14 オルフェオ王の受難
「生身の人間の解体は久々だ」
一縷の望みをかけて「擽り大会」なんてのも候補に挙げていたが、その可能性は男の言葉で霧散した。
「血抜きしないと後片付けが大変じゃないの」
「血抜きをしない方が楽しいだろう」
「悪趣味だなぁ……妖精って皆そういうものなの?」
何とか時間を稼ごうと、悪態を吐いて会話を引き出そうとする。その裏で、脳は回路が焼ききれそうなほどめまぐるしく思考を回転させていた。どうすればこの状況を、打破できるか。
どうしよう。どうしたら良いだろう。
考える、必死で。この絶体絶命の状況を抜け出す、打開策を。
――無理では?
いくら考えた所で、自分に有利な結論は出てこず。気付けば、忙しなく回っていると思っていたはずの思考は、止まっていた。
どう思考を巡らせても結論は一つだけ。――自分は「成す術もなく死ぬのだ」と。言い換えれば、詰み、というやつだ。
男の美しい顔が、加虐的に歪んでいる。
それを見て、少しでも時間を稼ごうという魂胆は、あえなく潰えたことが分かった。
――ああ、死ぬな。
頭の中に描き出される未来予想は、鮮明だ。
男が、スラリと剣を振り上げ、僕の眼前をわざと振り切った。これから殺す相手を、驚かせるために。――意地が悪い。目と鼻の先で、ぎらりと錆びた銀色が鈍く光る。あれこそ、これから自分を殺す凶器だ。僕を殺傷至らしめる死因だ。それなのにどうしてか……恐怖より、安堵と困惑が勝っていた。
僕は、人のために死ねただろうか? ちょっとばかし頑張りが足りなかったんじゃないか?
事件はまだ解決していないし、横川さんだって絶体絶命のままだ。このままだと、彼女は死んでしまう。こんな半端な結末ではあまりにもお粗末だ。
そう考えると、ちょっと腹立たしい気持ちが湧いてきた。嘘だ。かなり腹立たしくなってきた。
――僕が死ぬには、まだ、頑張りが足りない。
弟たちだって成人させてないし、父だって看取っていない。人助けだって、僕の犯した犯罪を相殺するには、到底足りていない。せめて、僕が殺した人間の数だけ、人を救わなければ。それで地獄行きを免れるはずもないけれど。
もしかしたら、これこそが、自分に与えられた罰なのだろうか。受け入れがたい最期を与えられることこそが。ようやく、先ほど自分が感じた安堵の意味を理解した。
じゃあせめて、こと切れるまで、与えられる痛みを見続けよう。僕を殺すものを、その瞬間まで見届けよう。決して逃げることは許されないのだ。瞬きすら許可しない。――そうして僕は、小さな反撃として、こと切れる直前に、この舌を噛み切ってやるのだ。
決して閉ざさぬよう、目を見開く。
ひらけた視界の隅に、少女の姿が入った。
――……横川さん。
彼女は、昏々と眠り続けている。
これだけ騒いでも目を覚まさないのは、それほど衰弱しているのか、それとも魔法か何かで眠らされているからなのか。心なしか、彼女の顔色は、放課後に見た時よりもさらに青い。胸が上下していなければ、死んでいるみたいだ。
結局、自分では助けられなかったな。悪戯な時間稼ぎくらいしか、僕は、彼女に価値を残せなかった。
彼女への心残りを前に、ホッと息を吐く。眠っていてくれてよかった。知っている顔が惨殺される姿を見せずに済んで。
「横川さん、ごめん」
僕が死んだと知ったら、きっと悲しむだろうな。そう思って、聞こえない彼女に謝罪した。
ポツリと零した呟きを合図に、ブン、と剣が振り下ろされる。
銀色の刃が、僕の腹を目掛けて――。
「累」
突然、視界が真っ黒に染まった。
横合いから現れたそれは、僕の目の前に立ちふさがり、振り下ろされた刃を、腕で受け切ったのだった。
黒い肩越しに真っ白な顔が振り返り、血のように真っ赤な目が、冷えた温度で僕を見下ろした。
「時間稼ぎはどうした」
「クロ……!」
ぱっと顔に期待を浮かべて呼びかけるも、返された表情は、呆れ一色だった。
「言い訳をどうぞ?」
「時間稼ぎはした」
そもそも、妖精に見つかる予定はなかった。横川さんの居場所の見当が付いたらクロと合流し、クロが陽動をしている間に彼女を助ける算段だったのだから。もっと言えば、本当は、僕が建物に侵入する手はずでもなかったのだけど……。クロを待っていては間に合わない気がして、先に潜入した。その結果が、これだ。
「稼ぎが足りなかったみたいだが」
「横川さんが危ないと思ったから先行したんだ。結果捕まったけど、最善は尽くした。それでも駄目だったなら、仕方ないじゃないか」
「累」
怒気を含んだ声音に、胃が腹の底に落ち込むような心地になる。
「……ごめんなさい」
素直に謝ると、クロは「皮算用もほどほどにしろ」と吐き捨てた。まったくもってその通りなので、言い返す言葉もない。全身全霊で反省を表していると――ふと、彼が何かに気付いたように僕の頭上の床に目を留めた。そこには、僕が落としたネックレスが落ちている。彼は僕とネックレスを交互に見比べると、何か言いたそうな目をしたが、やっぱりやめたらしく、無言でネックレスを拾い上げ自分の胸ポケットに仕舞った。ハァ、とため息をつきながら宙ぶらりんになった僕を雑に裏返し、後ろ手に結ばれた縄をブチリと引きちぎった。だけど、肉吊りに引っ掛かけられたままの足はそのままだ。――足の縄は……? 期待を込めた目を彼に送るが、クロは知らんぷりして、くるりと踵を返した。
足の縄は自分で解けということらしい。だけどナイフもないのに、固結びされた縄を素手で解けるはずもない。
早々に足の縄を解くことを諦め、大人しく吊られたままでいることにした。自分の行動の浅はかさを反省するのには、丁度いい。
ブラリと、自由になった手を頭の横で垂らし、反省の意思を示す。
それを見て、クロが満足げな表情を見せた。どうやらこれが正解だったらしい。
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