第7話 「対等な関係」
しばらく、二人の会話は皆無だった。スーパーの会計をする際も、そこから帰る間も、ずっと口を開くのが怖いような雰囲気に包まれていた。
『高いから、だよ……』
咆助が月音に放った、最後の台詞。未亜はずっとその意味を考えていた。咆助はやはり背の高い女性は苦手なのだろうか。でも、それなのに何故自分にはこれほどまで優しく接してくれているのだろうか。
――よし。犬飼君に、きちんと聞いてみよう。
臆病な自分でも、そのぐらいの勇気を出すことはできるんだ。そんな自己暗示をかけ、小さい深呼吸を何度もして、ようやく未亜が口を開いた。
「あ、あのね。犬飼君……」
――やっぱり怖い。
咆助の仏頂面が、余計に未亜の恐怖心を煽っていた。でも、勇気を出さなければ……。
「い、犬飼君」
未亜が呼びかけても返事はない。多分、何か色々と考えていることがあるのだろうと思ったが、それでも……。
未亜は、大きく息を吸って、
「いぬかあああいいいいいくん!」
「うわっ! びっくりした」
流石に咆助も驚かざるを得なかった。未亜自身も、かつてないほど叫んだ自分の声に驚いて目を丸くしていた。
「あ、あの……」
「悪い、な。ずっと考え事をしていたから、さ」
咆助は照れくさそうに俯いた。
「う、ううん……。ごめんね、こっちこそ」
「何でお前が謝るんだよ?」
「だって、その……」
未亜は唾をごくりと飲み込んで、
「大きな声、出しちゃったから……」
未亜がそう言うと、咆助はぷっと吹き出した。
「ハッ、何だよ、それ」
「な、何か、おかしかった、かな……」
「おかしいとかそんなんじゃなくてさ、大声ぐらいでいちいち謝るなよ」
「でも……」
未亜はじっと右下に目線を落とした。ちなみに、その方向には咆助の足以外なにもない。
「だったら、話をしなかった俺も悪かった」
「えっ?」
「いやさ、ずっと会話なかったからな。未亜を蔑ろにした俺も悪いってことで」
「だって、それは……」
「お前、いつも謝ってばかりだよな。そんな気を使わなくていいぜ。なにせ、俺たちは親友、だからな!」
咆助がようやく笑顔を取り戻した。逆に申し訳がない気がして、未亜はまた目を背ける。
「犬飼、君……」
「謝るのは本当に自分が悪かったときだけでいいんだよ。無視していたわけじゃないけどさ、お前と話をしようとしなかった俺を怒る権利ぐらい、お前にだってあるさ」
「べ、別に怒ったりなんか……」
「対等な関係って、そういうもんじゃないのか? お互いに怒ったり、笑いあったりできる、俺はお前とそういう関係になりたいんだけど」
いつもの調子に戻った咆助が、少し格好つけて言った。
「私なんかと、対等?」
「なんかって言うなよ」
「でも……」
「未亜は昨日俺を励ましてくれただろ? それだけでもお前はすごく良い奴だってのが分かったよ。だからさ、俺はお前に負けないくらい良い男になってみせるよ」
お前のことが好きだから、という一言が危うく出そうになったがなんとか押しとどめた。それでも未亜は恥ずかしそうに俯いている。
「あ、ありがとう……」
弱々しく、未亜は感謝をした。
そのまましばらく歩いていると、未亜が一軒のアパートの前に立ち止まった。
「あ、ここ……」
「ん? お前んち?」
未亜はこくり、と頷いた。
「買い物しているってことは、もしかしてお前……」
「うん。一人暮らし、なんだ」
「おい、それって……」
――この続きはあれしかないだろ。
『ねぇ、犬飼君。一人暮らしってね、結構寂しいの。知ってる? 兎って寂しいと死んじゃうんだよ。つまり、言いたいこと分かるよね? 今日だけでも、ううん、これからずっと一緒に、ね……』
何故か半裸の未亜が、咆助の脳内に突然現れた。
『犬飼君……私を暖めて』
「暖めてやるぜ!」
咆助が突然大声を張り上げた。
「えっと、何を?」
「あっ……」
咳払いを挟んで、咆助は未亜のほうを見た。
「未亜、もしかして、その……」
「ん?」
「寂しい、とかないよな?」
そう尋ねると未亜は照れくさそうに手刀を切って
「な、ないよ。大丈夫、一人でなんとかなってるし」
当然、咆助はがくりと肩をうな垂れた。
「ま、まぁそうだよな……」
「でも、ありがとう。心配してくれて」
「あた、当たり前だろ! 俺はお前の親友だ! いいか、これから寂しいときは呼んでくれれば行くし、手伝いもする!」
「だって、その……」
「一人暮らしって大変だろ。力仕事が必要なら、俺を呼んでくれ。てか呼べ。困ったときは俺に頼れ!」
強気に、咆助は言い放った。流石に馬鹿にするなと怒られるかもと思ったが、咆助なりに精一杯自分の存在をアピールしたつもりだった。
「犬飼君って……」
「あん?」
「やっぱり、優しいね」
――優しいね。優しいね。優しいね。優しいね……。
今の一言は、咆助の心の臓にぐきり、と響いた。良い意味で。
そんなこと言われて嬉しくない男などいない。まして、大好きな少女に言われたのだ。咆助は心の中で勢いよくガッツポーズを振りかざした。
「あ、ありがとう……」
「今度、犬飼君にも手料理ご馳走してあげるね」
――あ、また心にもない妄想を。
無駄に冷静さを取り戻した咆助が首を横に振る。まさか、未亜が俺に料理を作ってくれるなんて、そんな旨い話があるものか。料理だけに。
「って……」
咆助が顔を挙げると、目の前ににっこりと微笑む未亜の顔があった。
「犬飼君は嫌いなものとかある?」
――嘘。マジかよ。
幻聴じゃない。まるで新婚したばかりの新妻のような、淡雪のように優しい口調で彼女は聞いてくれた。
咆助は、目を潤ませて、
「な、ねぇよ」
「好き嫌いとかないの?」
「あ、ああ。何でも食べるぜ。未亜の作ったものならな!」
想像しただけで思わず涎が垂れてしまいそうだった。多分、旨いに決まっている。咆助はそう確信していた。
「じゃあ今度お弁当作ってきてあげるね」
――聞きました? 奥さん。
この世界一、宇宙一、いや、森羅万象一美しい女性がですよ。この犬飼 咆助にお弁当作ってきてくれるんですって、ね。
「え? いいの……?」
「う、うん……。なんなら、明日にでも……」
「あ、ありがとう……」
とりあえず、そう言っておく。無難な返しが一番だと悟った。
「それじゃあ、また明日」
未亜はそういってにこやかにアパートのほうへ向かっていった。
――昨日、俺は宇崎 未亜に恋をしました。
そして、今日は更に恋をしました。
つまり、明日には今日の倍好きになっている。そういうことでいいのでしょうか?
咆助はしばらく考え込んで、それからは何も考えないことにした。
――とりあえず、明日は朝飯を抜いたほうがいいかな。
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