第11話 「デート監視中」

 千山東公園には大きな池があり、貸しボート小屋もある。土曜日の昼間となれば、池はカップルたちで埋め尽くされるほど人気のデートスポットだ。

「あいつら、上手くやっているかな……」

 一人の男が、右手に双眼鏡、左手にアンパンを持ちながら、池の様子を遠くから眺めていた。

「月音さん、上手くやっているかな……」

 一人の女も、右手に双眼鏡、左手におにぎりを持ちながら、池の様子を遠くから眺めていた。

「しかし驚いたな……」

「本当に驚いた……」

「鯨木があの大女を好きだなんてよぉ」

「月音さんが犬飼君のことを好きだなんて……」

「ま、この公園はカップルの成功率が高いことで有名だしよ」

「きっと、なんとかなる、よね?」

「頑張れよ、鯨木!」

「頑張って、月音さん!」

「……」

「……」

 ようやく、男と女は目が合った。が、決してこの二人が恋に落ちるとかそういうシチュエーションではない。なぜなら、男は主人公の友人であり、女はこの小説のメインヒロインであるからだ。

「ひ、ひゃあああああああ!」

 女のほうが、とてつもなく素っ頓狂な声を挙げて驚いた。

「いや、そこまで驚かなくてもいいだろ……」

「さ、鮫島、さん?」

「おう。奇遇だな。宇崎」

「えっと、どうして、こんなところで……?」

「いやな、実はここだけの話、今あの公園で鯨木がデートしているんだよ。俺はそいつを張り込みながら観察しているってわけだ」

「そ、そうなんだ……」

「んで、宇崎はどうしてここに?」

「えっと……、今、鮫島君がいった台詞を、鯨木君じゃなくて、犬飼君に置き換えて……」

 ――なるほど。

 つまり、犬飼 咆助も鯨木と同じようにデートをしている真っ最中だということだ。なるほど、かなり分かりやすい。鮫島はうんうんと頷いた。

「って……」

 ――あれ?

 確か、咆助の好きな人って……。

 鮫島は未亜をじっと見つめる。

 咆助は確か、この目の前にいる宇崎未亜に恋をしているはずなのだが……。おかしいな、と鮫島は頭を働かせる。どうもこの状況から察するに、またもやフラれたとかそういう類の話でもなく、咆助は別の誰かとデートしているらしい。しかもそれを応援しているのが、咆助が恋している張本人という……。

 鮫島は双眼鏡を覗き込んで、池をくまなく探した。

 ――いた。

 咆助らしき人物が、ラッコ型のボートでオールを漕いでいた。左手のアンパンを牛乳に持ち替え、鮫島は一口啜った。

 そして、鮫島は咆助のボートに同乗している人物を見るなり、

「ぶはあああおああ!」

 盛大に牛乳を噴き出した。

 何故か、咆助と一緒にボートに乗っているのは、咆助が最も拒否していた人物、碇月音だった。しかもご丁寧に勝負服といった感じでかなり気合いを入れたお洒落をしている。

「さ、鮫島君?」

「えっと、これ、どういうこと?」

 状況が飲み込めないまま、鮫島はひたすら苦笑いをするしかなかった。

 そして、鮫島が落としたアンパンに、ものすごい量の蟻が群がっていた。



「咆助。そんな力任せに漕いだらアカンって」

「るせぇ! 俺は俺流に漕ぎたいんだよ!」

 ボートの上で、ひたすら苦虫を潰したような顔を浮かべている咆助と、かなり満喫している月音の姿があった。

 多分、傍から見たら完全にリア充、もしくは仲の良い姉弟に見えただろう。しかし、月音は別として咆助はそんなことを微塵も思いたくなかった。

「なぁ、咆助」

「んだよ?」

「ウチな、今メッチャ幸せやねん……」

「あ、そう」

 オールと格闘している咆助は、半分テンパった状態で話を聞いていた。それでもなお、月音は恍惚の表情を崩さない。

 月音は、必死な咆助の顔をじっと見つめていた。

「やっぱ……、咆助はかわええな」

「あん?」

「こないかわええ男を、何で振ったんやろな、その女の子は」

 月音の放った爆弾発言に、咆助は一瞬手を止める。

 正直今はそのことを思い出したくなかった。しかも可愛い発言が、余計に咆助の怒りを増幅させる。

 この女は出会ったときからそうだった。咆助が最も言われたくない言葉、「可愛い」を何度も言う。嫌だという意思は何度も示したはずなのだが、全く聞き入れる気配はない。

 それだけならばまだいい。だが、それでもなお咆助のことを諦めずにアプローチしてくる根性が何よりも信じられなかった。

「それを言うなら」

「どないしたん?」

「何でアンタは俺に惚れてるんだよ?」

 厳しい口調で咆助は尋ねた。いい機会かも知れない。これ以上しつこいストーカーをされるより、ここできっぱりと断っておいたほうが懸命だと咆助は判断した。

「そりゃあ、咆助はかわええしな」

 またその言葉が出た。先ほども精一杯睨み付けて嫌がっている意思表示はしたつもりだったが、今度はもっと睨み付けようかと咆助は思った。

「それに、な……」

 月音が珍しく照れた表情を見せた。

「咆助は、ホンマに優しいねん」

 ――優しい。

 それは未亜にも言われた言葉だった。

 正直言って、咆助自身がそれを自覚したことはなかった。特に、この月音に向かってはいつも襲い掛かってくる火の粉に牙を向けているつもりだった。

「……優しくなんかねぇよ」

「そんなことない。咆助はごっつ優しい。ウチが保証したる」

 お前に保証されてもな、と咆助は心の中で思ったが、口には出さないことにした。

 そこからは無言でひたすらオールを漕ぎ続けた。その間、月音は微笑ましそうに咆助の顔をじっと眺め続けていた。何が楽しいのかは理解できなかったが、いつの間にか咆助も照れてしまいそうになっていた。


 ――ホンマ、鈍感なんやから。


 犬飼 咆助という男は、自分の気持ちには馬鹿が付くほど正直に生きている。だからこそ、好きな人にはとことん攻めていくし、逆に敵と見なしたら容赦はしない。

 けど同時に、自分の本当の良さには驚くほど鈍い。決して自分よりも弱いものを傷つけない、そしてそういう人間を許さない。彼にとって当たり前のことが、実は一番彼の魅力であるということに気付いていない。

 だからこそ、その良さを咆助自身に気付かせてあげたい――月音の心中にそんな思いが渦巻いていた。

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