お隣さんは、こちらと仲良くしたいらしい。
糸花てと
第1話
トントン、そう玄関の扉をノックする音が聴こえる。誰か来た、そう思い扉を開けてはみるけれど、誰もいない。
引っ越してから、そういった出来事をよく眼にするようになった。夫に言ってみたら、こう返事がきた。「事故物件って、やっぱそういう事あるんだね」だってさ。
今日も暑くなりそうな日差し。洗濯物がよく乾きそうで、あまり文句は言えないけれど。そんな気分の良いときに、玄関で、人が来る感じがした。その予感のあと、インターホンが鳴る。
夫が言う事故物件でよくある出来事が、また起こったに違いない。けれど、本当に人だったらどうする? その駆け引きに数秒考え、洗濯カゴの底にある靴下を一旦諦めた。
駆け足で玄関まで行き、扉を開ける。自然と溜め息が出た。またか、その思いが重なっていってるからだと思った。
トイレから慌てて出て、受話器まであと少し、そのところで電話は切れた。
間に合わなかった、それで済む出来事ではあったのに、電話の隣に置いてあるメモ帳が、ボールペンで汚れている。何か書こうとして指から滑り落ちた、その際に紙にインクが付いた、そのような汚れに見えた。
汚れていては、メモを取っても読みにくい。捲っては捨てる。インクがついていると気付いては、捲って捨てた。
ある日、夫はこう言った。
「隣、誰か越してきたのかな? 挨拶とか来てる?」
互いに仕事で、居ないときがある。夫より私のほうが部屋にいることは多い。インターホンが聴こえる、人の気配はあっても誰かに会うことは無いのだ。
溜まっていたゴミを両手に、玄関を出る。夫が言っていた内容が頭を過った。恐る恐る隣の表札を見てはみる、からっぽ、そこには何も無い。
ほろ酔いで帰宅することがある夫、何か見間違いがあったに違いない。再度両手に力を入れて、隣の前を通過しようとした時、扉一枚向こうに人がいる感じがはっきりとする。
慌てて出るような、履き物を履く感じ。もう一度、表札を見る、やはり何も無い。
目の前の扉が開いたかは解らない、ガチャリと音がして、気付けば小走りで階段を下りていた。
「ねぇ、引っ越さない? 奇妙な変な事、お互いに覚えがあるんだし」
「ポルターガイストが起きるんだったら、引っ越しを考えなくもないけどさ、危険な事、とくに無いでしょ?」
「気持ちが削れるのよ」
「安いけど綺麗で良い物件なのに」
ピアノの単音が響くみたいに、インターホンが寂しく鳴る。夫に視線を向け、「僕が出るよ」そう動いた後を、追い掛けた。
躊躇うことなく開けられた扉。でも、そこには誰も居なくて。「事故物件らしく怪奇現象、もしくは悪戯だな」怖がる私を思っての事なのか、夫は笑いながら言った。
そのすぐ後だ。扉にカタンと、手紙が投函された。夫は慌てて外に出る。戻ってくるのはわりと直ぐだった。投函された手紙を取り出し、夫は内容に眼を通す。
「お隣さん同士、関わりが出来ればと考えていたんですが、怖がらせていたようで、すみません。……部屋の番号と名前」
それを私にも見せてきた。部屋の番号は、隣。その部屋で住んでいた人が、書かれている名前の人という事なのか。
ガチャリと扉が開く音。二人で音のするほうへ、集中する。手紙に書かれている番号と同じ部屋だった、扉にサンダルが挟まれており、隙間から気配を伺えた。
「表札無いよな……、手紙、出した人?」
「もしそうだとして、内容を考えるに、良い人とは思えないんだけど」
夫は拳を握り、扉をノックした。部屋の人の足音が玄関へ来る。
「はい?」
学生の一人暮らしかもしれない、可愛らしい男の人だった。
「うちのところに不思議な手紙が来てまして、記載されている番号、ここなんですが……出されました?」
男の人は手紙を受け取り、「姉の字ですね、すみません」と言った。
がんばり屋の姉。
人と話すのが好きだったようだ。
弟さんは、部屋の片付けで、出入りをしていたらしい。それじゃあ、これまでの人の気配は……と一言で片付きそうだったところを、弟さんのひと声で砕かれた。
「でも僕、ここへ来るの結構距離あるんで、頻繁には来れないんですよ。怖がらせるようで悪いんですが、姉が、まだ居るんですね……」
玄関から直線で見えるカーテンが、ふわりと揺れた。続いて、手首に、風が当たる。人に掴まれるような感触で。
「窓、開けてます?」
「換気をしようとした所でお二人がいらっしゃったので、開けてません」
人と話すのが好きだという、女性。本当に純粋に、私たちと話したくて気配を出していたのかもしれない。
でも、
住んでいる人が居ない隣の部屋から、物音がするのは、心地がいいものではないよ。
サンダルを履いてベランダに出る。気持ちのいい日差しだ。隣から、何かが擦る音。お隣さんも、洗濯を干しにベランダに居るみたいだ。
お隣さんは、こちらと仲良くしたいらしい。 糸花てと @te4-3
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