑う。こういう気持ちの良いところだけは、好きかもしれない。


 あの日、大御名と別れて久々に家に帰った私を、義母は何も言わずにただ「おかえり」と言って迎えた。父はまだ帰ってきていなかった。居間では、癇癪をおこした妹がエンエンと泣いていた。

 「ケーキを食べたいって駄々こねてるの」と困ったように言う義母に、私は、意を決してこう言った

「ずっと言っておきたかったんだけど。私、貴方をお母さんとは呼べない。私のお母さんは、一人だけだから」

 鷹子さんはきょとんとしたが、すぐに、口元をニヤッとさせてこう返したのだった。

「私もそうよ、貴方を自分の子供とは思えない。私のことをどう呼んで良いか考えあぐねているんだったら、鷹子で良い。だから私にも、一緒に生活する家族として、貴方のことを遠慮なくレイって呼ばせてほしい」

 そう言う鷹子さんは、ホッとした顔をしていた。私もきっと、同じ表情をしていたと思う。


 お互いの腹をちょっと明かしたことで、お互いが少し見えた。建前のままでは、いつまでも水が濁ったままで、互いの姿は見えなかっただろうから。――私達はようやく、お互いの取るべき距離を掴み始めたのだ。

 ――この人の場合、はっきりしすぎるきらいがあるんだけどね。

 はっきりしているところが美点であり、悪いところでもある。人間、良い塩梅にはいかないものだ。

 ミラー越しに、鷹子さんの目元が見える。車の中は、ほどよい暖房が利いていて、心地よかった。安心感に、気持ちが緩む。

 ――こんな穏やかな気持ちになれたの、久しぶり。……それも、アイツのお陰なんだよね。


「……ねえ鷹子さん。オミナさんに、好物はあるの?」

 そう聞いた私に、鷹子さんはミラー越しに、不思議そうに首を傾げたのだった。







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