46.いつまでも可愛すぎてつらい

 辺り一面芝生に覆われた広場は、青々としていて美しい。元から庭師によって敷地内は綺麗に整備されていたが、ここ最近は特に力を入れて手入れされている場所でもある。


 アッシュグレイの髪は陽の光に反射して、銀糸のようにキラキラと輝いていた。その後ろにはそっくりな毛色の犬が嬉しそうに追いかけている。チェルシーは芝生の上の敷布に座り、その光景を眺めた。


 美しく整えられた庭園もよく見え、ここはチェルシーのお気に入りの場所である。


「寒くはありませんか?」

「大丈夫よ、マリー。寧ろ少し汗ばむくらいだわ」

 チェルシー専属の侍女となったマリーは、主人の様子を注視しながらも問題なしと判断した。しっかりと見守っているようにとフレッドから散々言いつけられてもいるが、マリー自身、チェルシーを純粋に慕っているから言われなくとも十二分に気を付けていた。

「飲み物でもいかがですか?」

「んー、今はいいわ。それよりマリーものんびりしましょ。じきに暑くなってこんなふうに外で日向ぼっこもできなくなるもの」

「ちょうどいいかもしれませんね」

 マリーの言わんとすることが分かったチェルシーは「それもそうね」と笑った。


 のんびりとした昼下がりは、時間がゆっくりと流れているようだ。


 もう少ししたらマリーがバスケットから、焼き菓子を出してくれるだろう。その匂いに釣られて戻ってくるか、それともお腹が空いて戻ってくるのが先か。


 チェルシーは横で寝そべっている灰色の毛並みを撫でた。最近は一日のうち、ほとんどを寝て過ごすことが多くなった彼は、少し耳が遠くなったが、それでもまだ足腰もしっかりとしている。


「今日もお昼寝日和ね、ペス」

 寝てはいるが意識はあるのか、ペスは小さく「わふん」と溜め息のような返事をした。


 ――念願が叶ってペスと再会したとき、子犬のころの印象しかなかったチェルシーは驚いた。まるで狼のように立派な体躯をしていたからだ。


「え?もしかしてペスって狼だったのですか!?」

 と、そう思ってしまったのも無理はない。

「私ももしかしたらと動物を専門に診ている医者に聞いてみたが、特徴的にもペスはれっきとした犬らしい」

 そうフレッドは言うが、あまりの大きさに怯んでしまう。しかし尻尾を左右にパタパタと振りながら耳を倒し、「キュンキュン」と鼻を鳴らすペスの表情に警戒心はなく、寧ろ嬉しそうに見えた。

 見た目は狼のようにかっこいいのに、なんて可愛らしいのだろう。手を差し出せば、少し嗅いでから撫でろと言うように鼻で手を押し上げて額を押し付ける。乞われるまま頭を撫でると嬉しそうに目を細めた。


(まぁ、こんなところまでフレッド様そっくり……)

 とは、さすがに口には出さなかったけれど。


「可愛くて、とてもお利口さんなのね」

「奥様に助けていただいたことを覚えているのかもしれません」

 現在の飼い主である執事のハリスは、ペスのリードを少し緩めてそう言った。一応もしものために短くリードを持っていたのだが、見た目に反して穏やかな犬だ。撫でて欲しいと強請った相手に襲い掛かるようなことはしない。


「ちょうどこの子のお嫁さんが二回目の出産をしたので、もう少ししたらお見せしましょう。とても愛らしいですよ」

「まぁ!そうなの。あなたもうパパなのね」

「前回は全員貰われていきましたが、今回は残しましょうか?」

「そうね、できればそうして欲しいわ」


 チェルシーがそういえば決定事項だ。それがランサム家の家訓でもある。


 暫くして見せてもらった子犬は、いつかの捨て犬とそっくりであった。やっぱりこのペスは、正しくあの日のペスであったのだ。



 そうして残された子犬は、今となってはチェルシーの隣で寝ているペスと変わらぬ大きさに成長した。寧ろ若い分、雌ではあるが、しっかりとしていて大きく見える。


(生命はこうして繋がれていくのね……)

 と、目の前の光景を見ながら、想いを馳せる。


「そろそろティータイムにしましょうか」

 マリーがバスケットの蓋を開けると、寝ていたはずのペスが顔を上げる。厨房で特別に作らせた砂糖抜きの固焼きビスケットを、マリーがチェルシーに手渡した。

「あなたたちはこっちね」

 小さく割って差し出せばガリガリといい音を立てて食べている。歯もまだまだ丈夫だ。


「ワンッ!」

 父がおやつをもらっていることに気付いたのだろう。軌道を変えたアッシュグレイの塊が、鳴きながら弾丸のように向かってきた。上手にチェルシーの目の前で止まり、行儀よくお座りをする。瞳はキラキラと輝いていて、愛らしさにチェルシーは目を細めた。


「焦らなくても沢山焼いてもらったから、まずはお水を飲みなさいな」

 ボウルに入れた水を芝生の上に置くと、勢いよく水を飲み始めた。ビスケットをあげる役目は、彼に譲ってあげなくてはならない。


「待って!おかあさま!僕がアイリスにおやつをあげたいです」

「はいはい、分かっていますよ」

 チェルシーによってアイリスと名付けられたペスの娘が、一生懸命水分補給をしている間に、漸く追いついた愛息子に微笑みを向けた。フレッドにそっくりの髪質は風を受けて、あちこちにピンピンと跳ねている。

「まずはアンディーもお水を飲みましょうね。お菓子はそれからです」

「お坊ちゃま、どうぞ」

「ありがとう。いただきます」


 礼儀正しくコップを受け取ったアンディーは、それでももうすぐ四歳になるところ。両手でコップを持つ様子が愛らしい。

 フレッドも幼少期はこんなに可愛らしかったのかしら?と思わずにはいられないほど父子はよく似ていた。しかしチェルシーを熱く見つめてくれる臙脂色の瞳とは違って、アンディーはチェルシーと同じエメラルドグリーンの瞳をしている。


 立ったままのアンディーとお座りをしたアイリスは目線の高さが同じだ。けれど小さな主人が大好きなアイリスは、ビスケットを食べさせてもらうのをジィッと我慢して待っている。アンディーもハリスに教えてもらったように、しっかりと指示を与えているが、アイリスの方が付き合ってあげている感は否めない。


「チェルシー、アンディー」


 その様子を微笑ましく見ていると、背後から声が掛かった。チェルシーはもちろん、マリーもそろそろだと予測していたのだろう。カップに紅茶を入れると立ち上がり「御用があればお呼びください」と屋敷の方へと戻っていった。


「おとうさま!お仕事は終わったのですか?」

「ああ、急いで終わらせたよ」


 アンディーとアイリスの頭を撫でて、マリーと入れ替わりに敷布の上に座ったフレッドはチェルシーを背後から抱きしめた。肩越しにキスをしながら、大きく張り出したチェルシーの腹部を優しく撫でる。


「チェルシー、体調はどうだ?今はあまり張っていないようだが」

「ふふ、のんびり座っていたら治まったみたいです。でもそろそろかもしれませんね」

「そうか。アンディーの時の緊張感を思い出すな。しかし次は経験者だから落ち着いて対処できるはずだ」

「期待してますね。フレッド様のおかげで今回も心強いですわ」


 フレッドは元騎士の領主であり、応急処置の心得はあれど医者でも産婆でもない。しかしアンディーを身籠った際に熱心に勉強をした結果、産院や小児医療に特に力を注いだ。そのため領内の出生率が急激に上がったという逸話がある。医療の講習会などにも積極的に参加しているらしい。


 当のアンディーがそのことを知る由もなく。来るや否や母に全力で構い出す父が大好きではあるが、面白くなかった。アンディーにとってチェルシーは優しくて可愛くて大好きな母だ。それなのに父がいつも母を独占してしまう節があることに気付き始めていた。

 幼いながらも、お腹が大きいチェルシーを慮って抱き付くのを自重しているだけに、背後からすっぽりと抱きかかえているフレッドに嫉妬を覚えてしまう。


 アンディーは対抗して、チェルシーの腕にしがみ付いた。優しく頭を撫でられて、ささくれた心が解けていく。が、しかし父に負けるわけにはいかない。いつからかフレッドを、ライバルだと認識するようになった。


「おとうさま!また執務室からここを見ていたのですね!ハリスに怒られますよ!」

「なっ!私はちゃんと執務もしていた。きちんと今日の分は全部仕上げてきたからな」


 ここ最近のアンディーはフレッドに負けていなかった。主張をしていかないと、いつの間にか母をどこかに連れていってしまうこともある。

 夜だって、アンディーは既に一人で寝ているというのに。要するに「ズルい」の一言に尽きる。母も母で、物静かなくせに意外と強引な父の好きなようにさせているのもいけない。


 そっくりな親子に挟まれたチェルシーは、いつものことなので微笑んで見守っている。お腹の子も、また始まったとばかりにポコポコと動き出した。愛する夫と息子に挟まれてなんて幸せなのだろう。そしてもうすぐ一人、愛する存在が増えるのだ。


「次が女の子だったら、絶対僕を一番に大好きになってもらいます」

「そうか、私にはチェルシーがいるからそれは譲ろう」

「おかあさまにそっくりな女の子は可愛いだろうなぁ」

「む……。私は出会う前のチェルシーを知らないから、それはとても貴重な体験になるかもしれない……」


 ブツブツと考え込むフレッドを尻目に、アンディーはこっそりとチェルシーの頬にキスをする。それに気付いたフレッドも負けじと反対側にキスを落とす。


「ふふ、今日も二人が可愛すぎてつらいわ」

 思わずそう呟いてしまったチェルシーに、目を丸くしたアンディーは首を傾げた。


「おかあさま……。どこかつらいの?」

 心配そうな表情に、しかしどう説明していいのか分からない。なんせチェルシーもそれを知ったのはフレッドと結婚して少し経ってからだ。


 上手く説明できず困惑するチェルシーと、心配そうな息子を見てフレッドは心の底から思った。


(可愛すぎてつらい)


 と。



 ー完ー

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可愛すぎてつらい 羽鳥むぅ @muuanacreonstar

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