13 妖精の正体、その考察

   七


 妖精、と聞いて、何を思い浮かべるだろう。

 蝶々や蜻蛉の翅の生えた美しい小人だろうか? それともキラキラと瞬く光の粒だろうか。それとも、地下の宝石を守る小さな老人だろうか。

 様々に思い浮かべるかもしれないが、それらも間違いなく「妖精」という大きなカテゴリーのうちの一部だ。

 妖精の中には、きらびやかなイメージとはかけ離れた血なまぐさいものもいる。

 例えば、オールド・ブラッディ・ボーンズや、エッヘ・ウーシュカ。前者は血みどろの恐ろしい妖精だし、後者に関しては人を水に引き込んで八つ裂きにしてしまう恐ろしい怪物である。お馴染みのエレフやピクシーとともに、前述のものも含めて全て「妖精」だ。

 つまり僕が今言いたいことは、妖精とはキラキラとしたメルヘンの存在であるとは限らない、ということだ。

 なんて悪趣味なんだろう……それが、建物に入った最初の感想だった。

 あれはシャンデリアのつもりなのだろうか? 元は一体何の生物だったのか分からない、無残にちぎれた死体が、あちらこちらにぶら下げられている。所々に薄い毛が生えているので、人間ではなさそうだ。もう少しじっくり検分すれば、何の生き物か分かったかもしれないが、そこまで僕の心臓は厚くない。

 見ていられなくて、思わず目を背けた。が、背けた先にも、柱に巻き付けられた何かの臓物が目に入った。長さからして、何かの動物の消化管のようだが……。

 こみ上げそうになる吐き気を逃がすために、他のことに意識を向ける。

 この建物、外から見た時は小さな教会に見えたが、中に入ると、外観よりも明らかに広かった。建物に入る時に妙な感覚があったので、もしかすると、この建物全体に「魔法」でも掛かっているのかもしれない。

 魔法。大いに夢があるではないか。

 いつか思いを馳せた魔法使いの世界を思わせる――のだが、辺りにちらばる凄惨な光景のせいで、心躍らせることはできなかった。

 それに、心躍らせることができない理由が、もう一つ。

 今僕は、両脇を衛士に固められている。そう。勇んで侵入したは良いけれど、あっさり見つかり、あっけなく捕まってしまったのです。手がかり探しに侵入した建物が、相手の本丸だとは思わなかったから……そう言い訳をさせてほしい。

 いや問題はそこじゃなく、その「衛士」そのものが問題なのだ。

 横川さんは、美しい騎士だと言っていた。……が、これのどこが一体美しいのか。そう思いながら、もう一度、腹を決めてちらりと衛士の顔を覗く。

 覗いた顔に、生気はない。

 眼窩にはまった眼球が、コロリとこちらを向く。だが焦点は合わず、そこに意思のようなものは感じられなかった。

 まるで蝋で固められた人形のようだ。時おり物陰からちらりと見える使用人たちも、やはり兵士と同じように、生気のない顔をしている。

 ――これじゃあ妖精の国というより、死者の国と言う方が当たっているかも。

 妖精の正体について様々な説があるが、その中に「地獄に落ちるには善良だが、天国に上るにはあまりにも悪い者の魂」というものがある。天国にも地獄にも行くことのできない死者のことだ。

 今回に限ってはその説が正しいように思う。では、その王ということは、死者の王ということだろうか?

 けれど、それでは矛盾する。この国で死者の王と言えば、一柱しかいない。その一柱は、決して妖精ではないし、そもそも男神ではない。今も千引の岩の向こうから、人に死を与える現役の女王だ。彼女が、果たしてよそ者の死者の王を寛容に迎え入れるだろうか?

 ガクンッ

 突然衛士の歩みが止められ、僕はつんのめり、危うく躓きそうになる。皮肉にも、両脇の死人がしっかりと支えてくれていたおかげで、どうにか踏みとどまった。

 辿り着いた先は、大きな広間だった。

 中世の映画にあるような謁見の間。広間の奥に数段の段差があり、その上に立派な玉座が鎮座している。ただ、どこもかしこも残酷な装飾が施されているので、地獄にでも来た気分だ。

 蝋燭のほのかな光に照らされた玉座には、くすんだ金髪の男が気だるげに身体を預けている。こった意匠の服を身に着けており、どうやらあれが「王さま」らしい。

 それよりも僕の目を惹いたのは、男の傍ら――床に倒れ込んだ女生徒だった。

 死んでいるのかとドキリとしたが、静かに上下する肩が、彼女の生存を伝えてくれた。

 生きている……。そうほっとするのもつかの間、玉座の男からぞっとするほど冷たい声が掛けられた。

「何だ、お前は」

「……僕は、楽器弾きです。王さまに音楽を献上いたしたく参上いたしました」

 もしも捕まった時のために、とあらかじめセリフを考えておいて良かった。

 ここで僕が演じるのは、オルフェオ王だ。妖精王に音楽を献上し、その褒美を――大切な人を取り返すという褒美を得る役割だ。

 僕の申し出に、青年は怪訝に片眉を跳ねさせた。逡巡し、やがて「聴かせてみせろ」と高圧的に、こちらを試すように告げた。

「ありがたく、光栄に預かります」

 脇に抱えていた荷物を下ろし、ポリエステルの袋を解く。チャックを下ろすと、竜の鱗を思わせる木肌が顔を覗かせた。

 箏だ。学校の琴部から勝手に拝借した。

 日頃から生活態度を正していて良かった。おかげで、職員室に鍵を借りに行っても、何一つ疑われることはなかった。

 今日の僕は運が良い。今日は琴部の活動がなかったし、筝を部室から持ち出す際に誰にも見咎められることもなかった。やはり日頃の行いの賜物だろう。

 テン、トンと、弦を弾いて、柱の位置を滑らせ音を調整する。

 音を合わせたら、僕は鞄から男物の浴衣を取り出し――もちろんそれも僕のものではなく演劇部の部室から拝借したものだが、それを学生服の上から簡単に身に着けた。ただの雰囲気づくりのためだ。

 筝は、幼いころに祖母から習ったものだ。

 彼女は地元で有名な箏奏者で、地域の市民センターの「お琴クラブ」で定期的に教鞭をとっていた。

 祖母が部屋を空けている時に、こっそり彼女の箏を弾いているのが見つかって、それがきっかけで祖母から箏を習い始めた。普段は優しい人だが、習い事に関しては厳しい人で、一音でも外したり、適当な演奏をすることがあれば、横合いから竹の棒が飛んできて、腿をぴしゃりと打ち据えられた。腿が真っ赤に腫れ上がっては、よく居候にからかわれたものだ。

 そんな彼女は、人前で筝を演奏する時、必ず身ぎれいにしていた。

 普段からきちんと整った格好をしていたが、たとえ個人の前での演奏であれ、子供たちに対する演奏であれ、美しく格好を整えたものだ。

 上手であれ下手であれ、他人を楽しませるために一芸を披露するなら妥協してはいけない、美しい装いも芸のうちの一つだ……というのが、彼女の口癖だった。

 そんなわけで、正直、筝にはあまり良い記憶がない。だが祖母がいなくなってからは、ちょっと気安いものになった。今でも腿を叩かれる痛みを思い出すが、ふと思いついては爪弾くほどの愛着はある。

 最後に弾いたのは随分前だ。一日弾かなければ、取り戻すのに三日かかると言うので、果たして全盛期……祖母が存命の頃までの腕を取り戻すには、一体何百日必要になるのやら。

 そんな腕で、竪琴の名手であるオルフェオの役を演じるなんて、正気を疑われるだろう。僕自身もそう思う。まして、オルフェオの元となったオルフェウスは、一説には芸術神アポロンの息子とされているのだから。芸術神から受け継いだ竪琴の才能が如何ほどだったか、冥王の同情を引き出した逸話が物語っている。

 神の子に迫る演奏なんて出来っこない。しかも練習をさぼっていたのだから、なおのこと。だがそんなことを言っていられる状況ではない。

 手のひら全体が、緊張で湿っている。それを服で拭って、震える指を弦にかける。

 ポォン

 広い空間に、筝の音色が渡っていく。だがそれは、響くことなく、空間に溶けて、消える。

 ここには、音がぶつかるものが無い。だから、音がただただ渡っていく。音に手ごたえがない。

 霧散する音に、歯噛みした。

 それでも、始めたからには弾き続けなければならない。どうにか冷静な思考を保ち、弦を弾き続ける。

 一曲を無事に弾き終える、二曲も同様に。しかし、三曲を弾き終え、四曲目を弾き始めようとしたところで、「もう良い」と冷たい声が飛んできた。

 広い空間で、勢い余った最初の一音が、短く消える。

 恨みがましい余韻が、遠くの通路で響いていた。

「何か、リクエストでも……」

「無い」

「そうですか」

「お前の名前を聞いていなかったな。何という?」

 妖精に名前を問われても、正直に答えてはならない。もし答えてしまったら、名前をたどって、探しに来るからだ。探し当てられるとどうなるか、それは、横川さんが証明している。

「……ネモと」

 答えると、目の前の男は、喉を鳴らして笑った――底冷えするような表情を浮かべて。

 しまった、と思っても後の祭りだ。

「お前は妖精との付き合い方を多少知っているらしい。そうだ、私たちに名を明かしてはならない。私たちは、私たちに無礼を働いた人間を探し出し、必ず報復するからだ。いや、賢い、かしこい」

 男がするりと、玉座を立つ。

「無知なこの国の人間にしてはよくやった。だが少々機転が足りなかったな。使い古された『名無し』などではなく、それらしい偽りの名前を喋れば良かったのに」

 逃げようと思って後ずさった時のこと、ガシャンと、重量のあるものにぶつかった。

 振り向けば、そこには死人の騎士が立っている。虚ろな目が、ぐるんと一回転しながら僕に向けられた。

「年恰好がこの娘とちょうど同じほどだから、もしや恋人か? この娘を助けに来たか。残念だったな。お前には褒美の代わりに罰をやろう。不快な音を奏でた罰と、私を欺こうとした罰だ。刑罰は、そうだな……縛り首では生ぬるい。八つ裂きなんてどうだろう?」

 逃げ出す間もなく、左右から身体を拘束され、地面に引き倒される。

 まともに受け身をとることも許されず、床に顔面を強打し、口内にじわりと血の味が広がった。血の味だ、なんて見当違いなことを考えている間に、あっという間に手足を縛り上げられ、体が浮き上がる。

 ゴツン

 宙づりに持ち上げられた拍子に、頭を強く床にぶつけ、つかの間意識が飛ぶ。気付いた時には、自分の体は肉吊り用の鉤針に括りつけられていた。

 玉座の男が、衛士からひったくった剣を見せびらかしながら、こちらに近づいてくる。掲げられた剣には尋常でない錆が浮いていた。

 赤い錆びは、そのものが血のように見えてくる。

 もしかすると――僕は周囲のシャンデリアを見回した。あの錆びは、これらのシャンデリアを作った際にできたものではないのか? 物騒な想像は、しかし、それが真実に思えてくる。

 肉吊りフックにぶら下げられた自分と、それを見てニタニタと笑う刃物を持った男。どう考えても、血なまぐさい未来しか予想できない。

「あ……」

 僕の頭上にあたる位置、つまり僕の直下の床に、小さな銀色が光っていた。僕のお守りの、小さなネックレスだ。

 サッと自分の顔から血の気が失せるのを感じた。

「生身の人間の解体は久々だ」

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