空木

「ハッピーエンドなんて糞食らえ」

そう。かみじゃない。

 ――びりびりびり。


 予想より大きな音が立ち、周りのお客さんの目を引いた。一気に引き裂いた原稿の中では、汚い字がミミズみたいに踊ってた。……どんなに夢を描いても、僕の頭の肥溜こえだめに幸福な花は咲いてくれない。堕ちた果実は何をどうしても食べられない。

 僕はビリビリに引き裂いたそれを鞄にしまって、何事もなかったみたいにコーヒーをすする。

 静まり返った店内に、小さく流れるクラシック。どこかで聴いたような曲だった。


 やっぱり……ミルクを入れないコーヒーは苦い。カッコつけて角砂糖ひとつで飲みきろうなんて、僕にはまだ早かった。何だかぐったり疲れてしまって、もう帰って寝てしまいたかった。……全部終わりにしたかった。


「試作のケーキなんだけど、味見してくれない?」

 突然の声に振り向くと、店長のメルさんがケーキを載せたトレイ片手に優しく微笑んでいた。

 雪みたいな真っ白なチーズケーキ。滑らかでほんのりフルーティーな甘い香り。口に入れずとも感じる、きめ細やかな舌触り。滑るようにフォークの入る柔らかな生地。ワクワクしながら口にいれると、突如現れたシャキシャキ果実。……リンゴだ。ほどよい酸味があることで、甘いチーズケーキを飽きずに楽しめる。

 どんなに頬張っても、あっという間に溶けていく。優しく穏やかな余韻を残して……。

 夢中になって、食べてしまった……。ふと視線をあげると、さっき破った僕の原稿を読んでいるメルさん。


「……あっ!」

 全部、鞄にしまったと思って油断していた。

「あら、ふふふふふ。私は死んじゃうのね」

 カーッと湯気が立ちそうなくらい血が昇る。茹でダコみたいに真っ赤になった僕は必死になって言葉を探す。でも、彼は嬉しそうに微笑んで差し出した。

「ごめんね、勝手に読んじゃった♪

 良いじゃない。いっぱい悩んで苦しみなさい。世界に正解なんてないもんなのよ」

 それは少し予想外の反応で。キョトンとしていると、

「……完成したら、また読ませてね。

 諦めるなんて、許さないから」

 と、銀縁眼鏡の奥でウインクをして、さっさと厨房へと戻っていってしまった。あまりに絵になる彼のスマートな所作に、僕はふわふわ癖毛の後ろ姿をぼんやり見送った。


「……そうね。あの子には悪いことをしたかもね」

 隣の席で淡い髪の女性がポツリと呟いた。相手の声がよく聴こえなくて、何の話か分からなかったけど、お姉さんは少しスッキリしたように見えた。


 雑談する声が小さく飛び交う店内に低く流れるクラシック。曲名がのどまで出かけた気がしたのだけど、やっぱり思い出すことはできなかった。


 僕は不意に思いついて、角砂糖をひとつ入れた。鞄の中の紙切れを想う。……ミルクを少し入れてみてもいいかもしれない。ほんの少し。気持ちだけ。いや、……。


 そのとき、お店の扉が開いて、春の風が吹き込んだ。甘く優しい白い花。

「おまたせ!」

 大きな麦わら帽子の下で、にっと笑う彼からは『思い出』の花の香りがした。……そんな気がした。

『思い出』の花。そういうことにしておいて――

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棘々と輝く君は僕を映す おくとりょう @n8osoeuta

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