ばぁちゃんのクロゼット
有城もと
本文
年若い女の子達が、クロゼットの中に居る。どの子もみな色とりどりの服を手に取り、ほっそりと突き出た両肩に合わせてくるくると回っている。カーディガン、ツイードジャケット、セーター。所狭しと並ぶ服が、彼女たちの笑い声と昔何処かで聴いた様な音楽を吸い込んでいる。
「これ、どう? 可愛くない?」
「え、あぁ」
「あぁ、って。どっち?」
僕は彼女の摘んだニットを見つめながら、思い出している。
二年も経ってやっと手をつけた、ばぁちゃんの、クロゼット。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「ばぁちゃんこれずっと着てたなぁ」
「これもよぉ見た」
「こんなん今の子着てるよな」
「えー着てるかなぁ」
母と姉が山積みになった服を一枚一枚広げ、目を細めていた。どれも、見ただけでばぁちゃんの姿が再生される、古ぼけたVHSのようだった。
クロゼットの服を片付ければ、随分寝かせてしまった遺品整理は、おおよそ終了だった。仕分け終わった服を僕は車へ黙々と運んでいく。ばぁちゃんの服は、何十年も前の服とはとても思えないくらい綺麗な色で、きついナフタリンの匂いがした。
僕は、いつからかばぁちゃんに反抗的だった。ばぁちゃんは偏屈が服を着ているような人で、家族も医者もテレビも信用せず、素直に感謝する姿はみた事もない。口を開けば罵詈雑言で、娘である僕の母とは何かにつけひどい口喧嘩をしていた。
そのくせ、人一倍外面や体裁を気にしていたし、僕や二つ離れた姉にも、あれをしろこれをするなと、まるで親であるかのように口うるさかった。
僕はいつも怒っているばぁちゃんの言動がさっぱり理解出来なくて、何かを言われる度に「うるさいわ」「ほっとけ」等と安い言葉を売り買いしていた。イメージの中の孫と祖母とは完全に真逆で、自分が正しいかどうかすら、当時は考えもしなかった。
組んだ両の腕を下げきれないまま、年月だけが過ぎたある日の深夜。いつも通りノックもせず僕の部屋を開けたばあちゃんが「おかぁちゃんがおらへん」と呟いた。「どこ探してもおらへん」と。その瞳は悲しそうで、迷子の子供のようだった。
僕の心臓はその瞬間凍った手で握りしめられ、例えようのない感情に口が歪んでいた。
僕は心の何処かで、ばぁちゃんは老いやなんかとは全くの無縁で、どこか違う次元で生きている妖怪みたいな存在で、死神や閻魔さまにすら悪態をついて追い返すようなバイタリティの塊だと信じていた。
怪我をした時も、大きな病気をした時も、どんな時でも、心の底から、信じていた。けれどその一言はやっぱり、ばぁちゃんが、行こうとしている合図だった。
それからばぁちゃんは色んな事を忘れていき、同時に色んな事を思い出していった。食器の置き場所を探しながら、僕らには見えない母や先に逝った弟に話しかけ、何度もヘルパーさんの名前を聞きながら子供の頃の話しをした。
帰る家を忘れて迷子になり、保護された事もあった。それでも、ばぁちゃんは僕と姉と、娘の名前だけは忘れず、いつも「めし食べたか」と僕の手を握っては、なぜか小さく丸くなって、骨ばった肩を震わせて泣いていた。そんな時は「なんで泣いてんねん」と笑いながら、なぜか僕は、一緒になって泣いていた。
老いると若い頃の性格がより強く出ると聞いた事があったが、痴呆が始まり、介護を経て、心臓がもたず倒れたまま逝くその直前まで、ばぁちゃんは、僕が小さい頃手を引いてくれていた、ちょっとだけ頑固な、変な色な服を着た優しい普通のばぁちゃんのままだった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「あぁ、って。どっち?」
「可愛いと思うで、ばぁちゃんの服みたいで」
「なにそれ、分かってないわぁ」
「そうやな、確かに。分かってなかったな」
僕は結局、ばぁちゃんの事を理解する事も、謝ることも出来ないまま、もう会えなくなった。ただ、理解出来ない事は、本当は理解したいと願っていたことなのだと、分かったような気がしていた。
僕は、店内を包む名曲の焼き直しみたいなポップスを聴きながら、ばぁちゃんが好きだった鮮やかな紫色の服を、手に取っていた。
ばぁちゃんのクロゼット 有城もと @arishiromoto
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