2章

第5話 「臆病大兎は女神」

「と、いうわけで。昨日俺はフラれました」

 底抜けに明るい咆助の報告に、鮫島と鯨木は箸を運ぶ手を止める。

「えっと、咆助?」

「今、何て言ったダ?」

「だーかーら! 俺は昨日フラれたの!」

 三秒間、会話が止まる。

 目を一周、咆助のほうを見た後で鮫島は口を開いた。

「昨日は雨降っていなかったよな?」

 そして、とりあえずといった様子で鮫島はボケをかました。

「はぁ? 何言ってんだ、お前」

 そして、見事に滑った。

 咆助はお茶を一啜り、思いっきり勢いよく飲み込んだ後に不敵な笑みを浮かべる。鮫島と鯨木は訝し気に咆助を見据える。

「いやぁ、スッキリした。付き合えなかったのは残念だけどさぁ、なんか気が楽になったというか」

「というか、じゃねぇよ。お前それでいいのか?」

「お前はそれでいいのかダ?」

「ま、しゃーない。あいつに男がいるなら引き下がるしかないっしょ」

「おい、てめぇ。あんだけ好きな女に、他に男がいるぐらいで諦めんのか!?」

「俺の知っている犬飼 咆助はそんなヤワじゃないダ」

「おいおい。まぁ続き聞けって」咆助はさらに不敵な笑みをこぼした。「まぁ、確かによ。珠美ちゃんに彼氏がいると知ったとき、俺はショックだった。女にフラれるなんて何年ぶりの体験だろうか。流石の俺も心に大ダメージを食らって気落ちした。そんなこんなで俺は自棄になっていた。しかあし!」

 二人は耳を立てたまま、思わずごくりと唾を飲み込んだ。

「そこに一人の天使が舞い降りた。ああ、あれは天使だ。まごうことなき天使だ。『シー イズ ゴッド』」

「ゴッドは神様だぜ」

「更に言うならゴッデス、もしくはビーナスが正確ダ」

 茶々を入れられ、少し膨れっ面を見せる咆助。しかし彼はそんな顔を一秒経たずに戻して、引き続きにやけっ面を出した。

「なんということだろうか。その女神は瞬く間に俺の荒んだ心を癒してくれた」

「あっ、こいつ女神って言い換えやがった」

「シッ! 黙って続きを聞くダ」

「彼女の瞳はそう、まるで透き通るような真珠のよう。そしてその心もまた透き通った真珠のよう。そう、彼女はまさに真珠。真の珠」

「金の玉?」

「殴られたいのか、お前」

 咆助は鮫島を睨み付けた。

「要するに、ダ。咆助は昨日フラれたことを慰めてくれた女性のことが好きになってしまった、と。そういうわけダな?」

 これまでの長ったらしい説明を簡潔に鯨木がまとめる。

 咆助は顔を赤く染めて、

「いや、ちげぇよ」

「おい、顔が赤いぞ」

「いやいやいや。この俺がそんな簡単に女を好きになるわけがないだろ」

「こないだまで珠美ちゃんのことを好きダと言ってたダ」

「いやいやいや、それはそれ、これはこれ」

「意味分かんねぇよ」

「い、言っておくけどな、俺はあいつに恋なんかしてないからな! ホントだぞ!」

 あくまでも自分は硬派だと言い張ろうとする咆助に、やれやれ、と首を振りながら鮫島はほとほとにあきれ果てた。

「分かりやすいというか、なんというか……」

「うるせぇな! じゃあそういうことでいいよ! 俺はその女神に惚れました、ハイ、終了、めでたしめでたし」

 咆助は暴走しながら全てを完結させた。

 昼飯の焼きそばパンを二口頬張って飲み込んだ後、鮫島は咆助のほうを向いていかにも残念そうな表情をした。

「いや、いいんだけどよ。そういうパターンってアリだと思うのよ、俺的に。フラれていた傷心を癒してくれる、みたいなの」

「いかにも萌えるシチュエーションって感じダ。ラノベにして読んでもらいたいダ」

「で、その女の子って誰なのよ?」

「実はそれなんだけどさ」咆助はいかにも得意げにしたり顔を浮かべた。「さっきその子に声を掛けたんだよね。『一緒に昼飯でもどうか』って」

 それには鮫島も鯨木も驚きを隠せず、「おおっ!」と唸った。まさか、というほどに早い展開に、少し気持ちを落ち着けようと深呼吸を繰り返した。

「咆助、すげぇダ」

「てことはよぉ、同じクラスだよな? 俺らの知っている奴か?」

 咆助は静かにうなづいた。ここでひとつ説明しておくが、鮫島と鯨木は咆助の隣のクラスである。

「まぁな。結構有名人だし」

「本当ダ?」

「本当だって。多分まだ購買でパンを買っている頃だと思うけど……」

 咆助が周囲を見回すと、遠目にその人物が現れた。大事そうにパンを抱えながら恐る恐る屋上のドアを開く。まるで痙攣しているかのように身体を小刻みに震わせながらその少女が扉から顔を出した。

「おーい、こっちこっち」

 咆助の声に呼応するかのように、少女は一度ビクン、と身体を大きく震わせて彼のほうを見た。

 ゆっくりと少女は彼のほうへ近づいていく。とぼとぼと、手にしたメロンパンまで不安げな顔を浮かべるように見えるほど、彼女は怯えていた。

 その少女を見た瞬間、鮫島も鯨木も目が点になった。

「おい、咆助」鮫島はため息をつきながら咆助に話しかけた。「お前が言ってた女神ってコイツか?」

「なんていうか、予想の斜め上すぎるダ……」

少女が咆助の傍らに立った。少しだけ彼女は咆助たちを見た後、「ひっ!」と声を挙げて再びすたこらと入り口の陰に隠れた。

「違っていたら悪いけど、あれってお前のクラスにいた奴だよな?」

「ああ」

「確か、『臆病大兎』とか呼ばれていた奴ダったか?」

「そうそう。よく知っているな」

 鮫島と鯨木は一瞬だけ目を見合わせた後、咆助を睨み付けた。

「ま、まぁ悪くはない……よな」

「確かに、可愛いとは思うダ」

「けどよぉ」鮫島はため息を吐いて、「お前、散々『俺より背の高い女は敵だ!』とかほざいておいて、あれはどうなんだよ……」

「そんなこと言ったっけか?」

「言ったダ。珠美ちゃんのときに、思いっきり」

 そういわれて咆助は腕を組みながら考えていると、先ほどまで陰に隠れていた未亜がいつの間にか咆助の隣に立っていた。

「あ、あの、犬飼君……」

「おう、まぁ座れや」

「なんかキャバ嬢みたいダ」

 未亜は鮫島と鯨木を見て、またもや「ひっ!」と声を挙げた。

「おいおい、大丈夫だって。こいつらこう見えて大人しいから」

「噛まないッスよ」

「襲わないダ」

 若干無理矢理な作り笑顔を見せて、二人は未亜の警戒心を解こうとする。そんな二人を横目で見据えながら、未亜は静かに咆助の隣に座った。

「あの、犬飼君。今日は、どうして……」

「いや、まぁ、その……」咆助は頬を赤く染めながら、「昨日の礼、ちゃんと言ってなかったからさ」

「そ、そんなことないよ。寧ろ私のほうこそ助けてもらったのに……」

「いやいや。ていうかさ、足の怪我は大丈夫なのか?」

「うん。一晩休んだらだいぶ痛みは取れたよ」

「そうか……。良かった」

 咆助はほっと胸を撫で下ろした。

「犬飼君には本当に助けてもらってばかりだね。今日だってこうしてお昼まで誘ってくれて……」未亜は俯きながら、「普段、こうやって友達とお昼を食べることなんてないから……」

「えっ……」

 墓穴を掘ったか、と咆助は冷や汗を垂らした。

「高校入ってから友達とかまだ出来ていなくて……。私、こんなんだから人に話しかけるの苦手で……」

「ふーん、じゃあずっと一人で飯食ってたんスね」

 鮫島の発言に、咆助は「おいっ」と睨みを入れる。

「ごめんね。こんな話しちゃって」

「い、いいに決まってんだろ! どんな話だろうと、俺はお前の話なら何でも聞くぜ! 明日の天気から、世界情勢まで、なんでもだ! なぁ、鯨木?」

「えっ、あ、うん、ダ……」

 突然話を振られて、鮫島は戸惑った。

「こいつはすごいぞ。こう見えてこないだの中間、学年一だったんだぜ。政治の話とか振ってみろ。池○彰ばりに分かりやすく語ってくれるぜ」

「そ、そんな……、照れるダ」

 萌えない頬染めを見せて、鯨木は目を逸らした。

「んで、こっちの鮫島はスポーツが得意だし、喧嘩も強い。んで実はこう見えて大のオタク。スポーツ系だろうと不良漫画だろうと美少女萌えアニメだろうと、アニメの話ならなんでも来い! だよな?」

「おい、さりげに秘密にしてた趣味ばらすな」

「それで……、犬飼君は?」

「えっ?」

「犬飼君は、どんなお話ができるの?」

「俺は、おれは、その……」咆助は少し考えて、「男トークだ!」

 思わず鮫島と鯨木は笑ってしまうが、なんとか未亜にバレないように堪えた。

「男、トーク?」

「ああ、男の話だ。男としてどうあるべきかとか、強くなるにはどうするべきかとか、そういう類の話なら任せてほしい……かな?」

 最後だけ弱々しく咆助は語った。

 すると先ほどまできょとんとしていた未亜が、ふふっと笑みを零した。

「犬飼君、面白いね」

「えっと……」

 ようやく、咆助は我に返る。同時に、今の自分の発言がとてつもなく恥ずかしいということに気がついた。

「いいなぁ。みんな楽しそうで……」

「ま、まぁな。楽しいぜ。こいつらと一緒にいるのはよ」

「退屈はしないダ」

「特に、誰かさんのおかげでな」

 鮫島はチラっと咆助に目線を送った。

「うん。だからね、今日こうして誘ってくれて、すごい嬉しかった。正直言うとね、鮫島君も鯨木君も、最初は怖そうなイメージがあったけど、そんなことなかった」

「俺は?」

 咆助が尋ねる。

「えっと、犬飼君は……正直そこまで……」

 引き気味に未亜が答えると、咆助はがっくりと頭を項垂れた。

「いや、そこで怖がられたらダメダ」

「こいつなりに肉食的なイメージを大切にしているんだよ」

 まぁ、虚しくもほとんど可愛い系キャラで定着しているのだが。

「だから、その……」

 未亜は、ごくんと強く唾を飲み込んだ。その音は咆助にも聞こえていた。

「お、おいおい……、これってまさか……」

 淡い期待が咆助の胸中に疼く。

 軽い緊張の中、お互いがお互いに下唇を噛み締めて相手を待つ。しかしその相手もまた何も言い出せない状態なので、結局は沈黙と成り果ててしまう。

 風がすぅっと首筋を撫でた。真下から生徒たちの賑わう声が聞こえてくる。耳が退屈していたのか、勝手にその声を拾い出した。おそらく早くも体育の授業の着替えを終えた面々がはしゃいでいる声だろう。

 そんなことを考えていると、やっとこさ未亜の口が開いた。

「よかったら、その……」未亜が頭を下げた。「お友達になってください!」

 思わず鮫島と鯨木がずっこけた。まぁ、予想通りのオチといえばそうなのだが。

 だが咆助は表情を全く変えず、頬を赤く染めたまま、彼女から目線を逸らした。

「あっ、当たり前だろ!」

「咆助。お前、泣いていいダ」

「何だよ。いいじゃねぇか、お友達、最高だぜ!」

「おいおい……」

「ていうか、もう俺らは友達だろうが! 大親友だ!」

「本当に?」

 未亜の顔がぱぁっと明るくなる。

「そうだ! 俺たちはとっくに友達だ! だからこうして昼飯に誘ったんだろうが!」

「あ、ありがとう……」

 未亜は思わず咆助の手を握った。彼女の掌の柔らかさが咆助の指先に伝わる。力のない彼女なりに精一杯強く握っているのだということが感じ取れた。

「お、おう! だからこれからはいつだって一緒に飯食ってやるよ。なぁ、鮫島、鯨木」

 咆助は二人に呼びかけた。

「へっ、しゃーねぇな。んじゃ、俺も友達ってことで。よろしくな、宇崎」

「ヨロシクダ!」

 咆助の気持ちを汲み取って二人は未亜に笑顔を見せながら挨拶をした。

「ありがとう……」

 よほど気恥ずかしかったのか、彼女はすぐに俯いた。次第に彼女の口からしゃっくりをするような音が聞こえてくる。これはしゃっくりではなく、泣いているのだということに気がつくのに時間は掛からなかった。

「ま、まぁ感謝されるほどのことじゃねぇよ」

 咆助がそういうと、未亜は俯いた顔を挙げた。彼女の瞳からは微かだが涙の痕が残っている。

「やっぱり、犬飼君って……」

そういいかけて彼女は口を噤む。

「うん?」

「ごめん、なんでもない」

 萌えた。

 死ぬほど萌えた。

 体温が鰻上りになるほど、咆助は悶えた。

「咆助、照れてるダ?」

「て、照れてねぇよ」

 お茶を啜りながら咆助は気持ちを落ち着けようとする。

「そういえば、今日も図書委員の仕事あるのか?」

「う、うん」

「おっし、今日も手伝うぜ!」

「えっ……いいよ。昨日も手伝ってもらったのに……」

「まだ足治ってないんだろ? いいから、俺にも手伝わせろ」咆助はキリッと顔を決めて、「なにせ、俺はお前の”大親友”だからな!」

 二人の間に、寒い風が吹き抜ける。

 通り過ぎた痕、気を取り直して未亜は

「う、うん。ありがとう……」

 やってしまった感があったと咆助は内心反省しながら、咳払いを挟んで未亜の顔をじっと見つめた。

「咆助……」

「なんダ、コレ……」

 何ともいいようのない空気に、二人はとりあえずため息を吐く。

 そうこうしているうちに、昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。思わず咆助たちも立ち上がる。

「未亜、教室まで行けるか?」

「うん。大丈夫」

「無理するんじゃねぇよ」

「だ、だから大丈夫だよ」

 少し萎縮しながら未亜は返事をした。

「よっしゃ、それじゃ行こうぜ」

「う、うん」

 意気揚々と咆助と未亜はその場から立ち去っていった。若干未亜は脚を引きずっているが、歩幅は咆助と合っている。多分、咆助なりの気遣いなのだろう。鮫島と鯨木は少し感心した。

「しっかしあいつもすごいこって」

「ベタ惚れダ。自分より背の高い女にベタ惚れしているダ」

「いやぁ、あれを見ていると俺もなんか恋したくなってきちまうよなぁ」

 鮫島がそう言った途端、鯨木が俯いて黙り込んでしまった。

「じ、実を言うと、ダ……」

「ん?」

「お、俺も……」

「まさ、か……」

 鯨木がぎっと鮫島のほうを向いた。強面の丸顔の頬袋を赤く染め上げ、瞳をギラギラと輝かせている。

「実は、俺も……恋をしているダ」

「いや、待て待て待て! 俺にそっちの気はねぇぞ!」

「お前じゃないダ」

 鯨木はスマホを見ながら、顔をニヤつかせた。

「あの、麗しの女性……、ああ、素敵ダ」

 その様子を眺めていた鮫島は、この男を放っておくことにした。


「よし、これでいいか?」

「うん。ありがとう」

 放課後。咆助と未亜は約束どおり図書委員の仕事を難なくこなしていった。流石に今回はお互いにやることを確認し合って仕事をしたせいか、トラブルも特になく仕事を終えた。

 その間、咆助の顔がニヤニヤしていたのは言うまでもない。

 ぐっと咆助は唾を飲み込んで、未亜の顔を見上げる。

「あのさ、未亜」

「な、何かな?」

「仕事ってこれで終わり?」

 未亜はこくりと頷いて、

「う、うん……。今日も手伝ってもらって本当にありがとうね」

「い、今更何だよ! 言っただろうが、俺はお前の親友なんだからな!」

「親友、か……。えへへ」

 特別可愛らしく微笑む未亜。もちろん、咆助の感想は「可愛い」の一言だ。

「未亜、あのさ……良かったら、帰りにどっか寄っていかないか?」

「え? えっと、どっかって……」

「ど、どこでもいいんだよ。東の海から北の山までどこでも行きたいんだよ」

「そ、それは無理……」

「じゃあゲーセンとかカラオケとか、お前の好きな場所ならどこでもいいよ!」

 咆助はヤケクソ気味に答えた。

「う、うん……それなら」

「安心しろ! お前を狙うような奴がいたら俺がやっつけてやるから!」

「別に誰にも狙われていないよ……」

「本当か!?」

「う、うん……」

「そうか、少し安心した」

 咆助はほっと胸を撫で下ろした。

 寧ろ誰に狙われているのだ、という突っ込みはこの際してはいけない。

「それじゃあ、どこに行く?」

「あ、あのさ……」

「ん?」

「ひとつ、行きたい場所あるんだけど……」

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