第17話 「ヒーロー参上」

 千山港の奥の隅っこに、今は使われていない倉庫があった。

 近日取り壊しが決まっているせいか、ろくに清掃もしておらずかびと埃の混じった嫌な臭いが充満している。こんな場所に長時間いたらどれだけ吐いてもきりがないだろう。

「ここだ」

 あまり見たことのない、自分よりも背の高い男性。彼の冷たい言葉に流されるがままに、宇崎未亜は倉庫の中へと入っていった。

 彼とは面識はない。いや、一度だけあったが、話らしい話はろくにしたことはない。

 

 ――発端は今日の放課後。

 下校しようとした自分を突然呼びとめてきたのが、この男だった。「一緒にこなければ殺す」と半ば強制的にここまで連れてきた。逃げようと思えば逃げられたのかも知れないが、あまりにも怖かった。その点は未亜自身も情けないと痛感している。

「おい、連れてきたぞ」

 男が呼び出すと、奥からコツコツと柔らかな足音が聞こえてくる。

 しばらくすると、小柄な少女が未亜の視界に姿を現した。

「おっそーい。待ちくたびれちゃった」

 あどけない声で現れた少女は、これまた未亜と面識がある人物だった。

「あなたが、未亜さんですね?」

 一瞬ビクッと動揺する未亜。なんとか落ち着いて、コクリ、と弱い首肯をする。

「おい、コイツに用があるんだろ?」

「はい、そうです。というわけで、拝さんは帰ってもらえますか?」

「いや、俺もいる。もしこの女にも酷い目に遭わされたというのならば、たとえ女でも容赦はしない」

 拝と呼ばれた男の冷たい台詞に、未亜の奥歯は振るえが止まらなかった。彼は恐ろしい。目を見ただけで、血と喧嘩に飢えた獣を想像してしまうほどだ。

 以前、咆助と共に現れたときは優しい男だったように思えたが、今の彼からはそんな気配が微塵もなかった。

 そして目の前に現れた少女――確か珠美といったか――彼女もまた冷たい目をしていた。ただし、彼女はどこか嘲り笑うような、いうなれば自分以外の全ての人間が道化としか認識していないような、そんな目をしていた。

「あ、あの……」

 勇気を出して、未亜は声を放った。

「な、何でしょうか……。私、一体、どうして、こんな、ところに……」

 完全に声が震え上がっていた。

 暗い倉庫の中が、より未亜の恐怖心を強めていく。

「いえ、大したことじゃないんですよぉ」

 珠美が笑いながら話しかけてきた。

「ただね、ひとつ聞いておきたいことがありまして」

「聞いて、おきたいこと?」

「単刀直入に聞きます。あなた、犬飼先輩とどういうご関係なんですか?」

「い、犬飼君と……?」

 咆助との関係を何故尋ねるのか、未亜は疑問符を沸かせた。

「そうです。別に『恋人』って答えでも構いませんよ。私、そんなにヤンデレではありませんから。ていうか、そもそも犬飼先輩とか好きじゃありませんから」

 淡々と言い放つ珠美。

 未亜は驚愕した。咆助が好きになっていたほどだから、もっと素直で優しい少女だと思っていた。

 ほっそりとした小柄な身体も、柔らかそうな唇も、全てが美少女という条件を満たしている。

 しかし、未亜はこれではっきりと理解できた。彼女は悪魔だ。それも、小悪魔などという生易しい存在ではなく、心が闇に染まりきっている。

「じゃあ、どうして……」

 未亜はおそるおそる尋ねる。

「え? 別に理由なんてありませんよ。ただ、あの先輩、からかってると面白いなぁって。こないだだって彼氏を見せ付けただけであんなに落ち込んじゃって。前々から私のことを好きなの知っていたんですけど、あの時ほど面白い反応を見せたのは初めてです」

 先ほど彼女の顔を“嘲り笑うような”と表現したが、それは間違いだった。彼女は確実に“嘲り笑って”いたのだ。

「そんな、犬飼君のことを、そんな風に……」

「おい、話が違ぇじゃねぇか!」

 間から拝が怒鳴り込んだ。

「ん? 話って?」

「珠美、お前さっき、『私をストーカーしている犬飼咆助をなんとかしてほしい』って言ってただろ ! それでコイツを餌に奴をおびき寄せるって算段じゃなかったか⁉」

「ああ、あれですか?」悪気を微塵もみせることなく、彼女は笑ったままだった。「あれ、嘘です」

「んだと!?」

「ていうか、この際だからはっきりしておきます。拝さん、あなたはもうお払い箱です」

 あっさりと珠美は拝を切り捨てた。

 拝は怒りをかみ殺して、彼女を睨みつける。

「お前……」

「拝さん、イケメンだし、意外と気が利くし、付き合ってて楽しかったですよ。ちょうどいい、『自慢用の彼氏』ができて。けど、怒りっぽいというか、子どもっぽいというか、ちょっと下品すぎるんですよねぇ。だから、今日限りであなたは用済みです。お疲れ様でした」

「ッ! ざけんじゃねぇッ!」

 唸り声を響き渡らせて、拝は珠美に大喝する。

 その後は完全に条件反射だった。脚を思いっきり踏ん張らせ、拳を振り上げた後に拝は珠美へと突撃をした。

 しかし、すぐに彼の動きは止まる。いつの間にか拝は何者かによって背後から羽交い絞めされているのに気がついた。

「クッ……」

「彼氏なら、いくらでもいるんですよ」

 後ろに、自分と同年代くらいの少年がいた。

 それどころか、どこに待機していたのやら何人もの男、それもやたら柄の悪そうな連中がぞろぞろと倉庫の中にいつの間にか姿を現した。

「え、何……」

 ――クソがッ!

 珠美が先ほど彼氏と言い放った連中、彼女がどれだけの男をその魔性で虜にしたのかは分からないが、鉄パイプや金属バットを携え、真っ黒なタトゥが垣間見える連中を到底まともだとは思えない。

 拝は顔を引きつらせながら冷や汗を垂らしていた。

「え、嫌……」

 未亜も同様に男たちに手を押さえつけられていた。

 男たちの顔は邪悪に満ち溢れている。多分、奴らはこのまま淫猥な方向へと持って行こうとしているに違いない。

 拝は振りほどこうと躍起になってもがいたが、男たちの力は強すぎたのか、簡単には離れてくれそうにもなかった。

「クソ、がッ!」

 

 ――ダメ。


 ――怖い。


 ――助けて。


 見るからに強そうな拝でも敵わない相手。そんな人間を目の当たりにして、未亜は絶望的な心境に陥っていた。


 ――助けて、犬飼君。


 未亜が心の中で叫んだ、そのときだった――。

「くたばれええええぇぇぇぇッ!」

 甲高い叫び声と共に、未亜を押さえつけていた男の一人が突然倒れた。

 拝は目を丸くして、その方向を見た。

「え、おい……」

「犬飼、君――」

 背の低い少年が、息を荒げながら拳を前に突き出している。

 少年は目を吊り上げ、歯を亜食い縛っている。小柄な彼の身体から、重い覇気と熱い怒りが伝わってきた。

「あーあ、来たんですね、犬飼先輩」

「ヒーローだからな、俺は」

「そうですか。ではヒーローさん、はっきり言って目障りなんで消えてください」

「ヤロウ!」

 もう一人の男が咆助に殴りかかる。

 だが、咆助はすぐにそれを避けて、瞬時に身体に体重を掛けた。そこからバネで跳ね上がるように、男の顎下を見極めて硬い拳でアッパーを決め込む。

「ぐおッ!」

 おそらく舌でも噛んだのだろう。声にならない声を挙げてよろめいた後、男は倒れた。

「未亜ッ!」

「い、いぬかい、くん……」

 未亜はおもむろに、咆助に抱きついた。彼の身体に温もりと、そしてじんわりと湿った感触が伝わってくる。未亜の瞳に、柔らかい涙が浮かんでいた。

「大丈夫、だったか?」

 未亜はこくりと首肯する。

「てめぇら、未亜を泣かせやがって……。ぜってぇ、許してやんないからな!」

「ふん!」

 珠美は冷たい視線で合図を送り、それと同時に男たちが咆助に向かって襲い掛かってきた。

 さて、数が多すぎる。コイツら、どうしてくれようかな――。

 などと考えていたが、それは無駄なことだった。

 ――いい意味で。

「へぶほっ!」

 一人の男が海老反りになったかと思えば、数メートル背後へと綺麗に飛んで、そのまま地面へ仰向けになった。ピクリとも動かない。

「ホースケ! お助けヒロイン参上やで!」

 長いしなやかなブロンドヘアーをたなびかせ、竹刀を片手に携えたセーラー服の少女――碇 月音が、咆助にウインクを飛ばした。

「なんでお前が……」

 と聞こうとした矢先、

「ぐぅぉ!」

「げへっ!」

 取り囲んでいた男たちが二人、三人と次々に倒れこむ。

「大丈夫だったかい?」

「お助けヒーロー登場ダ」

 妖怪バカップル、もとい鯨木と寅田が拳をポキポキと唸らせながら現れた。

「お前ら、どうしてここに……」

「ヘッ、水くせぇじゃねぇか。親友よぉ」

 鮫島も現れる。その手には大事そうに美少女のフィギュアを持っていた。とりあえずそれは置いてこい、と咆助は心の中で突っ込んでおいた。

「雷野先生に聞いて来たんだよ」

「寅田サンと碇の姉さんには俺が連絡したダ」

「んでウチがすぐさまリムジンを手配してここまで来たっちゅうわけや」

 なるほど、と咆助は納得した。

「で、あんたたちどうするんだい?」

「逃げるなら今のうちダ。すぐに雷野先生も後を追ってくるダ」

「んにゃろぉぉぉッ!」

 別の男が鯨木たちの背後から襲いかかる。

 しかし二人はすぐさま振り向き、

「ダアアアアアアァッ!」

 息を合わせて、男の両頬に拳を食い込ませる。

 化け物二人分の強烈なパンチに、男は頭蓋骨が割れるか割れないかと思うほどの痛みを受け、そのまま崩れ落ちる。

「やはり、アンタとは息が合うみたいだね」

「俺たち、最高のコンビダ」

 バカップルは顔を赤くしてニヤリと笑いあった。

 一方鮫島はといえば、

「愛奈タン、よしよし、大丈夫だった?」

 手にしたフィギュアを優しく撫でていた。

 その足元には、いつの間にか男が悶絶しながら転がっている。みんなが余所見をしているうちに腹部に蹴りを入れられていた。

「チッ、おい」

 拝を押さえつけていた男が舌打ちを鳴らす。

 瞬時、拝はその手が緩んだのを見逃さなかった。

「グホッ!」

 男の胸元に、拝の肘がクリーンヒット。

 悶絶する男を見下ろしながら、拝は手を払った。

「他愛もねぇな」

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