3. 逃亡

 一行は馬車に乗り込み、孤児院の皆に見送られながら出発した。


旅のお供には客人のほかに、従者のような恰好をした人が二人と、御者、少年が一人いる。どういう関係なのかは知らないが、仲間なのだろうか。


 正直、ルベール夫人の言っていたことは、にわかには信じられない。結局、先生は私に何一つ教えてはくれなかった。


口止めでもされていたのだろうか。だとしたら本人にすら言えないこととは何なのか。落ち着いてくるといろいろ疑問点が浮かぶ。


しかし、夫人以上にこの人たちは怪しかった。彼らは随分急いでいるようだ。もうすぐ夕方になる。こんな時間に出発したら、宿を見つける前に夜が来てしまうはずだ。


宿があるのはここを過ぎたら次の町。そしてここからだとそこそこ距離がある。このままいけば、今日は野宿することになるだろう。


隣に座るブラウンさんはさっきからピリピリしている。孤児院から逃げるような彼らの行動が、オーガスタを余計に不安にさせた。



 馬車に揺られること数時間。辺りはもう暗くなっていた。オーガスタは隣を見上げて尋ねた。


「どこへ向かっているんですか」


「王都のアイルラン伯爵邸ですよ。たどりつくまでにあと四日はかかります。今日は野宿になるでしょう」


貴族の使者が野宿なんてするはずがないと思っていたが、彼らは元からそのつもりのようだ。


自分が知らないだけで、貴族の使者でも野宿をするのだろうか。それともそれだけ急いでいるということなのだろうか。そもそも彼らは本当にそのアイルラン伯爵の使者なのか? 考えれば考えるほどわからなくなり、オーガスタは頭がパンクしそうだった。


しかし、逃げ出すつもりのオーガスタにとっては、野宿は好機かもしれなかった。宿より逃げやすい。


考えても埒が明かないと、オーガスタは頭を切り替え、窓の外を覗いた。視界には木々しか見えない。どうやら森の側のようだ。


(そうか、森。森ならみんなが追ってきたとしても隠れる場所がたくさんある)


「着きましたよ。ここで野宿します」


声をかけられて、オーガスタはハッとした。考え事に熱中しすぎていたらしい。馬車が止まったことにも気がつかなかった。


他の人たちはてきぱきと準備を始めていたが、オーガスタはそのままそこに突っ立っていた。野宿なんてしたことがないから手伝おうにもやり方がわからないし、手伝ってほしいとも言われていない。


彼女は皆の様子を黙って見つめるしかなかった。



 夕食をとり、就寝の準備にはいる。


「今夜はこちらで休んでください。粗末なものですが」

「いえ」


ブラウンさんがオーガスタに毛布を差し出した。いつも使っているのよりは暖かそうだ。


彼らの中で、オーガスタは比較的丁寧に扱われている。親切は嬉しいのだが、オーガスタはその優しさが何だか怖かった。


ルベール夫人の『敵』という言葉のせいだろうか、裏があるように思えてならない。それに、孤児院で貧しい暮らしをしていたオーガスタには、自分にそこまでする価値があるのかわからなかった。


彼女は自分をどこぞの令嬢のように扱う人々を、奇妙なもののように眺めていた。



 やっと夜も更けてきた。パチパチと火のはぜる音がする。見張りの少年は火の温かさに微睡んで、舟をこいでいた。


オーガスタはしばらく毛布にくるまっていたが、やがて音をたてないようにそっと起きだした。


他の人は皆熟睡しているのか誰も起きない。いびきすら聞こえる。


全く、いくら火があるとはいえ、森のそばで何が襲ってくるのかわからないのに大丈夫なのだろうか。オーガスタは他人事ながら心配してしまった。


しかし、よく考えたらその何が襲ってくるかわからない森に自分は逃げるのだ。感じないようにしていた不安がまた襲ってきた。


だがここで逃げないわけにはいかない。オーガスタはユーリの人形を手に持ち、ぎゅっと握りしめると、意を決して森へ向かって歩き始めた。



「待て」


森まであと半分ともう少しというところで、鋭い声がした。舟をこいでいたはずの見張りの少年だった。オーガスタはゆっくりと振り返る。


「どこへ行く? 森は危ないぞ」

「あー……ちょっと用を足しに?」

「なんで疑問形? まあいい。それなら俺も行く。一人じゃ危ないだろ」


オーガスタは流石に困惑した。


「いや、私は女なのだけど……」


しかし少年は気にした風もなく、ちょっと笑う。


「何? 恥ずかしい? 大丈夫大丈夫。別に見ねぇよ」


そういわれるとオーガスタは何も言えず、ただ黙って少年について行った。


(とりあえず注意をそらして隙を作らないと。何か話題……そうだ。この機会に情報を得よう)


オーガスタは知りたいことを考えつくだけ質問する。


「ねえ、どうしてあんたたちは私を連れだしたの?」


「え? 知らないの? うーん、伯爵様は俺達には理由を教えてくれなかったからなぁ。本当のことは知らねぇけど、俺は伯爵様の庶子でも連れてくるのかなと思ったぜ」


少年は淀みなく答えた。彼は何も知らないように見える。彼の言葉を信じるのなら、彼らはただ伯爵に命じられただけのようだ。


「ならなぜ野宿をしてまで急ぐの?」


オーガスタが急に立ち止まったので、少年は怪訝な顔をした。


「伯爵様に言われたんだ。とにかく急いで連れてこいと。できる限りの速さでね。俺達はその命令を遂行しているだけだ」


「じゃああんたは私が本当に伯爵の庶子だと思ってるのね?」

「そりゃあ、それ以外に何がある? まあ顔は似てないけど、あんたが母ちゃんに似てるだけなのかもしれないし」


「でも私がただの庶子なら、急がせるのはおかしいと思わない?」

「庶子の存在を奥様に知られたくないとかじゃねえの?」


少年はそう言いながらも自信がないようだった。


「俺には難しいことはわかんねえよ」


「お願い、私は自分がどんな目的で連れ去られるのか、知っておきたいの。私は孤児院に帰りたい。でも誰がどんな目的で動いているのかわからないと、自分にとっての敵すらわからなくなる。何でもいいから知ってることを教えて」


「え? いやでも俺は下っ端だから詳しいことは知らねえって。ただ俺たちが命じられたのは、とにかく急げってことと、人目につかないようにしろっていうのと、連れてくる子供には丁寧に接しろってことと、子供は何があっても守ることってことだ。それから、連れてくるのはセント・ポール孤児院にいる、あけぼの色の髪に藍色の瞳の、十歳前後の少女だということ。それだけだ」


「曙色? それって本当に私のこと? 私の髪はただの赤毛じゃないの?」


「いや、今は暗くてよく見えないし、多少汚れてくすんでいるとはいえ、普通の赤毛じゃないだろ。どちらかというとオレンジに近いような……綺麗な色だ。朝の空みたいで」


この色には何か意味があるのだろうか。オーガスタは目は見られたくなくて前髪で隠すようにしてはいたが街中でこの髪は隠さずに歩いていたし、からかわれたり奇異の視線に晒されたりはしても忌み嫌われたり攫われて売られたりしそうになったことはなかった。


小さくて平和な村だったからだろうか。だから自分の色はちょっと珍しいだけで普通だと気にもしていなかったのだが、どうもそうではないようだ。


しかし、彼はこの件に関してこれ以上は知らないらしい。オーガスタは質問を変えた。


「あんたは伯爵家に仕えてるの?」

「いや、俺たちはあんたを連れてくるために護衛として雇われただけだ。伯爵家に直接仕えてるのはブラウンさんと御者だけだよ……って用を足すんじゃなかったのか?」


(そうか。彼らもお給料貰ってるんだろうし、私が逃げ出したら困ったことになるんだろうなぁ。でも、もう決めたんだから。仕方ない)


「色々教えてくれてありがとう。でも私はここを逃げ出さなきゃ。——だからごめんね」


そう言うや否や、オーガスタは一目散に走り出した。


「おい! ちょ、待てよ、待てってば!」


だが追いかけてきた少年は案外素早かった。あっという間にオーガスタに追いついて手首を掴まれる。


怯えた瞳のオーガスタに、少年は苦笑した。


「別にあんたを無理やり連れてこうとは思ってねぇよ。孤児院に帰りたいんだろ? 逃げるなら、助けるよ」

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