第16話 「珠美への疑惑」
放課後。
咆助は未亜を探してなんとか一緒に帰ろうと考えていたが、図書室にも、教室にも見当たらない。電話を掛けてもつながらず、仕方がないと諦めて一人で帰ることにした。
「アイツ……」
結局のところ、咆助は今日一日、未亜とは碌に話もしていない。どうしてだか彼女のほうが咆助を避けるように、休み時間も授業中も席を外していた。咆助は少し寂しい思いをしながら、一日が過ぎ去ろうとしていた。
昇降口から校門へとぼとぼと歩いていく。生徒たちのざわめきが余計に咆助の心細さを増大させていく。改めて、未亜の存在が自分の中で大きくなっていることに気付いた。
「犬飼、咆助ッ!」
校門を出た瞬間、突然咆助は呼び止められた。
「おい、お前……」
咆助の元に、見知らぬ少年が駆け寄ってくる。いや、見知らぬわけではない。顔に絆創膏を貼ってはいるものの、昨日咆助が殴り倒した少年の片割れだった。
「てめぇ、高城に何しやがったッ!?」
突然咆助の胸倉を掴み、鋭い目つきで睨みつける。
「はぁ?」
高城、最近その名前をどこかで聞いたような気がする。
直後にあの生徒手帳に書かれていた名前を運よく思い出した。
「しらばっくれんじゃねぇ! 昨日、てめぇが高城にとどめを刺したんだろ!?」
「おい、落ち着けッ!」
咆助は少年の手を振りほどき、彼を睨み返した。
「珠美ちゃんに付きまといやがって、しかもそれで他の女とデートなんかしやがって! その挙句、高城を、あんな目に合わせやがって……」
唖然としながら、咆助はその少年をしばらく見つめていた。
「誰が、そんなこと……」
「あッ!? 高城が言ってたんだよ!」
「じゃあそれは嘘だ!」
「嘘じゃねぇ! 高城が、珠美ちゃんに頼まれたって……」
――珠美ちゃんが?
咆助は混乱しながら、呼吸を整えて気持ちを落ち着けた。
確か、例の高城という少年は野上中学校に通っていたはずだ。確かに珠美と同じ中学校だが、あの公園自体野上中学校の校区だった。
一緒でも不思議ではなかったが、まさか……。
咆助の脳裏にひとつだけ嫌な考えが浮かぶ。これだけは考えてはいけなかったが、辻褄を無理矢理合わせようとすると、それしか思いつかなかった。
「……そういうこと、か」
「オイ、何一人で分かったような顔してんだよ!? 分かるように説明しろよ!」
「とにかくお前は落ち着け」
「落ち着けねぇよ! まずお前が高城の墓前で謝れよ!」
「……アイツ死んだのか!?」
「死んでねぇし!」
「やっぱお前落ち着け!」
不毛な言い争いを一旦落ち着かせ、二人は睨みあったまま強張った顔を緩める。
「お前が俺のことを許せないのは分かる。多分、その高城って奴は珠美ちゃんのことが好きだったんだろう。だから昨日俺にあんなことをした。違うか?」
「……ああ、そうだよ」
「やっぱりな。でもいいか、俺は珠美ちゃんに何もしていない」
「……本当か?」
「まぁ、確かに俺は珠美ちゃんのことが好きだった。毎朝彼女に合わせて電車に乗っていたりしたよ」
「思いっきりストーカーじゃねぇか!」
冷静に考えてみればそうに違いなかった。が、とりあえず黙っておく。
「けど、俺はあくまで珠美ちゃんの先輩として、たまたま、偶然同じ時間に乗り合わせて、他愛もない話をしていただけだ」
「なんか言い訳臭いな……」
じっと疑うような眼差しで少年は咆助を見つめた。
「これは、俺の勘なんだが……」
ゴクリ、と二人は唾を飲み込んだ。
「その高城って奴は騙されているんだろう」
その言葉に、少年は目を見開いた。
「騙したって、まさか……」
「ああ。珠美ちゃんに、だ。俺も信じたくなかったが、な――」
信じられない、と少年は信じられない様子で黙り込んだ。
もちろん咆助も信じたくはなかった。しかし、高城という少年が珠美にそう言われている以上、騙したのは珠美以外考えられなかった。
「ふざけんな! 珠美ちゃんはなぁ、クラスでも、いや、学校内でも人気の……」
「俺だって信じたくねぇよッ!」
咆助が一喝すると、少年は萎縮する。
「けど、そうとしか考えられない……」
「でも、だったら珠美ちゃんは何でアンタを騙そうとするんだよ!?」
「多分……」
咆助は一瞬首を下げた後、再び顔を挙げた。
「アイツも誰かに騙されているんだろうな」
「誰か?」
「誰かは分からないけど、珠美ちゃんもまた誰かに騙されて、俺を嵌めようとしたんだろうな」
こればかりは完全な勘だった。しかし咆助の脳内ではその結論だけが頭に染み付いて離れなかった。
その騙した人間の存在――一人だけ心当たりがある。
珠美と一緒にいた、あのイケメン男。珠美が彼氏だと紹介した男ならば、珠美が盲目的に彼の言うことを信用しきってしまうかも知れない。何故彼が咆助を嵌めようとしたのかは不明だが。
「ふ、ふざけんなよ……」
少年の拳に徐々に力が入っていく。
「これ以上珠美ちゃんを侮辱するなあぁぁぁぁッ!」
咆助に向けて、少年の拳が飛び掛る。
だが、それが咆助に届くことはなかった。すんでのところで彼の手首が誰かに掴まれる。
「そのぐらいにしておこうか」
凛々しい女性の声が聞こえ、少年は背後を振り向いた。
咆助の担任教師、雷野沙依香が見下ろすような視線を二人に浴びせ、無言で嗜めていた。
「おい、放せ……」
「これ以上ファンクラブのマスコットキャラクターに怪我をさせられては困るのでな」
「マスコットキャラって、俺のファンクラブなのに?」
「お前はマスコットキャラも兼任してるのだよ!」
完全に意味不明だったが、突っ込むのはやめておいた。
「クソッ、教師か」
「あぁ。というわけで、貴様にはじっくりと話を聞く必要があるようだな」
「チクショウ……」
少年はたじろぎながらも、雷野に威圧されて次第に勢いが衰えていく。
黙りこんでいる少年を他所に、雷野の背後からはぞろぞろと人が現れてきた。
「犬飼君、いやホー君」
「大丈夫だった? 怪我してない?」
「ちょっと、ホー君に怪我させたらタダじゃおかないからね」
「こんクソガキャァ! 昨日はホー君をものすごい殴ったらしいのぉ!?」
女子生徒たち(一部男子生徒有り)が雷野の後ろで腕を組みながら一斉に少年を睨みつけた。
「何なの、こいつら?」
「紹介しよう。『ホー君を死ぬまで可愛がってあわよくばそういう関係になりたいの会』のメンバーだ」
「名前変わってる!? しかも長い!」
咆助は『ホー君を(以下略)』の面々をじっと眺めてみた。見たことある人間、まったく面識のない人間、ほとんどが女子だが男も数名……ざっと二十人弱ほどのメンバーがいる。
「先生、いえ会長」
「この中学生どうしましょうか?」
「ふむ……」
雷野は目を閉じて思案した。
「とりあえず彼の身柄は一旦私に預けてくれ。昨日の件も含めて事情聴取させてもらう」
「わかりました」
「あとでお相伴に預からせてください」
雷野は「ああ」と淡白な返事をした。「お相伴」という単語が気にはなったものの、それ以上にあの珠美の彼氏に対する疑惑が脳裏に貼りついて離れなかった。
「あの、犬飼君……」
メンバーの一人である少女が突然手を挙げた。
「なんだよ?」
「今言うことじゃないとは思うんだけど……」
「あん?」
咆助は睨みながら話を聞いた。
「さっき宇崎さんが知らない人と歩いているの見ちゃって……」
咆助は一瞬思考が止まった。
「ん、だとおおおおおおぉぉぉ!?」
「えっと……」
少女は戸惑いながら、咆助のほうを見た。
「おい、そいつはどんな奴だった!? 顔は!? 背は!?」
「えっと、その……」
「教えろ!」
「さ、さっき千山港のほうへ向かってたけど……」
「サンキュー!」
咆助はおもむろに駆け出した。少年の件や珠美の彼氏について気になるが、今となっては未亜のことが最優先だった。
「千山港か……」
公園までは走れば十分ほどで辿り着く。時計と睨めっこしている暇も惜しくなり、咆助の足は既に校門からだいぶ離れたところにあった。
「とうとうこの日が来たか……」
「頑張って告白してこいよ!」
「ファイトだよ!」
「宇崎に咆助を取られるのは悔しいが……応援しているぜよ!」
瞬時に咆助の足がピクリと止まった。
「ちょっと待て、何で俺が未亜に告白すること知ってんだよ!?」
考えてみれば、先ほど未亜の居所を教えてくれた少女にしたって、咆助が未亜のことを気にしていることを知らなければ普通は教えたりしないだろう。
「何でって、屋上で思いっきり言ってただろう?」
「それより前からファンクラブの皆は知ってるよ。犬飼君が、宇崎さんのことを好きだってこと」
咆助は耳元まで顔を真っ赤にして、
「おい、てめぇら! 非公認ファンクラブの癖してよくもまぁいけしゃあしゃあとそんなことが言えるな!」
「だって、ねぇ」
「私たち、咆助君のことは何だって知っていたいもん」
「ねー!」
咆助は呆気にとられて歯を食いしばる。
彼女らに構っている暇は最早なかった。とにかく咆助は公園の方面へと向けて急いで駆け出していった。
――帰ったら覚えておけよ、お前ら。
彼女らの処遇も頭の片隅で少しだけ思案していた。
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