十二月のエレノア

谷地雪@悪役令嬢アンソロ発売中

十二月のエレノア


「おめでとうございます。これで今日からあなたは『魔法使い』となりました。人々のために良く働き、尽くしてください」

「はい。謹んでお受けいたします」


 練習した通りの言葉を述べて、練習した通りに礼をした。長い黒髪をさらりと靡かせて、彼女はその場を後にする。続く人たちも、皆同じように行動する。全く同じ黒のローブを纏った人間たちが列をなして蠢くさまは、傍から見たら滑稽かもしれない。

 この世界は魔法によって成り立っている。特に人々の生活を支えるインフラの仕事には、必ず魔法使いが携わっている。しかし、魔法使いの人口はそう多くない。それは何故か。

 最大の理由は、魔法使いになるための契約には代償を支払う必要があるからである。代償の内容は様々で、本人の生まれた月によって異なる。中には命に関わる物もあり、まともな神経をしていればとても受けたいものではない。しかし、逆に言えば代償さえ支払えば誰でも魔法使いになれる。出自も才能も関係ない。それ故、他の職業も選べるのに魔法使いになりたがる変わり者もいる。

 ほとんどの場合、魔法使いになる者は『それ以外には選択肢のない者』ばかりである。生活に困窮した者、親に売られた者、罪を犯した者。

 では、彼女――エレノアは、何故、魔法使いになったのか。




***




「ただいま戻りました」


 古びた扉を開けて、小さな一軒家に入る。軋む廊下を歩けば、すぐに目的の人物が目に入った。


「……戻ったか」


 答えたのは、初老の男だった。ベッドに横たえた体を起こして、エレノアと目を合わせる。歳は五十を超えたあたりだろうか。顔には深く皺が刻まれ、髪は全て白くなっていた。そのせいか一見するともっと高齢にも見えるが、声色と眼光はしっかりしている。体つきもそこそこだが、彼には決定的に普通と違うところがあった。


「無事、試験に合格し、魔法使いとなりました」

「そうか」


 エレノアの報告に、男は笑み一つ零すことはなく、短く答えるのみだった。それ以上言葉が続かないことを確認し、エレノアは黙ったまま礼をして、部屋を出た。

 男の体に生える鉱石を、厳しい目で見つめながら。




 ――魔法使いになりなさい。


 エレノアが魔法使いになった理由は、男がそう命じたから。たった、それだけだった。それだけの理由で、彼女はいずれ体から鉱石が生え、硬化し、身動きも出来ぬまま死に至る運命を受け入れた。

 男は、エレノアの養父だった。彼女は幼い頃に両親に捨てられ、飢えに耐え切れず盗みを働いたところを男に助けられた。十年前のその日から、彼女は男に逆らったことは一度もない。だから、魔法使いになることも、彼女にとっては当然のことだった。

 男は魔法使いだった。エレノアは、男から魔法を教わった。学校へは行かなかったが、男は知識が豊富で指導も上手く、魔法においても一般教養においても、エレノアが困ることはなかった。試験にも難なく合格できた。

 男がエレノアを拾った頃には既に体に鉱石が生えており、五年十年と経つ内に体はどんどん動かなくなった。今はほとんどベッドに寝たきりとなっている。男の面倒を見るには金がかかる。魔法使いは、危険な分給料が高い。これからエレノアは、男のために働き、金を稼ぎ、男の世話をして生きていくことになる。

 その未来を思い描いて、エレノアはそっと目を閉じた。




―――*春*―――



「そちらの仕事、担当未定でしたよね? 私がやります」

「それは助かるが…いいのかい? 君、まだ着任から一週間なのに、魔力負担の大きい仕事ばかり詰め込んでいるそうじゃないか。確か、十二月生まれじゃなかったか?」

「ええ。でも、問題ありません。私、魔力量は多いので」

「そうかい? まぁ、うちの部署はいつも魔法使いが足りてないからねぇ…。君がそう言うなら」


 エレノアの上司が気にかけたのには訳がある。

 十二月生まれの特性は、体から鉱石が生えること。これは、魔法を使えば使うほど進行する。個人差があるため、どれほどで鉱石が生えてくるのか、鉱石が生えだしてからどれくらいで体が硬化するのか、具体的な時期は分からない。だが、過酷な職種では一年も持たない者もいると聞く。

 魔法試験は年に一度。一年以内にエレノアが退職するような事態になった場合、新たな人員が補充されるかどうかは危うい。魔法使いはいつでも人員不足だからだ。

 上司が心配したのは、決してエレノアの体調ではない。魔法使いは、必要不可欠な存在であるにも関わらず、軽視されている。訳ありの者たちばかりなので、何かあっても訴えてくる親族もいない場合が多い。

 エレノアの養父にも、家族はいなかった。それどころか、友達も、恋人も、およそ親しいと呼べる人間を、エレノアは一度も見たことがない。幼心に聞いてはいけないと感じ、尋ねたことはない。だが、男はおそらく、ずっと孤独だったのだろう。エレノアと、同じように。


 黙々と仕事をこなして、疲弊した体を引きずってエレノアは家路についた。分かってはいたが、魔法使いの仕事は過酷だ。まず人数が少ないので一人の負担が大きい。更にエレノアは本来担当しなければいけない量より多くの仕事を自主的に行っていた。体が鉛のように重い。


 ――もしかしたら、鉱石が生えるより先に鉛の塊になってしまうかもしれないな。


 そんな風に考えて、自嘲気味に笑った。だが、家の明かりを目にして、表情を引き締める。


「ただいま戻りました」




―――*夏*―――


「エレノアくん、だいぶ仕事に慣れたみたいだね」

「ええ、おかげさまで」


 職に就いて三ヶ月。最初は慌ただしかったが、魔法を使って仕事をすることにも慣れてきた。上司とも、特に問題も起こさずにうまくやっている。同僚との諍いもない。魔法使いを快く思わない者もいるが、大抵は距離を取って遠巻きにしているだけだった。

 魔法使いは、常人とは異なる力を行使することができる。その分、問題を起こした時の罪は重いのだが、だからといってわざわざ危険な相手にちょっかいをかけてくる人間もそうそういない。別段職場の人間と仲良くしたいとも思っていないエレノアにとって、日々は穏やかに過ぎていた。


「でも君、相変わらず無茶な量の仕事こなしてるんだって? 大丈夫なの?」

「問題ありません」

「普通のお給料でも結構もらってるでしょ。そんなに、何か入り用なの?」

「家庭の事情で、少し」

「そう? まぁ、ほどほどにね」


 本気で気になるほどではないのだろう。あっさりと、上司は引き下がった。




 仕事を終えて、いつものように帰宅する。


「ただいま戻りました」

「……ああ」


 男は短く答えただけだった。迎える言葉も、ねぎらいの言葉もない。それに文句一つ言わず、エレノアは男の世話をする。

 表情一つ変えない男を寝かせて、エレノアは自室に戻った。ローブの袖を捲ると、白い肌から水晶のようなものが覗いている。


「思ったより、早かったな」


ぽつりと呟いて、エレノアはベッドに倒れこんだ。


 ――夢を見る。

 ――私の体は、動かない。動かないけれど、瞼の裏にきらきらと眩いものが見える。

 ――きらきらと。何かが、光を反射して。

 ――輝いている。




―――*秋*―――




「エレノアくん……君ねぇ」

「何か問題でも?」

「問題でも? じゃないでしょ! だから僕言ったじゃない。大丈夫なの、って。たった半年で鉱石が生えるってどういうこと!?」

「すみません、思ったよりも早く影響が出てしまって」

「だったら仕事セーブするとかすればいいじゃない! なんでいつまでも山ほど仕事してるの!」


 体を覆うローブでも、もはや隠し切れないほどに鉱石が生えてしまっていた。それでも、体はまだ動く。だから問題ないとエレノアは今まで通りに仕事をしていた。


「お金が必要なんです」

「それは聞いたけど……困るよぉ、追加人員貰えそうにないんだよ~」

「それは申し訳ありません。でも、私がやっている仕事は、どの道誰か魔法使いがやらなければならない仕事でしょう?」

「それは……そう……なんだけどさぁ」


 実際、エレノアは優秀で、エレノアがいることで成り立っている部分もある。代償によって、昼働けない者、夜働けない者もいる。少ない魔法使いでやりくりするには、できる者が請け負う今の形が効率が良いこともあり、上司も強くは言えなかった。


「僕もう帰るけど、本当にいいんだね?」

「はい、お疲れ様です」


 いつものように、エレノアは残って仕事をする。多少は申し訳なさそうにしながらも、上司はエレノアに戸締りを任せて先に職場を出た。溜息を吐いたところで、同じように帰宅するところだった部下に遭遇する。


「あれ、エレノアさんまた残ってるんですか」

「そうなんだよ。体に影響が出始めてるし、あまり無理されて早期退職されても困るんだけどねぇ」

「なんであんなに頑張るんですかね」

「お金が必要らしいけど」

「でも、いっつも残ってますよね。もしかして、家に帰りたくない事情でもあるんでしょうか」

「さぁ……。ま、魔法使いの家庭事情なんて、どこも複雑なもんだけどね」


 肩を竦めて、あまり関わりたくないとばかりに、上司は早足で帰路を急いだ。




「ただいま戻りました」


 いつものように、声をかける。男は、返事をしなかった。エレノアの方を見向きもしない。

 それでもエレノアは、いつものように男の世話をする。動かしにくくなった体を自覚しながらも、男に何か告げることはしない。

 いつものように、過ごすだけ。

 いつものように。




―――*冬*―――




「エレノアくん……。申し訳ないけど、明日から来なくていいよ」

「――……」

「自分でも、もう分かってるでしょ。魔法の補助なしに、まともに歩くこともできなくなってる。これ以上は業務に支障が出ると判断した。一年未満だけど、規定に沿って退職金も出るから。お疲れ様」

「おつかれ、さまです」


 口も動かしにくくなって、言葉を喋るのもたどたどしくなっていた。指先はまだ動くので、魔法は使える。魔法で体を動かして、エレノアは帰路についた。

 エレノアを見て、ひそひそと陰口を叩く人の声が聞こえる。エレノアの体は、もうあちこちから鉱石が飛び出していた。見ていて気持ちのいいものではない。子供の目を塞ぐ親もいた。だが、エレノアが傷つくことはない。エレノアにとっては、無関係の人間の雑音など取るに足らないことだった。




「ただいま、もどりました」


 いつものように声をかけて、エレノアは男の横に腰をかけた。


「すみません。仕事、くびになりました」


 男は返事をしない。


「さいそくきろくだそうです。呆れられました」


 普段とは違う、よく喋るエレノアに、不快を示すことも疑問を投げかけることもしない。


「でも、私にとっては、ようやくです」


 そう言って、エレノアは男の手を取った。その手は氷のように冷たく、石のように硬かった。


「ようやく、あなたと眠れます」




 ――魔法使いになりなさい。


 そう言われた時から、こうなる予感がしていた。

 何故男はエレノアを拾ったのか。何故エレノアの誕生月を知った時、動揺したのか。何故魔法使いになるように命じたのか。

 全てが、どうでもいい。


 ――エレノア。


 優しい言葉は要らない。笑ってくれなくてもいい。温かい手も必要ない。

 与えてくれた、名前が全て。


 エレノアが自分の体にかけていた魔法を解くと、糸が切れたようにベッドの上に崩れ落ちた。それでも、繋いだ手は離さなかった。


「さびしく……ない、ですよ……。ずっと、いっしょ……」


 耐え切れないように、瞼が落ちた。そしてそのまま、二度と開くことはなかった。




 やがて朝が訪れ、カーテンが開いたままの窓から陽が差し込む。

 二人分の鉱石が朝日を反射して、きらきらと光っている。

 きらきらと。

 眩いほどに。


 輝いていた。

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