第2話 絵描きと役人

「サチ! サチ! やったぞ!」


 ある日の夕方、フェリコは息を切らして小屋へと飛び込んだ。


「もう、こんな小屋とはおさらばだ! パンも毎日食べられる! 大仕事が来たんだ!」


 ◆


 話は数時間前に遡る。


 その日、フェリコはいつも通りマーケットで絵を描いていた。すると、ひとりの女性がフェリコの前で立ち止まった。背の高い、凛とした女性だった。


「あなた、いつもここで絵を描いているの?」


「はい、そうです。おひとついかがですか? お安くしますよ」


 女性はしゃがみこんで絵を見つめてから、こう言った。


「価値ある技術は安売りしない方がいいわ。それより、仕事の相談をさせてくれないかしら」


 女性はエストラ・ブルポーと名乗った。詳しい話はオフィスの方で、と言われ自動車に乗せられると、着いた先はなんと国の役場だった。彼女は政府の役人だった。


 エストラは丁寧な口調で説明を始めた。隣国の暴挙により始まったこの戦争に対し、我が国の軍は懸命に優勢を保っている。だが、敵軍の卑劣な攻撃により、戦況は泥沼化している。状況が悪化すれば国内が戦場になるおそれすらある。


 一方で、戦争の長期化は国民生活に暗い影を落とし、国民全体の戦意は低下している。ここは改めて国民の気持ちをひとつにして敵国に立ち向かう必要がある。我々はそのための強いメッセージを国民に発信しなければならない。


 しかし新聞やラジオ放送だけでは、字の読めない者やラジオを持たない者にまで思いを届けることが叶わない。


 そこで君の力を借りたい。絵であれば、誰にとっても分かりやすい形で我々の意図を伝えることも、見る者の心に訴えかけることもできる。


 君のその才能を活かし、我々の、いや国民のために絵を描いてほしい。君にならできると確信している。


「もちろん報酬は保証するわ」


 職業画家の大先生に依頼するときのような金額とはいかないのだけど、という前置きつきで提示された金額は、フェリコが今までに聞いたこともない金額だった。パンがサチと2人で何日食べられるだろう。


「どう? そんなに悪い条件じゃないでしょう?」


 もちろん、フェリコにとって充分すぎる条件だった。だが、今いちばん必要なものは他にある。


 フェリコは、報酬の金額は半分で構わないと申し出た。その代わりに要望を出した。冬の寒さに耐えられるつくりのアトリエ兼住居を提供してほしいと。


 ◆


「お願いしてみたら、暖炉つきのお家を貸してもらえることになったんだ。家賃はお給料から引かれるけど、それでも毎日パンが食べられるよ」


「すごいすごーい! おにいちゃんすごーい! ねえどんなお仕事なの?」


「あ……」


 ◆


「引っ越しまでお手伝いいただいて、本当にありがとうございます」


 数日後。エストラに手配してもらった新居にて、フェリコは丁寧に礼を言った。


「いいのよ。自動車でないと難しい距離だもの」


 エストラはそう言うと、室内をぐるりと見まわした。


「アトリエ兼住居としてはだいぶ手狭でごめんなさいね。もとは使用人の住まいだったのよ。ここしか用意できなくって」


「いえ、充分です。これまでいた小屋にくらべれば、豪邸ですよ」


 フェリコはそう答えた。実際そうなのだ。ここなら自分もサチも安心して過ごすことができる。フェリコは、ベッドの上でかわいらしい顔をして眠っている妹に目を向けた。


「妹さんには、この仕事のことはなんて伝えたの?」


 エストラは静かに尋ねた。


「ええと」フェリコは口ごもる。「国からの大事な仕事と」


「フェリコくん」エストラは、まっすぐにフェリコを見つめた。「あなたの仕事は、国民の心をひとつにして暴国に勝利し、平和をつかみとるために必要不可欠なものよ」


 エストラは、壁に立てかけられたキャンバスをそっとなでた。


「この白いキャンバスに、平和への願いを込めてちょうだい」


 その力強いまなざしに気おされるように、フェリコはただ頷くのだった。


<続>

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