楽園の終わり I

 蓮は最初に目覚めたのと同じ液体に浮かんでいた。リストバンドも真新しくなって腕についている。数百年蓮の身体を生かし続けた医療システムは、ささやかな反抗もあっけなく鎮圧してしまった。蓮は無力感に涙を浮かべる。そんな中、医療AIの声はリストバンドとナノドラッグの注意事項を並べ立てていた。AIには世界の状態を理解するような知性はない。聞き流していた蓮だったが、無性に怒りが湧き上がってきた。プログラマーにか、この施設を作った国にか、それとも自分自身にか。よくわからないままに、新しいリストバンドを引きちぎり、小さなテーブルをモニターに投げつけた。

 しばらく後、割れたモニターはグリッチを映し出し、医療AIは沈黙し部屋は静まり返っていた。やるせなくなった蓮は部屋をそそくさと立ち去った。蓮はいつの間にか怪我していた腕を触りながら、とぼとぼと自室に向かう。これが骨折だったら、どうなってしまうんだろう。医療システムに半ば無意識に依存していたこれまでには感じたことのない不安。自室に着いてからも心は晴れないまま蓮は眠りについた。


 翌朝、蓮はまるで憑き物が落ちたように、うって変わって爽快に目覚めた。はるか昔に作った「極めたいことリスト」を見ても、他人が書いたように感じる。皮肉にもナノドラッグでの治療によって明晰な思考能力を取り戻した蓮にとって、為すべきことは明確だった。


 《アセンブラ》の停止。


 前回ナノドラッグを使わなかったときは一週間で意識を失ってしまった。一週間で全てに片をつけよう。そう決めて、蓮は動き出した。


 ナノドラッグプール内で固形食を食べていなかった蓮は空腹を感じる。思い浮かんだのはカルボナーラと紅茶。詳細な製造工程は知る由もないが、有機物は外界に与える影響が小さいはず。そう自らを納得させつつ取り寄せる。

 食べながら、500年近くも稼働し続けている《アセンブラ》システム全体を制御しているAIに思いを馳せる。AIは多くの専門領域では人間を凌駕したものの、設定された目的を淡々と枠内でこなすだけの存在だ。この施設の医療AIのように。システムの設計意図とかけ離れた行動に対しては脆弱なはずだ。

 何にせよ、解があるとすれば世界でもっとも情報があるこの施設だった。不安を覚えつつアーカイブを調べていた蓮だったが、糸口はあっけなく見つかった。過去に政府が公開した資料のいくつかが、この施設を詳しく解説していたのだ。《アセンブラ》の全てはこの施設の地下にあるデータセンターから遠隔で制御されていて、末端のロボットに自律行動する機能はない。資料は施設の先端性と自国の優位性をやけに力説していてプロパガンダめいている。《死の光》後、紛争が絶えなかった情勢では、制御を一か所に集中させることで国の製造技術の全てと言っても過言ではないデータが他国に漏れることを回避したかったのかもしれない。

 制御用のデータセンターは地下にあって、大きさは100m以上あるらしい。この施設の全てと同じく、破損個所は《アセンブラ》自身によって修復される。思いのほか難攻不落だ。手動で一つ一つ壊していては、あっという間に修復されてしまうだろう。

 蓮は100m以上のものを一斉に破壊する方法に思いを馳せる。爆発物をつくれるだろうか。基本的に施設内では安全なものしか入手できないことになっているが、組み合わせて爆発物になるものはいくつもある。とはいえ、100m以上を破壊できる爆薬を手で作るのは現実的に思えなかった。ハッキングで一斉に停止できないだろうか?かなり厳重な政府施設で、それほど簡単にいくだろうか?


 方法を思いつき、欠陥を見つける。数十回の繰り返しを経て、焦り始める蓮。そうして4日目、ついに解を見つけた。法的な抜け穴だ。《アセンブラ》による建設は、自動化建築法という法律で規定されていて、そこに穴があった。

 人間は、昔から機械に命の判断を預けることを嫌悪してきた。これだけ自動化が進んで、大体の判断はAIが行う方が安全でも、命が絡むと人間に大きな裁量がゆだねられる。これが自動化建築法にも盛り込まれていて、緊急時には全てのドアは解放されるし、工事端末は誰でも何にでも使えるようになる。ただし、その行動は厳密に記録され、責任を負うことになる。

 これだ!と喜ぶ蓮。施設の建築物IDで《アセンブラ》のログを検索すると、この施設の建設過程が見れた。人間による最後の操作ログは数百年前で、この施設の地下5km、最下層に位置する工事端末から送られたものだった。


 うきうきと中庭を歩き回りつつ、「非常時」をどう作るかを考える蓮。過去の文献は、該当するものをいくつか示していた。市民複数人が負傷していること。一定以上の建物の破壊。火災。一番簡単そうなのは火災だ。

 蓮は試しに一つ布団を取り寄せる。屋内で放火する体験に背徳感を覚える蓮。火が付くと、しばらく燻っていたが、10分ぐらい経つと1mほどの炎をあげて燃え尽きた。コンクリート部分で試したこともあってか、建物自体は若干焦げただけで、警報が鳴り響いたりはしなかった。燃えた後の、苦みのある臭いがまだ漂っている。


 味を占めた蓮は、布団を大量に取り寄せた。時間差でどんどん届く荷物を部屋の外に運び出す必要がある。まるで引っ越しをするように、中庭に運び出していく。蓮が数百個の布団を積み上げた頃には夜になっていた。布団が広がっている非日常感からか、上で転がって遊んでいた蓮だったが、ふと疲れを自覚すると大の字になって空を見つめていた。

 次の日。蓮は筋肉痛を感じつつ目覚めた。地上と地下を結んでいるのは、階段なのか、エレベーターなのか。いずれにせよ数km降りて行かないといけないことは確実だった。蓮は初心者向けの登山セットと動きやすい服を取り寄せて試着するとその場で小走りした。そのまま、地下につながっている非常扉の位置を確認しに向かった。

 地下ではネットワークが使えるかもわからない。そう考えた蓮は、施設入り口付近に展示してあった「人類の文明すべてが収められたデータクリスタル」をデバイスごと外し、お守り代わりにバックパックに入れた。


 昼下がり、準備を完了した蓮は自室のソファでぼーっとしていた。きっとこの部屋で過ごすのも最後になるだろう。蓮には、この施設で目覚める前に過ごした人生の記憶が無い。この施設は蓮の世界であり、身体だった。それを自らの手で終わらせようとしている。その後は…どうなるんだろう。これまでと違う、有限の未来。何をするべきかは明らかだけど、何が起きるかは分からない。そんな不思議なもどかしさに、蓮は心地よさを感じていた。

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