<2.被験者>

 翌朝、施設の玄関口で待っていた全たちの前に、黒塗りのワゴン車が停まった。

 そこから降りて来た運転手が、こちらを見て一礼した後、無言で後部座席の扉を開けた。

 そして、そこから無言で降りてきたのは、一人の少女。

 どう見積もっても小学生くらいの背丈。その背中を覆う長い髪は、陽に透かされて茶色だ。

 そしてまっすぐ向けられた大きな瞳も茶が濃い。しかしてそこから意思を読み取る事は出来なかった。

「ご苦労様です」

「はい。よろしくお願い致します。お荷物はこちらです」

 そう言って運転手が差し出したのは、大きなバッグだ。恐らく必要な着替えなどが入っているのだろう。

 それを受け取った所長は頷いて、少女に尋ねた。

「私がこの研究所の所長、果河かがわ みのるだ。君の名前を教えてくれないか?」

「……マナ」

 じっと所長を見た後、淡々とした声音で小さく、少女は名乗る。

「詳細はこちらの資料に書いてあります。それでは、私はこれで」

「ああ。ありがとう」

 黒いワゴン車が走り去ったのを見送ってから、資料を受け取った全はぱらぱらとそれを見る。

 本名は「弓張ゆみはり まな」。年齢――十六歳。

「!? 十六歳!? 嘘でしょう、だってどう見ても、彼女は……」

 同じく資料を見ていた時雨が声を上げる。驚いているのは自分も同じだ。そして父である所長は、平坦とした声で説明する。

「ああ。彼女は、十二歳で成長を止めた。どうやって止められたのか、また、どうすれば成長が促進できるのか。全く目途が立たない」

「な、何故、母親は四年間も……」

「詳しくは中に入ってからだ。……愛、僕は全。君の治療を担当する」

「……ゼン。分かった」

 仕草も口調も、全てが子供だ。そして彼女は当たり前に全の手を取り、歩き出す。

 そして、一度は応接室に通され、そこで一通りの情報共有をする事になった。

「まず、彼女の状態についてだが、稀に現れる奇病である『小人症』と呼ばれるものに近いらしい。しかしホルモン状態は極めて正常値を保ち、脳波なども調べたが、精神状態も外見相応だという」

「資料にもありますね。母親の虐待を疑ったが、暴力などの痕跡、トラウマによるパニックなども見受けられず、母親自身、愛情を持ち接していると断言し、娘である当人もその事実を認めている、と」

「では、成長が止まった理由は、当人に聞いたのでは?」

「……資料にもあるが、たった一つしか理由が無いらしい」

「理由……はっ?」

 時雨がその項目を読んだ瞬間、ぽかんとした声を上げた。

 全は改めて、目の前でココアを飲む少女に尋ねる。

「愛。君はどうして、子供の姿を望むんだ?」

「……愛して欲しい。マナを」

 ふっと向けられたのは、虚ろな瞳。成長を喜ぶのが親だろうに、親はそれを容認しなかったということだろうか。

「お母さんは、君が大人になって欲しいと言わなかったのか?」

「言った。でも、マナはこのままがいい」

「当人に意欲がまるでないじゃないですか。治療以前の問題です」

 時雨が面倒そうに呟くが、全の中では愛の矛盾が気になっていた。

「大人になっても愛されるのに、どうして今のままでは駄目なんだ? 君にとって、大人とは?」

「ママ、マナの事をデザイナーベビーって言った。だから次は、マナがそうする番だって」

「!」

 全も時雨も、父でさえ息を呑む。

「君は、その意味が分かってる?」

「調べた。全部」

「自分が作るだけじゃ飽き足らず、娘にまで……とんだ毒親ですね」

「いや、そう決めつけるのは早計だよ、時雨。……こうは考えられないだろうか? 彼女の母親は「娘が望むデザイナーベビーを産んで欲しい」と」

「違う。ママ、マナを愛するって言った。デザイナーベビーを産む為に」

「打算のある愛情、なんてものに縋っていたわけね」

 吐き捨てるように、時雨が言う。彼女は親とも縁を切っている。相当に揉めたらしいが、詳細は知らないままだ。

 ともあれ、彼女が成長を止めた理由は何となく理解した。

 同時に、彼女が心変わりをしなければ、これはどうしようもない、とも。

「ねえ、ゼン。マナを愛して」

 いつの間にかすぐ傍に寄っていた愛が、全の白衣の袖を引き、まっすぐ見つめてそう言う。

 いくら同じ生まれと言っても、環境が違えば思考も違う。

 全には、彼女を愛する術など思い付かない。

「僕は愛なんて分からない」

「……そうだなあ。情はあっても、薄いというか、気にしないというか……」

 父にも肯定されるが、嘆かない辺り、割り切りがいい。

 しかし時雨は、愛の行動、そして言動に明らかに苛立っていた。

「放しなさい、愛。あなたの子供で居ながら打算的な欲求の為に、我々は貴重な時間をあなたに費やす事になる。迷惑をかけていると自覚して、早急に成長をするように」

「…………成長したら、マナはデザイナーベビーを産む。ママが願った通りに」

「そうです。それがあなたに求められている役割です。嫌だろうが、我々はどんな手を使ってでも、あなたを成長させますので」

 時雨はほぼ臨戦態勢だ。そこまで敵意をむき出しにされると、全としてはやりづらいのだが。

 しかししばらく黙った後、マナは全から手を離し、元の場所に戻って残りのココアを飲み干した後――それを、床に叩きつけた。

「なっ!?」

「子供の癇癪ですか? みっともない」

「……違う。ココアは好き。カップはマナ」

 表情一つ変えない愛の言葉に、全は床に膝を付いて、その意味を考えた。

 好きな飲み物を飲み終えた瞬間、割られた器。それを愛は己に例えた。つまり、これは今の愛自身が感じている境遇だ。

「愛。これを、他の先生の前や、母親の前では?」

「していない。悪い事をすると、薬を飲まされるから」

「それはそうでしょう。今のような、突発的な癇癪など――」

「時雨。黙ってくれ。これは、そうじゃない」

 全は時雨の苛立ちを遮り、床に割れたカップを示して続けた。

「愛にとって、中身のココアは愛されている状態だ。それが空になったら、容赦なくこの器のように、愛という意思は必要とされなくなる。成長が必ずしも、愛の為になるわけじゃない。むしろ、こうなるのを避けている状態なんだ」

「……何ですって。じゃあ、その子は」

「母親が何を求めているか、そして自分がどうなるか、分かり切っているんだ。十二歳の時点から」

「赤い血が、出た日。ママは一番喜んだ。そして、ママはマナをこうすることに決めたって、分かった」

「…………初潮か。子が生まれる体になったと分かって、自分の欲望を素直に娘に伝えてしまったようだ。それも、悪意なく。……これは、確かに専門家でも厳しい問題だろう」

 父がため息をつく。

「時雨。君は、彼女にこのカップのようになれと言ったんだ。分かるか?」

「っ……」

 さすがに、言われた意味は理解しているようだ。時雨はばつが悪そうに小さく頷く。

 しかしすぐに、愛を睨みつけた。

「だからと言って、このままにはしません。早急に成長を促すホルモンを投与。その上で自立心を養い、早いうちに諦めてもらいます」

「人間嫌いここに極まれり、か。……僕はあまり賛成しない。同じデザイナーベビーとしてではなく、人間として。本来、体の成長は簡単に止められるものじゃない。よほどの何かが無ければ、意思とは無関係に育つものだ。けれど彼女はそれが出来ている。成長を止める為に、ホルモンの分泌を可能な限りまで抑え込んで四年も過ごした。……諦めさせるのは、無理だと思うよ」

「では全! あなたが彼女を治せると? 私はこの件に関して、協力を拒否します!」

「……その方がいいだろうね。君の治療法は、ある意味では最短で正しいと思う。でも、それは助けるのではなく、破滅へあえて向かわせようとしている事になるんだ」

 割れたカップを片付けながら、全は言う。

 愛はそれを見ながら、また呟いた。

「マナ、愛して欲しい。ママは、マナがこのままなのは、駄目って言った。マナを愛さなくなるママは、要らない」

「とんだ我が儘娘ですね! 所長、私は失礼します。正直、彼女が居なくなるまで、他の研究を手伝った方がよほどましです!」

「僕のレポートはどうするの?」

「出来たら外に出して下さい。定期的に取りに行きます」

「そこまでか。分かった、しばらくは愛と二人きりでいろいろと治験してみるよ」

 時雨が人間に強い嫌悪を見せるのは、これが初めてではない。だが、こんな状態の彼女では仕事に支障しか出ないだろうし、マナの治療にも良くないだろう。

 そう判断して、全は掃除後、改めて愛を自室に連れて行った。

「君の部屋はすぐ隣。必要な設備は揃っているはずだから、欲しい物があったら言って」

「……ここに居るのは、駄目?」

「別にいいけど、僕は僕の仕事もある。君にだけかかりきりにはなれない」

「じゃあ、本、読む」

「どんな?」

「何でもいい。全が書いてるそれも、本?」

 示された紙束は、レポートだ。丁度、楽園症候群のレポートを一度読み返したばかりでもあったのだ。

 ただし、書いたのは父親で、全ではない。

「未知の病気についてのレポートだけど……まあいいか」

 楽園症候群のデータは行き詰まっている。詳細な情報がこれ以上集められない以上、凍結の日も近いのかもしれない。

 そうなる前に、一人でも多くの人間が目を通して、せめて名前だけでも知ってもらえれば、と全はそれを渡す。

 愛はそれを抱えて、備え付けのソファに座り、大人しく読み始めた。

 さて、自分は残りのレポートを片付けよう、とパソコンの前に座る全は、そういえばまだ今日はコーヒーを入れてないと気付いた。

「愛、コーヒーは飲める?」

「お砂糖、いっぱい。ミルクも」

「分かった。インスタントだけどね」

 そう言って、二人分のコーヒーを淹れる為にお湯を沸かす。

 合間に、読んでるのか分からない速度でページをめくっていた愛が問いかけて来た。

「ゼン。楽園症候群は、ホントに原因が分からない?」

「……そうだね。施設内部も調べた限りでは、何も無かったようだよ」

「怪しい実験、してるって、書いてある」

「それは、今で言う僕達のような存在を集めて、どこまで健常者に近付けられるかの実験だったようだね。手始めに男女ペアで一つの部屋に押し込めて、恋愛感情を増幅させようとしたみたいだ」

 説明しながら、その手法を全は思い出す。音によるもの、距離によるもの、接触によるもの、言葉の交わし合いによるもの。あらゆる方法を使ったとされている。中には薬物を使い、強引に情事をもたらした事さえあったと書かれていた。

 そこまでする価値が、恋愛感情にあったのか。今も理解は出来ない。

 だが、愛が不意に呟いた。

「声。音。距離。接触。全部、相手に伝わるもの。方法は、これなら一つで十分」

「えっ」

「全部、一つだけで解決できる」

 愛の理解力にも驚いたが、そこからのアプローチにも全は驚愕していた。

 丁度お湯が沸き、全は二人分のコーヒーを淹れ、片方の甘くした分を愛に渡す。

「それで、どれで解決出来るの?」

 待ちきれずに問いかけると、レポートを置いて、ふうふうとカップに息を吹きかけていた愛は、顔を上げずに答えた。


「声」


「えっ……声? それだけ?」

「うん。簡単。声の、周波数を変える」

「か、変えるって、そう簡単じゃ」

「……ここ、見て」

 カップを一旦置いた愛が、レポートの一部を示す。

 そこには、声による相性について軽く書き流されていた。


『――ここで、施設では互いの声において「気持ちいい」と感じる声の相手と組ませたという。不快な思いを極力避ける為の措置であると思われる』


 全としては、全く気にかけていなかった部分。まあそれくらいは当然かな、という程度だった。

 だが、愛はそうではないらしい。

「マナ、分かる。人の声はみんな違う。ママの声はどんな時も、気持ち悪かった」

「他の人は?」

「シグレ、怖い。ミノル、悲しい。ゼンは……不思議」

「不思議?」

 同じデザイナーベビーだからだろうか、と思ったが、マナはじっと全を見つめて言った。

「ゼン、マナを愛して」

「…………また、それか。どうして僕? 仲間意識でも感じた?」

 愛など分からない、と教えた気がするのだが、それでも求める何かがあるのだろうか。

 答えを待っている全に対し、マナはレポートを指さす。

「声。愛して欲しい声、ゼンの声」

「……何だって?」

「マナ、沢山の人に、愛してって言った。みんな、色んな答えをくれて、だけどマナが欲しい声じゃなかった」

「声で、そこまで……?」

「この人達も、多分、そう。愛して欲しい声と、一緒だった」

 たった、そんな事で。だが、されど、そういった些末な事が大事なのだ。

 全は慌ててパソコンに向かう。

「愛、悪いけど僕はその仮説について検証レポートを作る。愛はその辺にある筆記具を使っていいから、気が付いたところに印をつけるなり、書き込むなりして欲しい。出来る?」

「出来る。分かった」

 あっさりと言い切る愛に頷いた全は、久しぶりに集中して仮説レポートをかき上げていった。

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