憧憬箱の販売人

蒼井どんぐり

憧憬箱の販売人

「テレビ、最新のプラズマテレビ、いらないっすかー」


 銀座前の巨大な量販店、その一回入口販売口から響く虚しい声。

 店頭から道端に声をかけるが振り向いてくれる人はいない。店舗を過ぎ去る人、横断歩道を渡る人、みんなの視線はそれぞれの目線の先に取り憑かれている。

 携帯型スマートグラスが出てきてから、人の視野はどこまでも狭くなった。

 そんな人間たちの狭い視野に、私は映らない。


「最新の映画も大きな画面で見放題ですよー」


 私は手元に高く積まれたテレビの箱に寄っかかりながら、声をあげる。

 今日もいつものように誰もがその箱には目もくれない。それはわかっているつもりだ。



 クタクタの体を引きずりながら、家のドアを開ける

 今日もオンボロの夢見る箱は売れなかった。個人的には気に入っているのに、なかなか人は手に取ってくれない。


 私はリビングにカバンを投げ込む。それと同時にソファに沈み込む。スーツを脱ぐことすら野暮ったい。

 私は手を上にあげて、指を鳴らす。


「ブン」「ビン」「ウゥン」「フォン」


 リビングに積まれた、売れ残りを引き取ったテレビ達の電源が順番につく。最新型の紙のように薄いものもあれば、アナログを気取ったかわいい箱型のものも。それが少しの時間差でテンポ良くついていく。

 これがどことなく気持ちがよく、毎日の私のお気に入りの一瞬だ。


「今日もいつも通り、映画ばかりよね」


 不恰好に大量に積まれたテレビから、最近は昔の映画ばかりが流れている。白黒映画や80年だの映画。著作権が切れた、往年の名作と呼ばれるものばかり。


 私はそれぞれのテレビに向けて指をスライドして空を切り、チャンネルを変える。ただやっているのはどれも何度も見た映画ばかり。これも見たな。


 昔はテレビに番組を配信するテレビ局というものがあったらしいが、今はもうそういったものはない。それぞれのネットワークサービスが乱立して、それぞれ好きなチャンネルを登録して、それぞれの番組を見ている。


 また、同時視聴体験というのも若者たちには人気で、各々それぞれの視界で声だけを共有して時間を共有している。

 個人でも、複数人でも共有しても楽しめる体験が出てきてから、このテレビという箱は全く需要を失った。


 その需要がないものの販売員なんて人気がない。

 そんな役を自ら志願した物好きがこの私だ。


 私はソファに寝転がり、首だけをその箱達から流れてくる光に向ける。そこにはいつものように昔の映画が流されている。

 ふとその光に目の焦点を合わせると、一つのテレビに目が止まる。

 それが心の中にどことなく残る。


 クリスマスを家族で迎える映画だった。

 家族でテーブルを囲み、食事をしている。

 特に内容のない会話を交わし、ただ笑っている。

 白黒なのに色を感じる古い映画だった。


「そういえば、うちにも古いテレビがあったっけな」


 確か、この映画は私が子供の時にも見たことがあった。今日のように何度もテレビから流れていたから、目に入っていたんだろう。


 それを見ていた私は家族に囲まれていて、確かに幸せを感じていた子供だった。同じように食卓を囲む、とても一般的な恵まれた家庭。大切に育てられたと今では自負もできる。


 ただ、子供の時、その番組を見て漠然と思ってしまったのを思い出す。


「幸せになってみたい」


 私はテレビの中のある、すでに教授していたその景色に、憧れを抱いた。すでに目の前にあった景色に、すでに手にしていた景色に、私はその時夢を見た。


 私はソファに寝転がりながら、静かに涙を流しているのを自覚する。一心不乱にテレビのチャンネルを変えていく。手が止まらない。

 そして探した先に映し出されるのは、


 週末家族でバカンスに行っている映画

 すれ違いの末結婚式をあげるカップルの映画

 目玉焼きとベーコンを焼き、朝食を並べている休日が続く映画


 さっきのクリスマス映画と同じく、至って普通の家族映画だ。


 ふと私はなぜこの箱を売っているのだろうかと考えてみる。この需要のない箱たちの販売員の募集が始まった時、声を上げて自ら志願した。もう需要なんてない時代遅れの箱を売る仕事を。


 私の目の先にある、時代遅れの夢見る箱。毎日映されるのは、私の持っていた、知らない幸せの形。


 今の私の生活。

 そこまで大変じゃない。

 そこまで不幸じゃない。

 それなりに幸せだ。

 でももっと大変になりたい。

 もっと幸福を望みたい。

 幸せを自慢したくなるぐらいに幸せでありたい。

 そう感じる。感じている。


 終わりのない闇を私は感じながら眠りについた。不安はどこにもなく、安心はどこにもない。逃げ場のない感情は心の中に溶けずに、沈澱していく。


 私は何を追っているのか。何に縋りたいのか。


 朝、今日も私は夢の箱の在庫の数を確認する。夢の箱は昨日と同じく、誰もが教授し、求めなくなったその夢たちを写し続ける。

 それを確認し、乾いてしまった心を化粧することなく、私は今日も古びた夢を売る。

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憧憬箱の販売人 蒼井どんぐり @kiyossy

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