ある秋の日、蓮は外で絵を描いていた。


 蓮は、目覚めてすぐは外に出るのを避けていたが、ロボットが襲うのは平地の集落ばかりということを知ってからは時々外に出て空気を吸っている。環境が維持されている施設内と違い、自然が生み出す匂いはいつも微妙に違っていて、ささやかな娯楽でもあった。

 建物の周りは小さい広場のように小奇麗に整備され、その奥には森がある。広場の中には、車の誘導用なのか、低めのコンクリートブロックがところどころに置かれている。そのひとつに座った蓮は横に水彩絵具を広げる。青く澄んだ空には雲が流れ、風で揺れる木々は橙色に輝いている。蓮はイーゼルに立てかけたキャンバスに熱心に向かっている。数時間後、ちょうど絵に一区切りつく頃には日が沈みはじめていた。満足げに画材を片づけ、自室に戻ろうと建物に向いた蓮は凍り付いた。


 出入り口の前には、ロボットの群れがうろついていた。


 急いでブロックに身をひそめる蓮。ブロックの間のわずかな隙間を通し、建物の陰から続々と出てくるロボットが見えている。夕陽で紫色に沈む中、ロボットのインジケーターが放つ光の点が蠢く。建物の周りを回っているようだが、全体としてはじりじりと蓮に近づいてきている。足音だけではなく、重々しい唸る低音も時折響いている。周囲は暗くなっていた。

 蓮は、施設を離れて森側に逃げようかと考えたが、真っ暗な森を見て瞬時に思い直した。地図もなく、野生動物が溢れる夜の森に飛び込むのは自殺行為だ。

 ロボットは地面を蹴るひとつひとつの足音がはっきり聞こえる距離まで近づいていた。蓮は、意を決して遠くのブロックに走って移動しようとするが、足がしびれていてよろめいてしまう。つるっと丸みを帯びたロボットの頭部と目が合った。

 蓮は死を覚悟した。しかし、何も起こらない。恐怖に凍り付いた蓮はロボットから目が離せない。だが、蓮にとっては永遠にも思える時間の後、ロボットは軽やかに蓮を避けて去って行った。その後も次々とロボットたちは蓮を回避しながら歩いていく。蓮は呆気にとられた。ロボットたちは何かを運んでいるようだ。

 蓮はその後も音をひそめて群れを見つめていたが、ロボットたちは何事もなかったかのように建物の陰に消えていった。周囲は月明りと、鈴虫の声に包まれている。画材のことはすっかり忘れ、蓮は急ぎ足で建物に戻った。


 白い明かりに包まれた通路で、ドアが施錠される音を聞き、蓮は安堵にへたり込んだ。

 数分経っただろうか。蓮は、ずっと昔にこのあたりの部屋でロボットの動画を見たことを思い出した。画面を操作すると、すぐに動画が再生され始めた。画面の中には、数時間前の物陰に身をひそめる蓮自身が写っている。


 さらにボタンを押していると、《アセンブラ》のロゴと物品一覧が表示された。蓮には理解できない型番がほとんどだったが、一部は施設の中で取り寄せられたものだ。今日の絵具の名前も表示されていた。

 C - Cd - Se - O - N - …

 絵具の近くには元素記号が並んでいる。画面の大半は、千個以上ある箱を矢印で結んだ製造工程と思しき複雑な図を表示している。図の片側の端には絵具の型番がある。反対側に辿っていくと、大半はよくわからない記号だったが、端に近づくと、再び理解できるようになってきた。工場ID。在庫ID。様々な記号が並んでいる。

 原料側の箱の一つに警告マークがついている。蓮が押してみると、動画が再生されはじめた。木造の建物が立ち並び、二階建てのものもある。地面近くの、ロボット自身から撮られたであろう動画だ。

 男たちの集団が映る。職人然とした彼らの顔は一様に硬く、手には工具を握っている。そんななか、数人が意を決したようにハンマーでロボットに殴りかかる。30代中頃の男たちだ。彼らは赤く縁どられて、「国民ナンバー:無 / 国際共通ID:無 / 不法入国・敵対集団」と横に警告が表示されている。数秒後、倒れる男たち。

 色々な型のロボットが視界に現れ、町に向かって進んでいく。逃げ惑う人々の悲鳴と炎上する建物。呆然と見つめていると、焼け落ちた建物の中で、溶け固まった金属のようなものが映る。青のハイライト。含有成分、在庫ID…。略奪により得られた素材は、数千に及ぶ製品に使われていた。蓮が今日使っていた絵具にも。資源収集行動中インシデントレポート終了、と表示され動画は終わった。


 蓮はようやく集落を襲うロボットの正体を理解した。それらは《アセンブラ》の一部だったのだ。

 そして、《アセンブラ》のロボットは暴走しているわけではなく正常に動作している。ロボットは所有者のいない物質から資源を自動で得るようにプログラムされている。誰もが国民ナンバーや何かしらの識別コードををインプラントされていた時代の蓮と違い、文明崩壊後数百年の人々はいかなる国にも属していない。《アセンブラ》から見ると、施設以外はいかなる所有権も存在しない自然界の一部だった。

 資源を得るには、岩より精錬された製品の残骸のほうがコストが小さい。自動リサイクルを想定した機能だ。工業が発達し町が形成されると、《アセンブラ》が資源の存在を検知し、優先してそこに向かう。そこには、身分を違法に隠匿し、国家インフラである《アセンブラ》の末端であるロボットを攻撃する集団が居住している。紛争が絶えない世界でプログラムされたシステムが、そのような存在を排除するのは当然の振る舞いだった。

 外界の文明が発達しないのは偶然だと考えていた蓮だったが、その原因が《アセンブラ》にあることを知り、冷や水を浴びせられた気持ちになった。ふらふらと自室まで戻ると、そのまま明かりを消しベッドに潜り込んだ。


 翌朝、空腹で目が覚める蓮。指定しなかったせいか、自動で配送された焼き魚風定食の匂いが漂っていた。《アセンブラ》がどう作っているか分からない料理に蓮は手を付ける気になれず、トレーを持ったまま製造工程を確認しに向かった。食品のような有機物は地下のどこかにあるバイオリアクターで製造されていて、製造工程は各品目の由来を完全に明らかにしていた。昆虫や人肉由来ではないことがわかり、蓮はわずかに気を取り直したものの、その料理はかつてなく不味く感じた。

 《アセンブラ》システムの理解を深めようと、蓮は端末を見続けていた。《アセンブラ》の拠点は各地に千か所程度ある。地上部分にはロボットの出入口が、地下部分には製造システムがあり、拠点間は地下の輸送ネットワークで接続されている。《アセンブラ》は、システム自身、この施設、そして蓮自身を数百年間維持してきた。その過程で収集・製造された全てが記録されていた。その膨大な量と比べると、蓮自身が消費した量はごくわずかだったが、蓮の心が晴れることはなかった。


 蓮は目覚めてからの人生を振り返っていた。何かを極め、行き詰るたびに脳可塑薬でリセットする繰り返しの日々。朧げな輝かしい瞬間の数々を、満ち足りた閉塞感が包み込んでいる。

 この施設は、蓮の生命は、人々の犠牲の上に成り立っているものだった。存続している限り、人々の命と可能性を資源として消費し続ける。今や人類の最高到達点となった施設と蓮の、無限の生を維持するために。


 アーカイブのコンテンツは、蓮の感情をわずかになでるだけで流れ去っていく。安心して食べれるはずの食事も喉を通らずに、蓮はゼリーばかり食べるようになった。

 ナノドラッグを投与するようリストバンドが騒いでいる。放置していたが、しばらくすると電撃を与えられる。ナノドラッグを投与しないことは命に関わる。電撃による警告は安全措置だった。最初の二回は耐えていたが、三回目の痛みに、思わずナノドラッグを投与してしまう。蓮は惨めさに涙を浮かべた。


 次の日、ナノドラッグを投与せずにいるとリストバンドは警告表示を浮かべていた。意を決して蓮はリストバンドを切断し、捨て去った。


 そうしてナノドラッグを投与せずに一週間ほどが過ぎた日中。《アセンブラ》のログを見るためふらふらと歩いていた蓮は、廊下で十秒ほどよろめいた後、意識を失った。

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