私の一番愛する人

谷地雪@悪役令嬢アンソロ発売中

私の一番愛する人

「私、今度結婚するの!」


 そう言った私の顔は、きっと今まで彼女に見せた中で一番輝いていたと思う。彼女は驚いた顔をした後、ゆるゆると相好を崩して、おめでとうと言った。


 彼女――東雲沙友里しののめさゆりとは、十年来の親友だ。中学で席が近くなったことが切っ掛けで仲良くなった。私と彼女はタイプが違うので、一緒に居ることを不思議に思う友達もいる。でも、私にとっては沙友里といるのが一番心地が良かった。

 沙友里は落ち着いていて、理知的で、中学の頃から大人びていた。真っすぐな長い黒髪と切れ長な目元は、その雰囲気によく似合っていた。それは大人になった今も変わらない。

 対して私――牧野咲綾まきのさあやは、何にでも興味を持ち、直情的で、流行のものが大好きだった。髪型もしょっちゅう変えていたが、今はミルクティ色に染めて、ボブの長さで緩く巻いている。目は丸く大きい方で、彼氏はお人形みたいだと褒めてくれた。


 いつも私があれこれ捲し立ててしまうのを、沙友里はゆっくりと聞いてくれる。むかつくことがあっても、落ち込むことがあっても、沙友里と話しているとすっと落ち着くのだ。きっとそれは、私たちのタイプが全然違うから。私と同じタイプの子は、はしゃいで遊ぶ分には楽しいけど、いつも一緒にいるのはちょっと疲れてしまう。沙友里にとっても、私はそういう存在なんだと思う。だから十年もの間、親友でいられた。


 私は恋愛体質なので、彼氏が出来る度に、沙友里とはちょっとだけ疎遠になる。でも、彼氏が出来る度に毎回報告していたし、他の人にはうざがられる惚気も、沙友里には延々と話せた。だから今の彼氏のことも、沙友里には当然話してある。


 今の彼氏、秋津直人あきつなおととは半年前からの付き合いだ。バーでナンパされて出会ったのだけど、顔が好みだったのでそのまますぐに付き合った。童顔で細身、ちょっとくせっ毛で、笑うと子どもみたいで可愛い。そのくせ仕草は男っぽくて、私のツボを突いていた。付き合ってからも優しくて、茶目っ気もあって、リードも上手い。相性も良くて、色んな人と付き合ってきたけれど、この人しかいない、とまで思うようになっていた。

 そんな矢先の、プロポーズ。嬉しくて、舞い上がって、真っ先に親友に報告することにした。それが今日のお茶会の目的。


「咲綾が彼氏を直接紹介してくれたの、秋津さんが初めてだったもんね。そうなる気がしてた」

「ええー、やっぱり!? 直人とはね、長い付き合いになると思ったから! 絶対沙友里に会って欲しかったんだ~」


 にへら、と締まりのない顔をしている自覚はある。そんな私を、沙友里は穏やかに微笑んで見守った。


「沙友里には結婚式で友人代表スピーチしてもらうから! 覚悟しててね」

「ええ? 私、人前で話すの苦手なんだけどな」

「嘘ばっかり! 好きじゃないだけで、苦手じゃないでしょ。知ってるんだから」

「うーん…。咲綾の恥ずかしい過去を暴露してもいいなら引き受けようかな」

「ちょっと!」


 喫茶店の片隅で、ちょっとうるさいくらいにはしゃいでしまう。周りの目も気にならないくらいに、幸せだった。運命の人と出会って、結婚して、一番の親友に祝福してもらう。私は世界一幸せだ。


 そう、信じていた。




***




「頼む、咲綾。別れてくれ」


 言われた言葉が理解できなくて、フリーズしてしまう。全身の血が下がっていくようで、足元がふらついた。


「え、何……意味わかんない。頭あげてよ、直人」


 冗談でしょ、と笑い交じりに言っても、直人は返事もせずに目の前で土下座をしている。人って本当に土下座とかするんだ、なんてどうでもいいことを考えた。


「なんで、だって……私たち、うまくいってたじゃん。何も問題なかったじゃん。なんで、今更」

「……ごめん」

「謝るんじゃなくて、説明してよ!」

「……咲綾を、傷つけたくない」

「はぁ!? それ言うなら今十分傷ついてるよ!! 納得できる理由が当然あるんだよね!?」

「……子どもが……出来たんだ……」


 何を、言っているのだろう。だって、子どもが出来たってことは、つまり。


「浮気……してたってこと……?」

「違う!! 浮気じゃないんだ、信じてくれ!!」

「信じられるわけないでしょ!! 他に何があるって言うのよ!?」

「俺は騙されたんだ!!」

「はぁ!?」


 信じられない。激情で目が熱くなる。愛してたのに。幸せになれると思ってたのに。泣きわめいて殴ってしまいたい気持ちと、今すぐ嘘だと言って抱きしめてほしい気持ちがない交ぜになって、その場にへたり込んだ。


「……話してよ。聞くぐらいは、してあげる」




 直人は、結婚にあたって、私をよく知る人物に相談を持ち掛けた。その人物は親身に話を聞いてくれて、直人は気が緩んでしまっていた。結婚に浮かれた気分のまま酒を飲んで、気が付いたらホテルに連れ込まれていた。直人は拒もうとしたが、半ば無理やり関係を持たされてしまった。同意のない行為ではあったが、自分にも落ち度はあったとして、問題にしない代わりに二度と会わないことを相手に約束させた。

 ところがその相手が、最近になって「妊娠した」と言ってきた。認知しなければ訴えると。そんな馬鹿なことはないと言い争ったが、同意があったかどうかの証拠はどこにもない。事実としてあるのは、彼女が妊娠したという一点のみ。このまま争うにしても、認知するにしても、時間も金もかかる。周囲にも良くない目で見られ、迷惑をかける。その汚点は一生消えることがない。だから別れて欲しい。

 直人の言い分は、そういうことだった。


「何……それ……。そんなの、相手が、全部悪いだけじゃん……。直人は、全然、悪くない……」

「それでも、どんな理由があったにせよ、関係を持ってしまったことは事実だ。こんな状態で、咲綾と結婚することは出来ない」

「嫌だよ! 二人で、戦えばいいじゃん。そんな最低な女に、なんで私たちの関係まで壊されないといけないの!?」

「咲綾……」

「私大丈夫だよ、戦えるよ。二人で。だって、こういう時こそ支えあうのが夫婦なんじゃないの?」

「分かってくれ……。俺が、咲綾まで巻き込むのは耐えられないんだ」

「嫌、やだ!!」

「ごめん……」

「やだぁ……!」


 泣きじゃくる私を、直人はずっと抱きしめていてくれた。このままずっと抱きしめていて欲しい。この人を失うなんて耐えられない。運命の人だと思ったのに。誰より、何より大切だったのに。

 私の、一番だったのに。




 泣き疲れて眠ってしまい、目が覚めると直人はいなかった。電話も繋がらず、連絡が取れない。きっとこのまま、私の前から姿を消してしまうつもりなのだ。

 大丈夫だよ、直人。何も心配要らない。私が何とかしてあげる。あなたのためなら、私、何だって出来るから。

 私はスマホの連絡先から、直人ではない人物を選択して、電話をかけた。


『――もしもし?』


 相手はすぐに応じた。憎しみを押し込めて、いたって普通の声で話しかける。


「ねぇ、今日会えない?」




***




「珍しいね、こんな場所で会おうなんて」

「たまにはいいでしょ? 今日は満月が綺麗だってネットで言ってたからさ」

「確かに。夜なのに眩しいくらいだね」


 私は相手をアパートの屋上に呼びだした。何も知らない相手は、風に靡く長い黒髪を押さえて微笑んでいる。


「突然ごめんね、沙友里」


 呼びだした相手は、十年来の親友。沙友里だ。


「ううん、予定もなかったし、大丈夫。でも、どうしたの?」

「ちょっと……聞いてほしいことがあって」

「……うん」


 私の様子に何かを察したのか、沙友里が真剣な顔で向き直る。


「直人とね、別れたの」


 沙友里が息を呑んだ。それから、辛そうな顔をしてみせる。


 ――わざとらしい。


 思わず奥歯を噛みしめる。


「他の女とね、子どもが出来たんだって。だから、別れて欲しいって」

「……それは……」


 私を慰める言葉を探しているのだろうか。直人を罵る言葉を探しているのだろうか。沙友里が言い淀んでいるところへ、そのまま追撃をかます。


「沙友里だよね?」

「……え……何の話?」


 全く何のことか分からない、というようにとぼけて見せる。しらじらしい。怒りに震えそうになる声を押さえて、そのまま続ける。


「直人がね、私のことをよく知る人に結婚の相談をしたって。沙友里のことだよね」

「どうして、それだけで私だって?」

「だって私、沙友里にしか直人のこと紹介してない」


 そう言うと、沙友里は驚いた顔をして見せた。私は交友関係が広いから、きっと他にも紹介していると思っていたんだろう。でも違う。

 私は昔からもてたから。いつも彼氏が居たから。女同士のいざこざは、沙友里よりも知っている。本当に大切な人を、不用心に他の女に見せびらかしたりしない。

 睨みつけていると、沙友里は少しだけ目を伏せて、いつものように穏やかに微笑んだ。


「うん。それで?」

「…………は?」


 それで? 何を言っているのだろう、この女は。


「あ、んた……自分が何したか、分かってんの……?」

「だって、あんな男、咲綾に相応しくないよ」

「は、あ……?」

「どうせ顔だけ好きだったんでしょ? だったらさ、私があの男の子どもを産んであげるから。一緒に育てよ? きっと似るよ」


 全く意味が分からない。無茶苦茶だ。目の前にいるのは、誰だろう。十年見てきた相手が、得体の知れない化け物に見える。憎しみが、恐怖へと変わっていく。


「ね、咲綾」

「ッ寄らないで!!」


 手に、肉の感触。息が切れる。私はそのまま後ずさった。沙友里の腹部には、包丁が深々と刺さっていた。


「あんたが……悪いのよ」


 よろめく相手に、言い訳のように続ける。


「あんたさえいなければ、私は幸せだったのに……! 全部、全部めちゃくちゃにして! 親友だと思ってた……信じてたのに……ッ、地獄に落ちろ!!」


 吐き捨てて、私はその場を後にした。罪悪感はなかった。あんな女、死んで当然だ。あれなら子どもだって助からない。

 直人。直人。待ってて。元凶はいなくなった。二人でやり直そう。二人でなら、幸せになれる。


 あなたを一番、愛してる。




×××




『咲綾との結婚のことで相談したいことがあります。会えませんか?』


 メールの文面を読んで、私は顔を顰めた。以前咲綾から紹介された男、秋津直人。私はこの男が好きではない。


 親友の彼氏を悪く言いたくはないが、直感で嫌な印象を受けていた。とはいえ、何をされたわけでもない。咲綾に何か酷いことをしたわけでもない。何より、咲綾が彼のことを信じきっている。だから水を差すようなことはしたくなかった。何の確証もないのだから。

 しかし、咲綾抜きで会う気にはとてもじゃないがならない。それに、結婚の相談とは言え、親友の彼氏に内密に会うというのはどう考えても不義理だろう。


『申し訳ないですが、咲綾に黙って会うのは気が引けます。メールでなら相談にのるので、それでは駄目でしょうか?』


 そう返信すると、すぐに返事がきた。


『それなら大丈夫です。沙友里さん以外にも、同級生の方に声をかけていますので、是非ご一緒に』


 要するに、二人きりで会うわけではない、と言いたいのだろう。同級生にも声をかけているということは、結婚式のサプライズか何かでも相談したいのかもしれない。大切な親友の彼氏だ。あまり頑固に断るのも、今後のためにならないか。

 溜息を吐いて、私は了承を返した。




「――おひとりですか?」

「すみません。誘ってはいたんですけど、どうも皆さん都合が悪くなってしまったようで」


 思わず目を眇めてしまう。何を企んでいるのか、と穿ってしまうのは、私の性格が悪いのだろうか。

 しかし、来てしまったものは仕方ない。居酒屋の席につき、私は一杯だけ付き合ってすぐにお暇しようと決めた。


「何にしますか?」

「ビールで」

「はは、似合いますね」


 度数も弱くてちょうどいいと思っただけだが、どうせ可愛らしいカクテルなどは似合わない。

 頼んだドリンクはすぐに来て、乾杯をし、口をつける。


「それで、相談というのは?」

「いきなり本題ですか」

「すみません。今日はあまり時間がないので、手短に済ませていただけると」

「そうなんですか、残念です。では、ちょっと聞きたいことがあるんですけど――」




***




「――……?」


 ぼんやりと意識が浮上して、体に違和感を感じ、勢いよく起き上がる。


「ああ、起きた?」


 絶句したまま視線を向けると、秋津直人がベッドの端に座っていた。視線を走らせれば、どうもホテルの一室にいるらしい。

 状況が理解できずに、脳が混乱する。確か、居酒屋で彼の相談に乗っていたはずだ。暫くは話をしていた記憶がある。けど、その先が思い出せない。酒には決して弱くない。ビール一杯で記憶をなくしたりしない。


「何か、盛った?」


 確信を持って問いかけると、秋津はにんまりと笑った。


「まぁ、ちょーっとおクスリ的な? あそこの店員とは仲いいんだぁ」


 飲み物からは目を離さなかった。途中でトイレに立ったりもしていない。まさか最初から。己の落ち度に歯噛みする。


「何が、目的なの」

「ん~、咲綾のことなんだけどさ。あんた、俺のこと寝取ったってことにしてくれない?」

「……は?」


 何を言っているのか全く理解が出来ずに、思わず声が漏れてしまう。


「正直、結婚とか冗談じゃないんだよね~。それをあのバカ女がさぁ、話進めちゃって。でも結婚詐欺とかで訴えられたら困るし? だから揉め事はそっちでやってほしくて、とりあえず既成事実的な」

「そんな……バカな提案を、私が呑むとでも思ってるの?」

「呑むよ、あんたは。だって、咲綾のことが大事だろう?」


 にぃ、といやらしく笑う男を、思い切り睨みつける。


「あいつ俺にベタ惚れだからなぁ。あんたが俺に襲われたって言って、あいつ信じると思うか?」


 分からない。咲綾は、この男を信じ切っている。


「仮に信じたとしてさ。俺に裏切られたって分かったら、あいつ自殺でもするかもな~」


 物騒な言葉に手に力が入る。否定しきれないほど、親友はこの男を心底愛している。


「しかも、自分の婚約者が親友を襲ったなんて? 自分の責任だと思い込んだら……壊れちまうだろうな~」


 このクズは、こうやって自分だけ安全地帯へ逃げようとしている。最低の提案だ。それが分かっていても、そうなってしまうかも、と思う自分がいる。


「んじゃ、決心ついたら良さげなシナリオ考えて連絡ちょーだい」


 ベッドから立ち上がり、秋津が部屋を出ていこうとする。


「地獄に落ちろ、クソ野郎」


 その背中に、そう声をかけるのが精いっぱいだった。




***




「ッ寄らないで!!」


 じわりと、腹部に熱い感触。刺されたのか、と痺れる頭でぼんやり考えた。


「あんたが……悪いのよ」


 咲綾の声が震えている。


「あんたさえいなければ、私は幸せだったのに……! 全部、全部めちゃくちゃにして! 親友だと思ってた……信じてたのに……ッ、地獄に落ちろ!!」


 ああ、私と同じ言葉を吐き捨てている。十年も一緒に居たから、似たのかもしれない、なんて思わず笑ってしまった。

 十年も一緒にいた私より、大して一緒にいなかったあの男の方が大事だったの。信じられたの。

 そう問い詰めてしまいたい気持ちもあった。だけど、答えは分かっていた。私は親友だけど、いつだって咲綾の一番にはなれない。

 心から愛していた男に裏切られ。自分のせいで親友を傷つけたと思うくらいなら。私に裏切られた方が、まだ心の傷は浅いのではないか。

 それなら、ただの被害者でいられる。私を恨むことで、生きる気力をたもってくれるかもしれない。

 咲綾が壊れることだけは、耐えられなかった。だから、あの男の提案を呑んだ。

 包丁の持ち手を拭って、自分の手でしっかりと握り直した。万一に備えて、遺書を用意しておいて良かった。これなら、おそらく自殺として処理されるはずだ。

 咲綾はあのクズ野郎と別れて、私への復讐も果たして、きっと次へ進めるはずだ。裏切られた傷は残るかもしれないが、癒してくれる人が現れるだろう。

 懺悔をするなら、私は確かに咲綾を裏切っていた。もう随分と前から、私にとって、咲綾はただの親友ではなくなっていた。墓場まで持っていくと決めていたが、これでもう誰にも知られることはないだろう。

 さようなら、どうか幸せに。

 

 あなたを一番、愛してた。

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