第13話 「本気の恋だからこそ」
頬に一発。
重い拳を食らった咆助が、地面に倒れこむ。
「ぐふっ!」
これは決してモブの台詞ではない。れっきとした主人公の台詞である。
「ほ、咆助」
「大丈夫、だ。これぐらい、屁でも……」
「弱すぎるっつーの」
呆れたように、不良風の男が咆助を見下ろす。
絡んできたのはあちらからだった。「ねぇ、彼女。そんな男より、俺とデートしない?」というお決まりの文句を言い放って、あれやこれやという間に二人の喧嘩に発展してしまった、という経緯だ。
「ふ、ふざけるな」
「あん? まだやんのか、チビ」
その言葉に、咆助の怒りが増す。それは彼にとって、何よりの禁句なのは承知のとおりだが、腹を強烈に殴られた今となっては、言葉を出すのも非常に困難だった。
「そんなの放っておいてさ、俺らと遊ぼうぜ」
「そうだって。んなちっこいのよりさ……」
――小さい。
――ちっこい。
多分、今咆助は誰よりも格好悪い。死ぬほど、呆れられるほど、最悪なほどに、彼はヒーローになりきれない。その上、自分は小さい。
痛む腹を必死で押さえながら、咆助は足を動かす。まだ立ち上がることはできる。しかしこれ以上彼らに絡むのは、余計に醜態を晒すだけなのも理解はできた。
「やめぇや、おのれら」
月音が怒りに満ち溢れた表情で、不良たちを睨み付ける。多分、咆助が見た中でもかなり怖い部類に入る顔だった。
「咆助はな、ウチがホンマに惚れとる男なんや。それを傷つけた罪は重いで」
「へぇ、君がやんの?」
「そういう真っ直ぐな子、嫌いじゃないよ」
「そういう曲がった奴、大嫌いや!」
月音の威嚇に不良たちは怯む気配を見せず、余裕の表情を浮かべる。月音の怒気が増していくのをものともせず、彼らは彼女の右手首を掴んだ。
「来いっつってんだろ!」
「ふざけんなや!」
月音が不良を振りほどいた。
さすがに不良たちも怒り心頭を露にして、月音を睨みつけた。ペッ、と地面に唾を吐き捨て、片方の男は右腕を大きく振りかぶった。
「このクソアマがアアァァァァァアッ!」
――殴られる。
一瞬の間合いだったが月音は逃げることができず、思わず顔を伏せる。
久しく気付かなかった、恐怖という感情。心臓がどれほど高鳴っただろうか、息さえも全く出来る気分ではなかった。
直後、ガツンと鈍い音が月音の耳に届く。
しかしそこに痛みはなかった。
「……ってぇなぁ、お前のパンチ」
月音はゆっくりと顔を挙げる。
咆助が腹部を押さえながら、ぐっと上体を前に倒して嗚咽を漏らしていた。
肩で息をしながら、咆助はぎっと目の前の男を睨みつける。
「ほ、咆助……」
「逃げ、ろ……」
弱々しい声で、咆助は促した。
「いや、嫌や! 咆助のことを放っておいて逃げたりなんかせぇへん!」
「るせぇ! 逃げろって言ってんだよ!」
「嫌や!」
「何ごちゃごちゃやってんだゴラア!」
男の硬い拳が、今度は咆助の頬に入った。
咆助の頬は林檎のように真っ赤に腫れ上がり、微かに血が滲み出る。同時に鼻からも微量の血が垂れてきた。
「や、やめ……ぇ」
月音が柄にもなく立ち竦んだ。
最早言葉を出す気力はない。どういうわけか、身体が一歩も前へ出ようとしない。
月音は恐怖を感じた。自分が出たら間違いなく男に殴られる。しかし何もしなければ咆助がまた殴られる。どちらにしても誰も傷つかない選択はなかった。
情けないことは彼女自身がよくわかっていた。咆助が喧嘩に弱いことなど、承知の上。本当は自分が彼のことを守ってやらねばならなかった。
この場に寅田先輩がいたならば、こんな男たちぐらい余裕で叩きのめしていただろう。同時に自分も叱ってくれる。「本気で好きならきちんと守ってやんな!」と。
――そうや。
弱いのに必死で戦っているのは、咆助も同じだ。彼の弱さを一番よく知っているのは他でもない、彼自身。そんなジレンマなど彼はとうの昔に通り越した道なのだ。
だったら……。
「咆助! ウチが……、ウチがアンタのこと守ったる!」
月音は拳を握り締め、言い放った。
「おい、聞いたか? 可愛い彼女がボッチャンのこと守ってくれるってよ」
「ああ、聞いたぜ。しっかりと、な」
茶化す男たちに向けて、咆助は二カッと笑いながら睨みつけた。
「けどんなもん必要ねぇよ。確かにてめぇらのパンチはいてぇわ。正直立っているのもやっとだぜ」
少しよろめく身体をなんとか正して、咆助は足の砂を払う。
「咆助?」
「月音。てめぇ、俺のこと好きなんだよな?」
開けっ広げに言われて、月音はどきりと顔を赤くした。
「あ、ああ。ウチは、アンタのこと好きや……」
いつも堂々と彼に付きまとっているにも関わらず、流石にこの展開は予想だにしていなかったために月音は困惑する。
「だったら、今は俺の強さ信じてくれ!」
咆助は立ち上がり、大きく身体を伸ばした。
同時に、向こう側から誰かがやってきた。
――あれは。
「い、犬飼、くん……」
池を挟んで向こう側に、一人の少女がいた。月音は彼女とは面識があった。というよりも、今回のデートを提供してくれた恩人とも呼べる存在だ。ただし名前は知らない。
「未亜!? なんだよ、お前ここに来てたのか?」
「う、うん……。その、二人が気になって。それよりも、その怪我……」
「ああ、これ? 平気平気!」
「ぜ、全然平気そうじゃないよ……」
未亜が物凄く心配そうな目つきで咆助を見ていた。
「それよりもさ、お前にひとつだけ聞きたいことがあるんだけど……」
「え?」
「お前、俺のこと強いと思うか?」
突然の質問に、未亜は一瞬言葉を失った。未亜だけでなく、月音も、不良少年たちも同じような顔つきになった。
「え、う、うん……」
「オッケー! 元気が出た!」
そう言うと咆助は不敵な面構えで再び不良たちの前に出た。
「な、なんだよお前……」
男の一人が少し後ずさりした。
先ほどまでボコボコにやられていたチビに対してここまで畏怖の念を抱くとは思いもしなかった。
オーラが違う、と言えばいいのだろうか。先ほどまでとは比較にならないほどの殺気が彼の身体から発せられている。その小さな身体をずっしりと重みを利かせて、拳を強く握り指骨を鳴らす。感受性の欠片もないような不良たちでさえ恐れるほど、彼がとてつもない状態になっていた。
「てめぇら、謝るなら今のうちだぜ」
声も先ほど以上の気を発していた。
しかし不良たちのプライドが許さないのか、彼らは苦笑を浮かべながら
「んだァ!? チビの癖に、ナメた真似しやがって!」
男が拳を咆助目掛けて振りかざした。
が、咆助はなんなくとそれを真下にしゃがんでかわす。
同時に、咆助の眼が彼の急所を捉えた。真下から、拳を男の顎、ちょうど舌下部のあたりに食い込むように、彼の拳がアッパーを決めた。
「ふぐぅゥゥッッッッ!」
決め込まれた場所のせいで、男は声を出すことも困難な状態でその場に仰向けに倒れこんだ。
「ヤロウ……」
「まだやんのか!? だったら容赦なく、テメェも噛み砕く!」
咆助が激烈なまでに怒っていることはもう一人の男も感じ取れた。
唾を飲み下し、歯を食いしばりながら拳骨を徐々に硬くする。先ほどまでのお遊びとは違い、今度は生半可に小突いたりはしない。所詮は仔犬同然のチビ助だ。この底抜けなまでの命知らずに、激烈にキツいお仕置きを食らわしてやらなければ気がすまない。
打っ殺してやる!
「死ねえええええぇぇぇッ!」
考える間もなく、男は咆助に正面から殴りかかった。
重さも、勢いも先ほどの男と大差はない。瞬時にそう判断した咆助は軽く息を吐いて、右掌でその拳を受け止めた。
「なッ!?」
あまりの出来事に男は目を丸くした。
咆助はアドレナリンを効かせて、右手に徐々に力を込める。男の拳に、じんわりと握られた痛みが伝わってきた。
だがそんなものを感じている余裕もなかった。すかさずのタイミングで咆助は左肘を彼の鼻の頭目掛けて勢いよく突き上げる。
「ふごッ!」
首が仰け反った反動で、男の喉下が露になる。その瞬間、咆助は力の弱まった拳を放し、その部分に見事アッパーを決めた。
男は倒れこみ、もがきながら気絶した。
「ほ、咆助……」
一部始終を見ていた月音と未亜は、まるで別世界にでも行ったかのように時が止まっていた。
よく見ると倒れた男の傍に何やら手帳が落ちている。咆助は近づいてそれを拾い上げ、パラパラと捲った。
『野上中学 三年 高城伸太郎』
「中学生だったのかよ、コイツ。世も末だぜ」
呆れながら咆助は倒れた男の腹に生徒手帳を投げ捨てた。
「犬飼くん」
駆け足で咆助のそばにやってきた未亜を、にっこりと気持ちのよい笑顔で迎える。
「おう、未亜」
「だ、大丈夫? すごい怪我してるよ」
「あ、ああ。こんなもん平気平気。見てみろよ、大勝利、だ、ぜ……」
突然咆助の身体から力が抜けていく。痩せ我慢していた痛みが次から次へと、咆助に襲い掛かる。
「ヤバ……」
前のめりになった咆助が、重力に身を任せて倒れこむ。
「咆助ッ!」
すんでのところで月音が腕で彼を支える。
「犬飼くん!」
「疲れとるだけや。ウチが肩を貸したるさかい、今日は家で休むがええ」
「あ、ああ……」
咆助は虫が息をするように返事をした。
先ほどまでの強い気が嘘だったかのように、目をトロンとさせている。
「まったく、無茶しよってからに。萎んだビーチボールみたいや」
月音は咆助に聞こえるように悪態を吐いたつもりだったが、当の咆助からは何も反応がない。意識を失うか失わないかというぐらい疲弊しきっているみたいだった。
ふと、咆助と目があった。自分よりもやや背の低い彼に合わせて腰を下げながら、次第に彼の顔が近くなっていく。
――五センチ。
彼の安らかな吐息が顔にかかる。
――三センチ。
もう鼻の頭でキスをしてしまいそうな距離。
「萎んだビーチボールに……空気を入れんとな」
――一センチ。
やや白みがかった咆助の唇が重なりそうに……。
「……はっ!?」
突如、咆助の目が大きく開いた。
「息くせぇんだよッ! この女狐がぁッ!」
咆助に弱々しく突き飛ばされ、月音が後ろによろめく。
「……チッ」
「おい、今舌打ちしたよな?」
月音は頬を膨らませてこちらを見ないようにふてくされている。
多分、彼女なりに可愛い子ぶっているのだろう。咆助的には微塵も可愛いなどとは思わないのだが。
「あの……」
未亜が恐る恐る入ってきた。
「月音さん……。ありがとうございました!」
「な、なんや……、ウチ何もしとらへんで」
下げていた頭を上げて、未亜はじっと月音に赤い顔を見せる。両手をもじもじとこすりながら、落ち着かない様子は咆助的にとてつもなく可愛かった。
「ありがとうございました……」
「だからウチは何も――」
「犬飼君のことを好きになってくれて、ありがとうございました!」
一瞬、月音と咆助の時が止まる。
「えっと……」
「私、その……、うれしいんです。犬飼君は、大事な人だから……」
――あ、ダメだ。これ、完全にダメなパターンだ。
凄まじく冷静にネガティブな思考が働いた。
咆助がこれほどネガティブな想像をしてしまったのは、咆助史上最大だと断言できる。
おそらくこの場合の「大事な人」というのは、女性としては「友達」という範疇のちょうど真ん中ぐらいにいる人物のことを指す。まず「恋愛対象」という意味は成さない。
正直、泣きたい。
「……なんや。やっぱりええ子やないか」
月音がぼっそりと呟いた。
「わ、私……、いい子なんかじゃ……」
未亜は唾を大きく飲み込んで、
「ただ、私……、犬飼君に、すごいお世話になったから……、だから、失恋した犬飼君に、元気になって欲しくて……。それで、月音さんなら、犬飼君のこと、幸せにしてくれると思って……」
必死で未亜が言葉を探しているのは伝わった。
彼女のたどたどしい様子に、咆助は呆れたため息を吐いて、
「何が言いたいんだよ」
「犬飼君!」
未亜が珍しく大声を出した。
これにはさすがに咆助も驚きを隠せなかった。
「月音さん、本気だよ。本気で、犬飼君のこと大好きだよ」
「……分かってる。けど、コイツは」
「背が高いから、なんてのはナシだよ」
未亜が必死な目で咆助を睨みつける。これが彼女なりの真剣さの表れなのだろう。
「犬飼君、お願い。好きになれなんて言わないけど、ちゃんと月音さんの気持ちと向き合ってあげて。月音さんは本当に、犬飼君のことを好きなんだよ。失恋してふてくされているのは分かるけど、今は前を向いて……」
言いたいことは咆助にも理解できた。
咆助は静かに未亜の目の前まで近付いた。目と目を合わせて、優しく微笑み、咆助は彼女のこめかみにゆっくりと手を添える。
「何勘違いしてんだ馬鹿野郎ッ!」
未亜のこめかみに咆助の握り拳が押し当てられる。
「いたいよおぉぉぉぉ!」
それなりに手加減したつもりだったのだが、あまりにも未亜が痛そうなので適当なところでやめる。
「馬鹿じゃねぇの? そんなたった一度の失恋でふてくされるわけじゃねぇっての! そそんじょそこらのラノベの主人公と一緒にすんじゃねぇよ!」
「え、でも……」
「なぁ、碇月音よぉ」
咆助は月音のほうを向きなおした。
「やっぱ俺、アンタとは付き合えねぇわ」
「……せやな」
月音はしおらしく答える。分かりやすく両手を震えさせて、必死で動揺を抑えていた。
「俺、フラれたばっかだけどさぁ、他に好きな女の子が出来た。これが付き合えない理由な」
「知っとるわ」
月音は震えた手をぎゅっと握ると、咆助に向けてニヤリと笑いかけた。
「アンタが誰を好きなんかぐらい、見てたら分かる」
「ま、流石にバレるか……」
咆助と月音はため息を吐いて、そっと未亜のほうを見る。
未亜はきょとんと、二人を訝しげに眺めた。
「えっと……、どうしたの?」
ガクリ、と二人は肩を落とした。
ここまでのやり取りで話は読めるであろうにも関わらず、間違いなく彼女は気づいていない様子だ。
「おーい、咆助。ここにいたのダ」
向こう岸から鯨木の野太い声が聞こえてきた。
彼の巨体の肩に何故か一人の男が布団のように掛かっている。そいつは何故か似合わない虎刈りの髪形をしており、昔の暴走族風の特攻服を着ている。死んではいないだろうが、おそらく気絶しているのだろう。
「やれやれ。あんたたち大丈夫だったかい?」
後ろから寅田もやってきた。彼女もまた、肩に伸びた男を担いでいる。
よく見たらそれは鮫島だった。
「何だ、その男?」
「ああ。デートの最中に突然絡まれたから二人でぶちのめしてやったダ」
「ぶちのめしたって……」
とんだ初めての共同作業である。
「んで、どうやらこの鮫島が仕組んだことらしいじゃないのさ。まったく、ろくなことしない」
「阿呆な友人が迷惑を掛けてすまなかったダ」
「いいさ。おかげでアンタの男らしいところを見られたから……」
寅田が顔を赤らめると、釣られて鯨木もポッと赤くなる。二人の間に、どこかしらしなやかでフローラルな香りが立ち込めるようだ。
――ああ、もうこの二人はとっとと結婚しろ。てかなんだかもう、勝手にしろ。
咆助は踵を返して、未亜の左手をぎゅっと握った。
「帰るぞ、未亜」
「う、うん……」
戸惑った様子で未亜は咆助に合わせて静かに歩き出した。
「あ、そうだ」
咆助は振り返り、月音に目線を送った。
「今日は、ありがとうな……」
そのまま咆助は前を向いて、再び歩き出した。
少しずつ遠ざかっていく咆助。そして仲良さそうに一緒に歩く未亜。
――ホンマ、お似合いやな。
あまりにも身長差のある二人。自分よりずっと背の低い、自分の好きな人が、自分よりずっと背の高い少女と歩いている。
本当なら一緒にこのチビスケと歩きたかった。共に手をつないで、共に同じ歩幅で、好きな人と好きなだけ一緒に歩きたい。
しかし今は彼の隣には他の女がいる。自分が最も大好きな人にとって、一番好きな人。そして、誰よりも彼のことを分かっている人。目を見れば彼女がどれほど素敵な人間なのかは理解できた。
しかし……。
月音は拳をぐっと握り、大きく息を吸った。
「ウチは諦めへんで!」
大声で咆助に向かって叫んだ。
「ウチは、ウチはホンマに咆助のこと好きなんや! アンタが他の誰を好きでも、ウチはアンタをそいつから奪ったる! 身長なんてクソくらえ、ってアンタが思いたくなるほどの恋、アンタにさせたるからな!」
彼女の声は周囲の一般人たちが注目するほどに響いた。荒い息を挙げている月音の耳まで赤くなっている。
咆助はそんな彼女の声を聞いたか聞いていないのか、振り向きもせずに手を振ってそのまま去っていく。
「碇の姉さん――」
「アホやな、ウチは。ホンマモンのアホや」
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