楽園の終わり II
七日目。地下には数kmにわたって《アセンブラ》によって建造された空間がある。その先が目的地だ。前日に用意しておいた登山セットを身に着け、取り寄せたご飯をバックパックに入れる。
蓮は、敷き詰めておいた布団に着火し、少し離れて見ている。やがて中庭の木が燃え上り、煙が天井を覆いつくした。炎は力強さを増し、輻射熱が蓮の肌を焼く。蓮は慌てて非常扉の前まで移動し、炎の陰に隠れるが、まだ非常扉は開かない。
蓮がいよいよ息苦しさを感じてきたところで警報が鳴り響き、扉が解錠された。急いで入り、火の手を防ぐように後ろ手に扉を閉めた蓮は、無骨な金属の足場と狭い通路を素早く潜り抜けると、広く薄暗い空間に出た。
金属製の手すりがある。蓮は、恐る恐るせりだして下を覗いた。ライトアップされた、コンクリート製のジャングルジムのような格子が無限に下まで広がっている。一辺が数mで、それぞれの梁にはケーブルかレールか、様々な太さで蔦のように絡みついている。蓮が今いる通路もその一つだ。今まさに燃えている施設を修復しようとしているのか、物資とロボットが乗っているであろう小型コンテナが見渡す限り蠢いている。
機械たちの奏でる、モーター音、風切り音、電子音。蓮は、小型コンテナが自分に衝突しないか恐る恐る周囲を見わたしながら、ひとりで階段を降りていく。数分おきに階段は不規則に向きを変える。壁面にはぽつぽつと小さいトンネルがあり、そこからも機械が出入りしている。降り始めて十分ぐらいが経った頃、50cmほどの箱状の機械が死角から突如、蓮の目の前に現れた。
「ご注意ください。当施設は災害対処中です。避難は…………….」
機械の言葉が途切れる。
「不明なエラーが発生しました。ゴチュウイクダサイ。」
そう言い残すと、蓮を避けて別の方向に去っていった。
最初は異界の自然とも思える風景に圧倒されていた蓮だったが、しばらくすると慣れてきたのか、足取りが軽快になっていく。まるで初めてのピクニックにでも来たかのように。
下り始めて数時間後。数m四方の開けた場所にたどり着いた蓮は、いったん休憩をすることに決めた。暑苦しい上着を脱ぎ、座り込んでサンドイッチを食べる。どのぐらい歩いたのか確認するためふと上を見上げると、入り口ははるか遠く、長いトンネルの向こうの夕焼けのようだった。この距離では、非常灯の光なのか、燃えているのか、区別はつかない。機械たちの動きは最初よりも静かだ。炎が落ち着くのを待つ方針に切り替わったのかもしれない。
最下層の工事端末は、緊急時でなければ一般人である蓮には操作できない。あれだけ派手に放火した施設の修復には半日はかかるだろうが、数日の猶予があるわけではない。そのことを思い出し、程よい疲れの中で昼寝したい気持ちを抑え、蓮はふたたび歩み始める。
終わりのない下降に疲れ果て、周囲を見る余裕すらなくなっていた蓮だったが、唐突に途切れた階段に注意を引き戻された。途切れた階段のわずか10cm下には生の岩場がみえている。真横の壁の一角は10mほど切り取られており、その奥には広大な空間が存在していた。蓮の背ぐらいある真っ白な箱が全方向に積み重ねられて煌々と照らされている。《アセンブラ》を制御しているデータセンターだ。これを破壊すれば全てのロボットは停止する。
反対側の壁には、第二期工事横杭と手書きされているトンネルが掘られているが、舗装もされずに3mほどで止まっている。人類文化持続機構が、なぜここで工事を中断したのか、それは歴史の闇の中だ。過去のニュースを思い出そうとしていた蓮だったが、気を取り直してあたりを見回すと、プレハブ小屋が見えた。
数人で手狭に感じるだろうプレハブの中には、簡素な椅子とテーブルと、建設会社のロゴ入りの黒いゴーグルがあった。蓮は座ってゴーグルをつける。暗い空間に文字が浮かんでいる。
「自動化建築法325条に基づく災害により全機能をご利用できる状態です。全ての行動は記録され、過度な使用は処罰の対象となる可能性があります。」
これだ!工事端末だ!喜び、即座にジェスチャーで了承する蓮。
プレハブの中が見えるようになったかと思いきや、壁や床が半透明になり、緻密な青い線が描かれていく。《アセンブラ》の状態と建築図面だ。上を見上げると、数えきれないほどの線が束なって、青い光の柱としてそびえ立っている。階段の一段一段、それぞれがどう製造されて、設置されたか。数十万の機械が今何をしているか。全てが見渡せた。青く輝く極小の文字と線が現れては、瞬く星のように消えていく。
最上部には赤い膨らみがあり、柱の上部にも赤が漏れている。火災によって破損した部分だ。炎によって刻一刻と変わる状況に対して、観測用の機械を囲むように配置して、損耗しつつ、時たま消火剤を投入しているのが見える。蓮の自室も燃えているようだ。
複雑な攻防に見とれていた蓮だが、気を取り直して横のデータセンターを見る。ここもまた青く輝いている。モードを切り替えて、「撤去」を選択する。データセンター全体を領域指定し、優先度を最大まで連打して上げる。数秒経つと、実行計画のシミュレーションが表示された。
これを承認したら、《アセンブラ》は破壊される。
《アセンブラ》が停止すれば、炎は階段と施設を燃やし尽くし、地上に戻れることは無く、ナノドラッグも投与できずに死ぬだろう。そのまま引き返せばいずれ施設は過去の姿を取り戻し、終わりのない生活に再び組み込まれるだろう。誰にも顧みられることのない、永遠の孤高に。
蓮は深呼吸して、震える手で破壊を実行する。
爆発が起きることはなかった。しかし、ゴーグルを通して見える情報風景は劇的に変わっていた。上から急速に青い塊が降りてきている。数分経つと、地響きが蓮の耳にも聞こえてきた。思わずプレハブの外に出ると、ロボットの大群がいた。村人を襲っていた集団の数十倍の規模で、黒い波のようにデータセンターを飲み込んでいく。白い箱が、ときたま火花を散らしている。《アセンブラ》が徐々に動作不良に陥っているのか、フレーム落ちしてるかのようにぎこちなく動くロボットたち。
そしてその時が訪れた。ロボットは一斉に動作を停止して、力を失い崩れ落ちた。ゴーグルの光も消えていて、小さくエラーが表示されている。ゴーグルを残しプレハブを出た蓮は、もと来た場所を見上げる。空間を均一に照らしていた照明は消えて、はるか上を炎が赤く照らしていた。ときたま落ちた物が鐘のように長い残響を奏でる以外、完全な静寂に包まれた。
蓮は10分ぐらい立ち竦んでいたが、やがて階段に座り込んだ。端末はネットワーク圏外を示している。暇になった蓮は、バックパックに入っている物を思い出した。
人類の文明すべてが収められたデータクリスタル。お守りとして持ってきていたが、道中使うことが無かったものだ。端末に接続すると、蓮が数百年前に作ったデータも映し出された。完璧な作品だった。蓮は、それを自分が作り出したという誇らしさと懐かしさとともに、もう手が届くことのない寂しさを感じる。
数時間後、端末の電池は尽きかけていて、暗くなったディスプレイは不安を掻き立てる。蓮はバックパックの中から急いで燃やせるものを探して、少し開けた場所に移動すると焚火をした。光と温もりを感じつつ、電池が切れた端末を横に、仰向けに寝そべる蓮。
施設からの光は、燃え尽きたのか、鎮火されたのか、見えなくなっていた。暗闇の中見えるのは、一面にまぶしたような非常灯の白く心細い光だけ。データクリスタルを手に取って掲げてみると、焚火の光が複雑に反射されて虹色に煌めいた。
ぼーっとしていた蓮だったが、肌寒さを感じて焚火と向かい合う。この広い空間で動くものは蓮だけだ。身体の震えを抑え込むように、クリスタルを両手で抱きしめる。データから、他人の存在を、温もりを読み取ろうとするかのように。
全身の疲れを感じ、目を閉じる。焚火のはじける音と、燃える匂い、鼓動。蓮は夢を見る。澄み渡った星空のもと、地面に横たわる…
五十年後。
魔物の襲撃は無くなっていた。人々を覆っていた諦めは徐々に消え、各地の町はかつてないほどの活気に包まれていた。過去を知る老人達は魔物について話すことを避けたがったが、抑えられない好奇心を持つ者もいた。そんな青年の数人が、よく魔物が出ると言い伝えられている森に分け入った。真四角な、明らかに自然のものでも、自分たちのものでもない建物が、半分崩壊しているのを見つける。恐る恐る中に入る青年たち。握りこぶしほどの綺麗な色の塊が、沢山土に埋もれかけていた。大事に町に持ち帰えられた、未知の技術で精製された物質の数々に、職人たちは歓喜の声を上げた。
人類の手が届かない程の山奥、人々にとってまだ神話の領域。人類文化持続機構の施設は散乱したコンクリートに面影だけを残し、中庭には植物が生い茂っている。《アセンブラ》の中核があった空洞、その最下層では、骨だけになった蓮の手が、大切にデータクリスタルを抱えている。
旧人類の知識は眠りについた。いつか再び、人々に見出されるまで。
楽園の終わり 雨結 基葉 @amayui_motoha
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます