合図

可燃性

合図

 部屋にはほとんど何もない。白黒でまとめられた部屋の中で最も存在感を放つのはキングサイズのベッド。零雨れいうが後ろ手に部屋の扉を閉め、ついで鍵を閉めた音を確認し絹夜きぬやは今まさに己が食われんとしていることを悟っていた。

 顔は普段と同じ。口元は緩やかに弧を描き、笑っているような表情だ。しかしその瞳の奥に宿る炎をさすがの絹夜と言えどわからぬほど清純ではなかった。

 もとよりこの身に歯形をつけたのは眼前の獣である。内側を暴き、知らぬ快感を教え込んだのも彼だ。


「――絹夜」


 普段は『きぬさやちゃん』なんて愛でるように呼ぶ彼の口から零れる、激情を堪えた自分の名前。――それは合図だった。

 零雨はゆっくりと手を掲げる。その手には真っ黒な革の手袋がされていた。いつ何時も外さぬ手袋は、唯一この時だけ解放される。ほかならぬ、絹夜によって。

 掲げた手は何も握るためでも繋ぐためでもない。絹夜の長い前髪に隠れた瞳が窺うように動く。零雨は一層笑みを深めて言った。


「脱がせてくれるかな」


 疑問符もつかない淡々とした言葉。絹夜は言われた通り、口を開き指先を咥えた。その内に包まれた身を噛まぬよう、細心の注意を払いながら、革の感触を歯で感じつつ、絹夜は顎を引いた。

 零雨の骨ばった手にぴったりと密着している手袋はかなり強く引っ張らないと脱がせることができない。絹夜は眉間に皺を寄せつつ、懸命に引いた。それは飼い犬が飼い主にじゃれ合う振りをして甘噛みするような――それでいて離れていかないで、と希うように。

 たっぷりの時間をかけてようやっと掌が現れる。絹夜にとっては綺麗な掌だが、零雨にとっては汚らわしいものだという。かつての過去がべったりとこびりついているのだ、と彼は語っていた。


「お前は良い子だね。俺の指を噛まず、手袋を破ることもなく、きちんと脱がしてくれた」


 絹夜は手袋を噛んだまま視線を落とした。

 するりと頬を撫でる掌から、じんわりと体温を感じる。


「でもね、まだ残っているよ?」


 ね? 絹夜?

 ひらひらと未だ手袋に包まれた手を誘うように振る。


「……ん」


 絹夜は再び口を開けて、教え通りに手袋を咥えた。すると獣は恍惚に言うのだ。


「――本当に、お前は良い子だ」


 良い子には、ご褒美をやらなくちゃ。

 続いて言われたその言葉に、腹の奥が妙に熱くなるのを絹夜は感じていた。

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合図 可燃性 @nekotea_tsk

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