第48話「俺の妹がこんなにバカだとは思わなかった(3)」
璃亜はスーツを着た四十代くらいのおじさんと一緒に居た。
明らかに怯えた様子で、おじさんから距離を取ろうとする璃亜。
おじさんはそんな彼女に手を伸ばし、璃亜は体を震わせながらそれを振り払った。
「璃亜!!」
俺は思わず叫び、走り出す。
それに気づき、振り返った璃亜は泣いていた。
俺を見て安心したのか、目端に溜まった涙を一気に決壊させる。
「おに、い……ちゃん?」
本能的にこちらに伸ばした手を力強く掴み、璃亜を胸元に引き寄せた。
身体を震わせた璃亜は縋るように、もう絶対離れぬようにと俺の服を掴む。
逃げるように顔を埋め、何度も俺を呼んだ。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん~~~!!」
それを見て、不機嫌そうなのは璃亜と一緒に居たおじさんだった。
「なに、君。お兄さん? いきなり乱入してきてなに? 僕が璃亜ちゃんと話してたのに」
これ見よがしに舌打ちをして、璃亜を見下すように見て言った。
「なにって、これ犯罪じゃないんですか?」
「何を言い出すかと思えば。僕たちは同意の上でここにいるんだよ? 璃亜ちゃんもRINEではノリノリな感じだったじゃん。それなのにさ、会ってからずっとグダられて」
「だってそれは……この人が急に腕を掴んできて」
「なにそれ、そうやって泣けばいいから女の子は楽でいいよね。ここまで来たってことは、そういうのもあるって分かってたってことじゃないの? その覚悟があったんじゃないの?」
璃亜は更にギュッと俺の腕を掴む。
唇を噛む彼女からは、罪悪感と恐怖心が感じられた。
今は辛うじて恐怖心が勝っている。そんな状態だろう。
おじさんはそんな璃亜の様子も気にせず、貧乏ゆすりをしながら呆れたようにまくし立てる。
貧乏ゆすりのリズムが早くなるにつれて、その論調も強いものになっていった。
「僕も暇じゃないんだよね。貴重な時間とお金を使ってここまで来てるわけ。わかるかなあ。会ってやっぱりごめんなさいとか失礼だと思わない? しかも、悪者みたいにされるし。すごく気分悪いんだけど、ねえ」
おじさんの言葉が耳に入るたび、璃亜は体を震わせる。
元々男性不信気味の璃亜だ。
初対面の男性と二人という時点で相当な無茶なのに、相手がこれではその反応も仕方ないことだろう。
俺は璃亜の頭をぽんと撫で、優しく体を引き剥がす。
「すみませんでした」
オジサンの前に立ち、そして――頭を下げた。
「なにそれ」
「軽率なことをしたと思います。妹には厳しく言い聞かせておくので、今日のところはお引き取り願えませんでしょうか」
おじさんの主張にも、やっていることにも反吐が出る。
それでも、そういう場所だと分かっていても、会うことを決めたのは璃亜だ。
璃亜が悪いだなんて言いたくもないが、璃亜にも責任があることは間違いない。
きっとおじさんにとってはこれが普通。
その世界に足を踏み入れようとしたのは璃亜。
「は? なにそれ。何もなくただ帰れって言うの? わりに合わないなあ。大人舐めてる?」
そして何より、ここで怒りのままにおじさんを責め立てたところで何も変わらないことくらい知っている。
「はい、このまま何もなくお帰りいただいて問題ありません」
俺は頭を下げたまま言った。
「やっぱ舐めてるでしょ。鼻につく言い方だなあ……!!」
「大事になって困るのはあなたの方では?」
「………………っ」
おじさんが息を呑む。
明らかに動揺しているのが伝わってくる。
そりゃそうだ。
ここでごねたところでメリットなど一つもないと、おじさんだって分かっているのだ。
「幸いまだ何かが起きる前のようですし、今回の件は最初から何もなかったものとしませんか? それがお互いに取って一番いいでしょう」
「ちっ……わかったよ。けっ、腹立つガキだ」
そう吐き捨てると、おじさんは八つ当たりで足元の空き缶を蹴り上げて去っていった。
大通りから離れた路地。
喧騒から離れたこの場に、静寂が降りる。
「あの……その、お兄ちゃん……」
璃亜はなんと声を掛けたらいいか分からぬようで、手を握って開いて、目を伏せてこちらを見てを繰り返していた。
脅威が去ったことにより、今璃亜の心中は罪悪感で満ちている。
小町先輩は慰めてやれなんて言っていたけれど、俺は璃亜を連れ戻したらまず強く叱るつもりでいた。
甘やかしてあげようなんて気は一切なかった。
璃亜はそれくらいのことをしたのだ。
でも、それでも、璃亜の不安そうな顔を見てしまえば――。
「璃亜……!!」
抱きしめる以外の選択肢がなかった。
どこへも行かないようにギュッと、もう離さぬようにと。
「お兄ちゃん……ちょっと痛いですよ」
「バカ妹! アホ! ほんと心配したんだぞ!!」
「ほんとバカですね……私。やってること全部中途半端だ」
俺のためにとか言って、俺に強く当たり始めたことを始め、絵を描かせようと画策したこと、そして、今回のこと。
ここまで来たはいいけれど、結局体が拒否反応を示してしまい、璃亜はどうすることもできなかった。
それを不幸中の幸いと言えるのかは微妙なこところだが……。
「本当に無事でよかった――っ!! バカなことすんな、このバカ!!」
「すみません……ほんとうに迷惑ばかりで、ごめんなさい」
言いたいことはたくさんある。
けれど、そんなあれやこれやは放っておいて、無事でいてくれてよかったと心からそう思う。
でも、璃亜にも非があるのは事実で……まあ、そのあたりのお説教は澪さんに任せよう。
「うぅ、ぐぅ……うぁああああああああああああああああああああああああああ――っ」
安堵か、自責の念か、俺には璃亜の気持ちを完璧に推し量ることはできないけれど…………彼女は俺の胸の中で泣いた。泣き続けた。
もうこれ以上隠すことは何もないと言わんばかりに、涙が枯れるまで泣き続けたのだった。
普段は塩対応の妹が夜な夜な枕元で「お兄ちゃんは私のことがすきになる」と洗脳してくる 十利ハレ @moon46
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