第4話



 ◆ ◆ ◆



 スワロイヤ領は元々、フィールマンという辺境伯家が治めていた土地であったという。

 臣籍降下したケイトはその領地を譲り受ける形で、女侯爵の座に就くこととなった。

 結婚とは違うのかと問えば、未成年は結婚できないと言われ、婚約者と同棲し成人したら結婚するのかと問えば、違うという。

 女が単身で乗り込んでいくのなら、婚約関係ではないのかと首を傾げたが、どうやらそうではないらしい。

 譲り受けるということは、その土地は女侯爵の所有物ものとなったということ。フィールマン家は辺境伯という爵位を返上し、ケイトの傘下に入ったのだ。

 だからフィールマンという姓は、彼女の姓にならない。故に彼女は自身を、スワロイヤ領のケイトケイト・デル・スワロイヤと名乗るのだ。

 


 

 山道を走る為に改造された車体が、辛うじて舗装されている道を跳ねる。窓から見える景色は、まさしく渓谷と言うのに相応しい、断崖絶壁だ。雲は多いが青空の下、岩肌が銀色に輝いて見える。

 国境を越えリースギンに入り数時間。二台の改造車で向かう渓谷の中枢に、スワロイヤ領はあるらしい。

 こんな場所に街などあるのかと、少々疑念に思いつつ、改造車は迷う事なく細い道を駆けていた。

 後方を走る車に乗りながら、隣に座るベルギスを横目に見上げる。彼は窓枠に頬杖をつき、車窓の向こうを機嫌の良さそうに見つめていた。


「……やっぱり女侯爵ってのは、普通と違うのか?」

「んー?」

「あっちを運転してるのは、あのばーさんなんだろ……」


 気安い雰囲気につい声を掛ければ、ベルギスは目を瞬かせた後、肩をすくめて笑って見せる。


「初めて見ると、そりゃそう思うか。すげーだろ? スーゼア侍女長のドラテクは、領地一なんだぜ」

「は?」

「リンギスも上手いけど、マジで侍女長は別格。ここで賊に襲われたらオレたちは捕まるけど、侍女長の車は逃げ切れる」

「……」


 この領地に居る連中の常識は、自分が想像する貴族の常識とは違うらしい。それとも元々は軍部で治めていた領地というから、老齢の侍女と言えども勇ましいのだろうか。

 半眼で押し黙れば、車内は再び走行音で包まれる。

 ガタガタと揺れる車は狭く、運転席が見える小窓には、鉄格子が嵌め込まれていた。まるで罪人を輸送する車にでも乗ったかのように思え、嫌な思考を振り払い車窓に視線を戻す。


「……領民から巻き上げた金で俺を買うことに、あんたは何も思わねぇのか」


 視線は流れる景色に向けたまま、小さく呟いた。微かにこちらを向いた気配がしたが、それ以上の動きはない。

 トンネルに差し掛かり薄暗いそこ中へ入れば、窓越し、目尻を和らげこちらを見つめる男の表情があった。


「思うさ。そりゃーな。四年間、ケイト様の傍に仕えさせてもらってんだ。あんな美人で可愛くてピカイチに頭も良いお嬢さんが、こーんなクソガキに一億も出すなんて、そりゃ何も思うなって方が無理だろ」


 でも、と。彼はそこで言葉を切り、窓から視線を逸らして前方を見る。

 運転席に座るリンギスにも、会話は聞こえているだろう。けれども彼は相変わらず、何も言葉を発しない。ルームミラーを一瞥すらしない彼は、隣で肩を落とす弟とは違うようだった。


「……でも、ケイト様も、お前も、ちゃんと選択してここに居るんだろ」


 静かな声音に、一瞬、息が詰まる。

 ベルギスの言う通り、結果として一億で買われる事を選択したのは自分だ。暴力で脅された訳でも、強要された訳でもない。軍人が控えているとは言え、彼らが必要以上の接触を避けていた事は分かっている。

 逃げる隙も、突き放す隙も、多く用意されていた。それでもこうして車に乗り、領地までの道のりを揺られているのは、自分の意思決定へ従ったに他ならない。

 最終的に決断したのは自分だ。一生遊べる金を手に入れ、その為に誓約書へサインした。ケイトだけでなく、リンギスも証人として立ち会っている。


「お前は、ちゃんと自分で決めて着いてきたんだ。……そりゃ、ケイト様のやり方は、領主として褒められた物じゃねぇし、お前が怒るのもしょうがないけどさ。……でもアレックス。お前のその選択は、きっと来るにあるんだぜ」


 トンネルを抜け、微かに外気の温度が下がった気配がした。座席に沈めていた体を起こし、改めて外を見る。

 前方には渓谷の形状をうまく利用した外壁が連なり、道路の舗装も幾分かマシになった。人々の往来が増え始め、改造車の速度も徐々に緩やかになる。

 

 要塞だと、率直に思った。

 

 古来より領地全てが軍部によって収められ、多くの優秀な軍人を輩出し、王家に仕えるそこは。

 ケイト・デル・スワロイヤが治める、無機質で美しい軍事都市だった。



 ◇ ◇ ◇



 改造車が停車したのは、想像よりずっと小さな邸宅だった。タイリッカ国の男爵でも、もう少し大きな屋敷を構えているはずだ。

 二階建ての家屋は白く清潔で、青い三角屋根が印象的である。しかしこぢんまりとしつつも、よく手入れが行き届いた庭や、磨かれた調度品などが、彼女の生活の質を伺わせる。


「お帰りなさいませ」


 柔らかな茶髪を頭上で結び、柔和な笑みを浮かべた侍女が一向を出迎えた。


「ただいま、ジャンネ。先に手紙は出していたんだけど、大丈夫だった?」

「ええ。お部屋の用意はバッチリですよ」


 ジャンネと呼ばれた侍女の視線が、こちらに向けられる。そして先ほど同じ柔らかな笑みを浮かべ、優雅な動作で一礼した。


「ようこそおいでくださいました、アレックス様。二階にお部屋をご用意しております。当館を我が家と思い、どうぞお寛ぎくださいませ」

「あ、あぁ……」


 何か裏があるのではないかと思うほどの歓迎ぶりに、怪訝を通り越して僅かに表情が引き攣る。

 ケイトに買われた事は、どうやら先触れとして、屋敷の連中には伝わっているらしい。けれども侍女の瞳は、侮蔑や憐憫はなく、ただ真っ直ぐに自分の青い瞳を見つめ返した。

 居た堪れない。正直な感想はそれだ。案内された二階の部屋に行けば、豪華絢爛とは言えないが、温かみのある家具やリネンが用意され、サイドテーブルには郷土品だという菓子まで用意されている。どんな厄介者扱いを受けるかと思えば、とんだ歓迎ムードだ。

 狐に摘まれた心地で室内を観察していると、控えめにドアが叩かれる。


「お休みのところ申し訳ございません、アレックス様。どうぞ広間におでください。旦那様が面会をご希望です」

「……旦那様?」


 にこやかなジャンネに促され、部屋を後にする。

 逃走経路を確保するかの如く、無意識に周辺を見渡していれば、広間に到着したらしい。彼女が扉を引くにの合わせ、一人の男がこちらに振り返った。

 硬い髪質な髪を後ろに撫で付け、鋭利な赤い目を持つその男は、無表情に近い形相で口を引き結ぶ。

 リンギスやベルギスより質の良い軍服を身につけ、胸元の勲章の個数が多いのを見る限り、この男が元辺境伯なのだろう。

 スラックスのポケットに両手を押し込み、前に進み出れば、男は異様に伸びた背筋でこちらを見下ろした。


「来たわね、アレックス」


 男より横へ一歩離れた場所にいたケイトが、片手で男を指し示す。


「紹介するわ。彼はオスカー・フィールマン。軍部の指揮官で、わたしの父よ」

「…………っ父親!?」


 予想の斜め上をいく紹介に、思わず声を上げていた。

 二人を交互に見つめると、確かに顔の造形は似通っている。瞳の色はほぼ同じと言ってもいい。

 だが女侯爵は、元王族の第一王女のはずだ。この男が父親なのだとすれば、では彼女が持っていた地位は? 彼女の母親は? かなりややこしい問題に発展しているはずである。

 理解が追いつかない事に気がついていながら、ケイトは胡散臭く目を細めた。


「彼にはこれから、あなたの教育係をしてもらうわ」

「教育……?」

「そうよ。我がスワロイヤ領の一員になるんだもの。我が領の識字率がほぼ百パーセントなの、知ってる? あなたはその筆頭である、わたしが買ったんだもの。必要な教育を施すのは当然でしょ」


 自慢げに話す彼女の言葉に、僅かに瞠目する。

 自分が暮らしていたタイリッカ国も、ここリースギン国も、爵位を持たない平民の識字率は低迷していた。それは生活水準から鑑みるとな低さで、周辺国からは王族貴族が情報を操作している、などと言われるほどだ。

 それゆえに、この領地が他と一線を画しているのが明白である。

 ケイトは後のことをオスカーに任せると、自身は身を翻して、さっさと広間を出て行ってしまう。

 残された男は、感情の乏しい顔でこちらを見つめた後、おもむろに口を開いた。


「……君がアレックスか。ケイトから話は聞いている。これから君は、私の元で多くの事を学んでもらう」


 一方的で有無を言わさない、そんな響きのある言葉だ。舌打ちして視線をそらし、思い切りため息を吐き出す。

 どのみち買われた命だ。あの女がしろと言うのなら、拒否権などないのだろう。


「前口上はどうでもいい。教育でも隷属でも同じ事だろ。……分かんねぇな、金持ちってのは。あんたとあの女に何があるのか知らねーが、跡取りってのはそんなに大事なもんか? 領民の税金で買った薄汚ぇ男の教育なんざ、あんたも災難だな」


 吐き捨てた言葉に、返されたのは沈黙だ。臆することなく睨みあげれば、男は目を細めて微かに息を吐き出す。


「君が理解する必要は無い」

「……そうかよ」

「それから誤解しているようだが、教育を受けるか受けないかは、あくまで君の意思を尊重する」

「はぁ?」


 この状況で選択肢を開示する意図が分からない。あからさまに不可解だと表情に乗せれば、オスカーは視線をこちらの足下まで下げた。


「アレックス。君が生きたいと望むなら、相応しい力を授けよう。だが、それを嫌だと退けるなら、さっさと一億を使い切って、潔く死ぬといい」

「なっ……!」

「賢く生きるんだ、アレックス。君にはその資格がある事を、私が証明してみせよう」


 オスカーの静謐な赤の瞳が、まっすぐにこちらを見つめ直す。

 見透かされているようだと、思った。

 決意も信念も足りずに、ただ安寧を求めようとする、自分自身の奥底までも。

 

 

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