15 ギァンカナッハ

「お前、何だ」

 突然現れたクロを警戒するように、男は顔を引き攣らせる。クロの腕にわずかに食い込んだ剣を退き、半歩後退した。

「そう言うお前は自分を妖精王だと豪語しているようだが。随分大きく出たな、ギァンカナッハ」

 クロはまるで嫌な臭いを嗅いだ時のように、心底不機嫌そうな表情を浮かべた。

「ギァンカナッハ……やっぱり、本物の妖精王じゃなかったのか」

 ギァンカナッハ、ガンコナーとも言う。その名は「愛を囁く者」を意味する。人気のない谷間に現れ、若い人間の女性を口説く、美しい男の妖精だという。

 ただ女性を口説くだけなら、なんとも愉快な妖精だが、ガンコナーはそんな可愛い妖精ではない。

 「ガンコナーに口説かれた女は、やがて自分の経帷子(死装束)を織る」とされ、言い寄られた女性は、ガンコナーを忘れられず、そのうち恋煩いによって死んでしまうのだ。つまり、自分に想いを寄せる女性から精気を吸い取る、恐ろしい妖精である。

「何故私がギァンカナッハだと……」

「お前個人は知らない。だがギァンカナッハは大体みな似たような姿をしている。金髪に、黒目がちの瞳……いかにも人間の女が好きそうな、軟派なナリだ」

「……ん?」

 僕は首を傾げる。クロは普段から皮肉っぽくて、口が悪い男だが、ここまで積極的に毒を吐くのも珍しい。言葉の棘も、普段より悪意が増しているような気がする。

「大方お前も、明治の頃に入ってきたくちだろう。この国はアニミズムが浸透しているから、異形が入り込みやすい。最近だとデュラハンなんかが首無しライダーとして都市伝説になっているぐらいだ」

「あれデュラハンだったんだ」

 首無しライダーは、一九八〇年頃に生まれた都市伝説だ。とある暴走族の男が、道路に張られていたピアノ線に引っ掛かり首を失い(どうしてピアノ線が張られていたのかは謎だが)、頭部を失ったまま走り続けている、という話である。……まさかその正体が、イギリスからの舶来者であったとは。

「異形が入り込みやすい風土だが、妖精が暮らしていくには厳しい環境だ。この国は閉鎖的だし、まして妖精との付き合い方など知らない。旅行で来る分には良い国なんだが、住まうとしたらこの国の人間は、郷に従わない者に対して冷酷だ。『村八分』なんて言葉もある。どうやら、お前とこの国とでは相性が悪かったらしい。こんなところに追いやられているくらいだ」

 ガンコナーは、女性を惚れさせて生気を奪う妖精だ。その特性上、彼らは女性に話しかける必要がある。

 しかし、その性質は、この国の国民性とは合わなかっただろう。

 現代日本でも、突然外国人に話しかけられたら、驚く人は多いのではないか。

 日本人の大半は日本語の中で暮らしているので、突発的な英語に緊張してしまう。それに彼らは距離感が近くてフランクだから、パーソナルスペースの違いにも戸惑ってしまう。加えて西洋男性ともなれば、日本人の平均身長よりも上背の高い人が多い。

 英語に堪能であったり、普段から外国人と接する機会のある人間であれば何の障害もないが、そうでなければ、程度の差はあれちょっとドキリとするのではないか。

 それが明治や大正であれば、より顕著だったろう。まして明治以降は、江戸時代とは違い、貞操観念が厳しくなっていく時代でもある。

 貞操観念が厳しくなっていった時代。そして、外国の人間に対する耐性がなかった時代。そんな時代で「人気のない場所で話しかけてくる異邦の男」となれば、恐怖の対象でしかなかっただろう。ガンコナーに魅了されるより前に、女性の方が、そそくさと立ち去ってしまったに違いない。

「口説き妖精の様式美に沿った『神出鬼没の妖精』なんて、やめてしまえば良かったのにな。……ああ、それはプライドが許さないか。だが、よそ者に厳しくても、一度懐に抱けば案外優しいところのある風土だぞ、ここは」

「……」

「まあどうでも良いんだそんなことは。一番の問題は、プライドを先行させて、本質的な誇りをなくしたことだ。まさか女の代わりに、怪異や浮遊霊を食らうとは。今どきの口説き妖精は、人間以外の女も口説くのか?」

「怪異……もしかして、これは」

 ぐるりと辺りを見渡せば、元が何だったのかよく分からない肉片たちがゆらゆらと揺れていた。

「ほとんどが弱い怪異や浮遊霊だ。猫や鳥なんかも混じっているみたいだな。人間もいる。……分量からして、二体くらいか」

「二人……? そういえば昔、ノバラ公園で女の子が行方不明になったと聞いたことがある。たしか二人。もしかして……」

 引っ越してくる前、この地域のことを調べた。地方紙を遡り、この町でかつてあった事件を洗いざらい全て。

 その中にあった事件だ。ノバラ公園周囲で、二一年前と、九年前、それぞれ少女が行方不明になっている。二一年前の事件は高校生、九年前の事件は小学校の高学年だった。

「そうだろう」

「そんな……」

 行方不明の二人が、この中――数多吊るされた肉の中にいる。世間的には、未だ生死不明とされている二人が。

 できることなら、連れ帰ってやりたい。彼女たちの家族が、きっと待っている。

 生きているなら早く会いたい、死んでいるなら早く帰ってきてほしいと。彼らはきっと、そう思っているはずだ。

「お前、もしかして同郷か」

 ギァンカナッハの言葉に、クロは不機嫌な顔を、さらに深くさせた。顔をしかめすぎて、怒った犬のように鼻の頭に皺が寄っている。

「ギァンカナッハが嫌いなんだね」

「前々から気取った妖精だと鼻についていた」

「綺麗な妖精だもんね」

「そんな馬鹿みたいな理由じゃない」

 言葉尻に焦りがある。図星だったらしい。

 ギァンカナッハは、美しい妖精だ。

 金色の髪に、黒目がちの瞳。その声は背筋が震えるほど甘い。女性の心を奪うための、美しい容姿。同じ男でも、羨望の眼差しを向けずにはいられない。

 華やかな口説き妖精に対して、クロはと言うとかなり地味な姿をしている。髪は真っ黒だし、目は鉄錆のような赤褐色だ。

 ――うーん、見苦しい。

 男の嫉妬ほど見苦しいものは無い、と言う。たしかにこれは少々……いやかなり見苦しい。

「口ぶりからして、お前も妖精か」

「何言ってる。俺はただの一般イギリス人だ」

「人間の気配がしない。黒髪の妖精といえば……ギリードゥーか?」

「そんなにお優しく見えるのか? 俺が? そりゃ光栄なことで」

 ギリードゥーは「黒い若者」という意味の黒髪の妖精だ。心優しい妖精で、森に迷った少女を助けた伝説がある。ただとても警戒心の強い妖精なので、人里に近づいてくることはない。なので、詳しい伝説はほとんど残っていない。

 クロの口ぶりからして、彼はギリードゥーと遇ったことがあるようだ。文献にほとんど残されていない妖精の正体には、かなり興味がある。今度詳しく話を聞いてみよう。教えてくれるかは彼の気分次第だけれど。

 そのようなことを考えている間に、クロの機嫌はさらに降下していく。

 ああ、怒っている。とても憤慨している。ギァンカナッハが、自分の正体を当てられないことに腹を立てている。

 クロの気持ちは分からなくはない。自分は相手を認知しているのに、相手が自分のことを微塵も認知していないのは、確かに思う所があるだろう。それがひどく気に食わない相手であればなおのこと。まるで、自分だけが彼を意識していて、肝心の相手は、こちらに微塵も鼻を引っ掛けていないようだものね。――実際そうなのだけど。……彼は、それが尋常でないくらい面白くないのだ。

 理解できるが、人はそれを「逆恨み」と言うのだ。

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