第3話 絵描きと家族

 こうしてフェリコの新しい生活がスタートした。しかし、その道のりは順調ではなかった。


 まず第一に、戦争という題材に対して、フェリコの知識と情報量が圧倒的に不足していた。この戦争の主な戦場は敵国であるモント国内であり、フェリコにとって戦闘は身近なものではなかった。町中で兵士を見かけることはあっても、彼らが戦っている姿も、本物の戦車も、実際には目にしたことがなかった。


 資料として報道写真をもらってはいたが、写真では色や空気感までは分からない。そのためフェリコは、エストラに聞き取りを行ったり、ラジオを借りて戦争報道を聞いたりして、少しでも戦争への理解を深めようと努めた。それでも最後は自分自身の想像力に頼らざるを得なかった。


 とは言え、こうした苦労はある程度予想できていた。意外にも大変だったのが、


「ねーねーおにいちゃん、サチもお絵描きできたよ!」


「んー? よかったねー」


「ね~え! ちゃんとみて!」


 サチの相手をしながら作業を行うことだった。


 これまでは、フェリコは日中マーケットに出かけ、客引きをしながら絵を描いてきた。しかし、実際に客を相手にしている時間はそう長くなく、フェリコは多くの時間を制作に集中することができていた。


 そのスタイルが、制作の場が移ったことで崩れた。


 サチは、フェリコがどれだけ仕事に没頭していようとお構いなしに話し掛けてきた。フェリコとしても、なるべくそれに応じてやりたいと思うのだが、


「ねーねーおにいちゃん、みてー! まどにゆびでお絵描きしたのー」

「ねーねーおにいちゃん、おなかすいたー。パン食べていい?」

「ねーねーおにいちゃん、みてみて! ゆきふってきたよ!」

「ねーねーおにいちゃん、ゆきおいしくなかった~」

「ねーねーおにいちゃん、きいてる?」

「ねーねーおにいちゃん」

「ねーねー」

「ねー」


 こうまで頻繁だと閉口する。これでは仕事が進まない。これまでは一日中ひとりにさせても大丈夫だったはずなのに、どうして今はこんなに構ってくるのだろう。


 しかも、サチはさらにフェリコの頭を悩ませた。


「ねーおにいちゃん、どうしてくらい色の絵ばっかり描くようになっちゃったの? おにいちゃんの絵、なんでみんなこわいかおしてるの?」


 こんなふうに、フェリコの仕事について、核心を突く質問を投げかけてきたのだった。


「うるさいな、そういう仕事なんだよ」


 サチの問いかけに、フェリコはそう答えるしかなかった。フェリコ自身、この仕事の意義を計りかねているのだ。


 フェリコが絵を描いていても、平和が訪れる様子はない。むしろ状況はいっそう悪化しているように見える。


 だがもうフェリコは、このことについて深く考えないことにしていた。考える必要なんてないほどに、つぎつぎと仕事は降ってくる。自分が描いた絵がどんなふうに飾られて、どんな人々の目に届いているのか、確かめに行く暇もないほどだ。


 でも、エストラが言うには、どの絵も好評だということだ。ならそれでいいではないか。それに、なによりこうして――


「ね~え! こっちにもっとあかるい色の絵の具があるじゃない!」


 いつの間にかサチは、棚の中から絵の具の小瓶を取り出していた。フェリコは思わず声を荒らげる。


「おい勝手にいじくりまわすな! その絵の具、父さんが作った特別なやつじゃないか! それに、この絵はこれでいいんだよ!」


「ふんだ」


 すると、サチはすねたようにそっぽを向いて、外へ出て行ってしまった。


「――…ったく、誰のためにやってると思ってんだ」


 ひとりになった部屋で、フェリコはそう吐き捨てた。


 ◆


「ブルポーくん、きみが考えた施策はなかなか好評のようだね。噂だと、彼の絵を見て軍に志願した若者もいるというではないか」


「恐れ入ります、長官殿」


 国の中央役場。エストラは、上官からの言葉にうやうやしく返事をする。


「国民の士気向上は喫緊の課題だ。引き続き、熱意を持って取り組みたまえ」


「承知いたしました」


 それからエストラは上官を見上げ、改まった調子で切り出した。


「長官殿、そこで提案があります。本施策の予算を倍にして複数の画家を雇い、国全体に同様の絵画を展示するのです。そうすれば、より多くの国民を戦争へと駆り立てることが可能でしょう」


「ブルポーくん?」


「はい」


「きみはいつから国家予算の金額にまで口を出せるようになったのかね」


「い、いえ……」


「いいかね、きみの仕事は、限られた予算の中でいかに最大限の成果を残すか工夫を凝らすことだ。我が国の財政状況はきみも分かっておるだろう。他にも重要な課題が山積する中で、この施策にだけ予算を割くわけにはいかんのだよ」


「長官殿、分をわきまえない発言、大変失礼いたしました」


「分かればよろしい」


 エストラは執務室を出ると、懐からハンカチを取り出した。汗をぬぐうとそれを元に戻し、それから手帳を取り出す。そこには、数人の画家の名前と、その横にばつ印が書かれていた。


 工夫はしているつもりだ。決められた予算内で、少しでも多くの国民の戦意を喚起しようと、他の画家たちにも積極的に声を掛けた。だが結果は散々だった。


 こんな金で。国の言いなりになどなるか。芸術を馬鹿にするな。


 彼らに支払える金額や現在の情勢を思えば、その反応になるのは無理もない。むしろ、引き受けてくれる少年がいたことのほうが幸運なのだ。


 だが、絵画が国民の士気向上に有効なのは間違いない。


 ここは、もうしばらくあの少年にがんばってもらうしかない。


<続>

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