4 芥子のような夢に浸る

   四


 数日が過ぎ、その間、私の中である心境の変化があった。

 日が経つにつれて、私の中で、あの夢への渇望が増しているのだ。

 夢に縋るなどどうかしている。そう理性で罵りつつも、どうにかしてもう一度あの夢を見れないかという欲望が躍起になっている。

 毎夜、強く念じながら就寝したが、結局、夢を見ることはできなかった。「また来い」と言っておきながら、これでは行けないじゃないか、そんな怒りが湧いてきた頃、また、客引きのバイトの日が来た。

 仮眠を取ってから行かなければ、と思い、まずはお決まりの図書館に行ったが、その日は運悪く図書委員会が開かれていたため、私は、またあの公園で仮眠をとることにした。

 するとどうだろう、私はようやく、あの夢を見ることに成功したのだった。どうやらあの公園で眠ることが、私と夢を紐づける条件になっているらしい。

 夢に入り、一種の感動と達成感に浸り、ぼんやりと草原を見渡していると、間もなく、どこからかあの男が現れた。

「やっぱり、また来たね」

 妖精は私を見ると、前と変わらぬ様子で優しく笑った。

 彼は美味しそうなお菓子を用意して待っていてくれた。せっかく用意してもらったお菓子だが、なんだか不思議な臭いがしたので、原材料を訊くと、なんと、大麦やどんぐり・きのこや虫で作られているらしい。夢といえど、流石に虫のクッキーに手を付けることは出来なかった。妖精たちは悲しそうな顔をしたが、丁重に辞退させていただいた。


 こうして夢の見方が分かってからは、ほとんど毎日、あの公園に足を運ぶようになった。夢に浸り、そこで散々愚痴を言って、気が済めば夢から覚める。それが私の、日々のストレスの発散法となった。

 数日前の自分に、何と言い訳をするべきか。「夢は自分を守ってくれない」と自ら夢を拒んでおいて、辛くなったらやはり空想に頼ってしまう、自分の心の弱さを。

 守ってくれないことは重々承知しているけれど、夢の中でなら好き放題に愚痴を言える。ただその一点においてのみ、私はこの夢を重宝しているに過ぎない――そう自分に言い訳をしている。別に、夢の住人たちが私の訪れを歓迎してくれることや、彼らの容姿が美しいことは、この話題には関係ない。決して、関係ないのだ。

 私自身、この現状を情けなく思っていないわけではない。結局のところ私は、現実に気の置けない友人がいないということで。寂しい奴だと、つくづく痛感する。

 だが、これも仕方がないこと。小学校から友人をやっている友達も、親友と呼べる仲良しの友達も、彼女たちとは「家族の在り方」というある種の「宗教」が決定的に異なるのだから。

 家族観というものは、生まれた瞬間から今日この日まで延々と各ご家庭で植えつけられるものなので、家庭ごとにその価値観は異なる。家族単位の宗教、と言っても過言ではない。そしてその宗教観において、私と彼女たちとでは、あまりに溝が深すぎるため、永久に分かり合うことはできない。こればかりはどうしようもないので、諦めるしかない。

 無理に分からせようだなんて、思わない。それをすれば宗教戦争もとい家族観戦争に発展しかねないからだ。それにより何が起こるかというと、そう、友情の崩壊――つまり宿題を見せてもらえなくなるのだ。バイトのお陰でめっきり勉強が苦手になってしまった私としては、それは非常に困る事態だ。

 ――小学校の頃は、通信簿は全教科「大変よくできる」だったし、中学生の頃もかなり成績良かったのにな。

 義母がやって来るまでは、授業は比較的真面目に聞いているタイプだった。なのでさほど勉強しなくても、そこそこの成績を修めていたのだが、義母がやって来てからというもの、勉強に身が入らず、今に至っては夜のバイトのせいで授業中はだいたい居眠りをしてしまい、成績は下がる一方だ。「本当はもっと出来るのに」という強がりと、「これも全て義母のせい」という責任転嫁に勤しんでは、行き場のない怒りを募らせる日々。

 今日は珍しく、シフト調整の関係でバイトがない。

 私はホームルームを終えると途端に帰り支度を始めた。もちろん、あの公園に行くためだ。

 不意にコホコホと痰の絡んだ咳が出る。

 ここ数日、どうも喉の調子が良くない。理由は明白、公園などで仮眠を取っているからだ。いくらもうすぐ夏といえど、吹く風はまだ冷たい。そんな中で眠っていれば、風邪の一つや二つひくだろう。

 それでも私は、今日もあの場所へ行く。

 いそいそと机の中の荷物をまとめていると、ふらりと、一人の男子生徒が私の傍らにやって来た。


「横川さん」

 声をかけて来たのは、私が散々関わらないようにしてきた相手――大御名累おおみなかさねだった。

「……なに?」

 牽制するつもりで、私は彼をじろりと睨みつける。気弱そうな彼なら、それで大人しく退散してくれると踏んだからだ。しかし私の読みは完全に外れることになる。

「この後、図書室で朗読会があるんだけど、もし良かったら、来てくれないかな」

 私の牽制などどこ吹く風だ。大御名は、私の鋭い目などまるで気付いていないように、普段の調子で、優しくも情けない顔をしてそう言ったのだった。

 てっきりバイトのことで何か言われるのではないかと身構えていた私は、彼の言葉に拍子抜けする。それでもまだ「もしかしたら」という疑いが抜けきれず、更にきゅっと眉間を寄せた。

「もし良かったらって、良いわけないでしょ」

「そうかな」

「はぁ……心臓に剛毛でも生えてるの? 何で私に声掛けるのよ」

「他の人たちにも声をかけたんだけど、皆、用事があるって断られて」

「だからって、どうして私? 私がわざわざ大御名くんのこと避けてるの、貴方も分かってるよね」

「分かってるけど、このままじゃ誰も来てくれないし。流石に、誰も来ないのは悲しいから」

 しゅんと落ち込んだ姿に、多少の同情を抱いた時のこと、ふと、ある違和感に気が付いた。


 ――大御名って、読み聞かせの担当だったっけ?

 黒板の横の掲示板には、朗読会の開催を知らせるプリントが貼られている。今日を含めて数日間、図書委員がオススメの本を読み聞かせする予定になっており、各日ごとの読み聞かせ担当者の名前がそこに書かれていた。

 ついこの間、暇が募って、何の気なしに掲示板を眺めた時に、図書委員会の朗読会のお知らせにも目を通した。しかしその時、プリントには大御名の名前は書かれていなかったように思う。「大御名の名前がないなんて珍しいなぁ」なんて思った記憶があるので、確かだ。

「大御名くん、朗読会のメンバーじゃなかったよね?」

「うん。転校生だから、流石にいきなり委員会のイベントを任せたりはしない……っていう話だったんだけど、今日の担当の子が急に用事が入っちゃったみたいでね。僕がその代役を任されたんだ」

「……それ、本当は誰がやる予定だったの」

 大御名が答えたのは、隣のクラスの図書委員の名前だ。

 ふうん、と相槌を打ちながら、本来朗読するはずだった人物を思い浮かべ――私はため息を吐いた。その生徒はあまり真面目ではない。きっと、土壇場になってから急に面倒になったので、大御名に役目を押し付けたのだろう。

「押し付けられたんだ?」

 率直に言うと、大御名は眉を下げて、困り顔でへらっと笑う。「そんなことはない」と言わないあたり、今回ばかりは彼も迷惑しているらしい。

「ようは私に、桜として来いってことでしょ」

「やっぱり、迷惑だよね」

「べつに。……気が向いたら行ってあげる」

 今日はバイトがないし、用事があるとしたら、あの公園に立ち寄るだけ。それは朗読会を聞き終えた後でも良い。

 大御名には大きな弱みを握られているので、ここで一つ、恩を売っておくのも良いだろう――という打算ももちろんあったが、仕事を押し付けられた気弱な彼への憐みもあった。

 「気が向いたら」なんて気障なセリフを吐いたのは、別に、意地悪をするつもりだったわけではない。「行く」と即答するのは、なんだか、格好悪い気がしたのだ。

 

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