2. 転機

 孤児院に帰り着くと、門の前に見知らぬ馬車が止まっていた。ルベール夫人の借金取りかと思ったが、それにしては豪華な馬車だ。


不思議に思いながらも建物の中に入ると、オーガスタの腰に何か茶色くてふわふわしたものが突進してきた。顔を上げると、ぱっちりしたつぶらな瞳がオーガスタを覗き込む。今年で四歳になるユーリだ。


「ねぇね、おかえり!」


オーガスタは普段無口で無表情なことが多いので、なにかと小さな子には怖がられるのだが、ユーリは何故か明るくて世話好きなミィナではなく、オーガスタに懐いていた。


「ただいま、ユーリ」


表情を変えないままオーガスタが軽く背を叩いてやると、ユーリは満面の笑みを浮かべる。しかし、ユーリとは反対に、何やら孤児院の中は緊迫した雰囲気だった。


どうも客人が来ているらしい。その客人は院長のルベール夫人と話をしていた。馬車と同じく、この孤児院には不釣り合いな上質の服を着ている。


客人は部屋に入ってきた孤児たちを見ると、オーガスタをじっと見つめた。隣で苦い顔をしたルベール夫人は、軽く手招きをした。


「オーガスタ、こちらに来なさい」


オーガスタは大人しく夫人の隣に行った。オーガスタの服の裾を掴んだユーリもついて来る。ルベール夫人はユーリを見て困った顔をした。


「ユーリ、あんたはあっちへ行ってなさい」

「や!」


ユーリはぷくぷくしたほっぺをむぅ、と膨らませてぶんぶん顔を横に振る。


「ユーリ、汚いから髪の毛食べちゃダメだよ。そのぐちゃぐちゃの髪を直してもらいにミィナ姉さんのところへ行っておいで」


オーガスタがユーリのふわふわした亜麻色の髪を口の中から出してやると、ユーリは素直にこくんと頷いてミィナの方へ駆けて行った。


それを黙って見ていたルベール夫人は大きくため息をつくと、オーガスタの方に視線をやった。


「この方がお前に話があるそうだよ」


客人はさっきからオーガスタの全身を舐めるように見渡していた。


薄汚れているせいであまり目立たないが赤っぽい色の髪に、深い藍をたたえた瞳。


オーガスタの髪と目の色は、確かに非常に珍しかった。そして人は異質なものを排除したがるもので、オーガスタはその珍しさからよく村の人たちの嘲笑と奇異の視線の的になっている。だから見られるのにはもう慣れているのだが、この客人は何かが少し違う気がした。


「間違いない。私が探していたのは彼女です」


客人はルベール夫人にそう言うと、オーガスタに跪いた。


「私はアイルラン伯爵の命で参りました、ブラウンと申します。お迎えに上がりました、お嬢様」


跪かれるのには慣れていないオーガスタは無表情のまま困惑した。


貴族の庶子が孤児院にいて、後から引き取られるのは割とよくあることだ。おそらく自分もそういうことなのだろう。


戸惑いながらも、オーガスタは頭の頭の片隅で思った。


オーガスタが戸惑っている間に、ルベール夫人は苦り切った顔で異質な客人に相対する。


「お話はわかりました、ブラウン様。ですが少し本人と話をさせてください」

「もちろんです」


ルベール夫人はオーガスタの手を引き、部屋の隅に連れて行った。


「オーガスタ、彼について行っては駄目。逃げなさい」


てっきり厄介払いとでもいうようにすぐに出ていくように言われると思っていたのだが、夫人の口から出た予想外の台詞にオーガスタは唖然とした。


「それは、どういう……」


ルベール夫人は怖いくらいに真剣な顔だった。


「今は詳しくは言えないの。私はお前をある人に頼まれた。彼らはおそらくお前の敵だ」


敵、という言葉が引っかかったが、オーガスタにはそれよりも気になることがあった。


「でも先生、あの人はお金をくれると言ったんじゃありませんか? 私を手放す代償に」

「それは確かにそういうことも言われたけど、どうしてそれを……」


夫人は呆気にとられた顔をした。

オーガスタは考えながら言葉を紡ぐ。考えること。これがオーガスタにとって得意なことであり、盗みをしながらも生きることができた理由だ。周りや自分がそれで助けられることもしばしばだった。


「……私なら、自分にお金持ちが何か要求をしてきたときは見返りに金銭を要求するでしょう。そしてお金持ちはお金さえあれば相手を動かせることを知ってる。だから先生が少しでも私を差し出すことを渋ればお金を出してくれますよ。それが彼らのやり方だから。私たちは身をもって知ってるでしょう?」


「ええ、まあ、そうね……」


ルベール夫人は複雑そうな顔をした。彼女が何か言う前に、オーガスタは口を開く。


「先生、もしも、私があの人についていくだけでお金が手に入るというのなら、私はあの人についていきたいです」


聞きたいことは、いろいろあった。


一体なぜ、彼らは自分を探しているのか。自分を夫人に頼んだのは誰なのか。敵とはどういうことなのか。


しかしオーガスタにとってはそれよりもお金の方が大事だった。彼女の瞳は真っ直ぐとルベール夫人を見ていた。


「先生。冬が来るんです。あの嫌な冬が。このままじゃきっと冬を越せない子がいる。今日色々と盗んできたけど、それだけじゃ足りないしこのまま盗みだけでなんとかするわけにもいかない。私にとっての敵が何かはわからないけど、それでみんなが助かるなら私はあの人についていきます。もう二度と、あの日みたいなことが起きてほしくないから……」


「オーガスタ……」


「先生、お願いします。行かせてください」


ルベール夫人は大きく息を吐いた。


「気持ちはわかるけど、危険なところにはいかせられないよ。私はあんたを頼まれてるし、いくら私でも孤児院のためにあんたを犠牲にしたくはないさ」


オーガスタは逡巡したが、やがて言った。


「大丈夫です。彼らについて行って隙を見て逃げます。そうすれば先生にはお金が入るし、私も捕まらなくていい」


「彼らは一人じゃないみたいだし、皆男だよ。とても逃げ切れるとは……」


「私を信じてください、先生。私は誰よりも『逃げる』ことが上手いんですよ。それに、本当はあの人の申し出を断ることないんてできないんでしょう?」


「まあ、お貴族様の申し出を断るんだからね……。何があっても驚かないけど……」


オーガスタは強くルベール夫人を見つめた。


「だから先生、私を笑顔で送り出してください。私はこれから貴族になるかもしれないんですよ! 悪いことなんて何もないはずでしょう?」


オーガスタはいきなり大仰な身振りで声を大きくした。まるで近くにいる客人に聞かせるように。


ルベール夫人は痛ましげに眉を寄せたが、やがて一つ息を吐いた。


「わかった。お前を信じるよ。行っておいで」


それから少し声を小さくして、


「その代わり、ちゃんとここに戻ってくるんだよ。いいね?」


「もちろんです。必ず帰ってきます」


本心とは別に、オーガスタは頷いた。


(私が逃げ出したら、彼らは真っ先にここを調べるだろう。私が帰る場所はここにしかないんだから。だからここに戻ることは出来ない)


帰ってきたいけれど無理だ。しかしルベール夫人を説得するには、こう言うしかなかった。



 オーガスタ達はその日のうちに出発することになった。ほんの少しの荷物をもって戸口に立つ。


「ねぇね、どこ行くの? すぐ帰ってくる?」 


振り向くと、ユーリが不安そうな顔で立っている。


「ユーリ、ごめんね」


オーガスタの瞳が揺らいだ。


「ねぇね?」


「私は行かなくちゃいけないんだ。だからすぐには戻って来れない」


「や! ねぇねはすぐに戻ってくるの! そうじゃなきゃユーリ、怒るんだからね!」


ユーリは幼いなりにも、オーガスタが、自分はもう帰って来れないかもしれないと思っていることを感じ取ったのだろう。最初は我慢していたが、やがてわんわん泣きながらオーガスタにしがみついた。


「やぁー!」


「ユーリ、よく聞いて。もしかしたら私は、もう戻って来れないかもしれない。でもユーリがここにいる限り、私はここに帰るために頑張るから。だからユーリはここで待っていて。ここが私の帰る場所になるように」


オーガスタはユーリに目線を合わせるように跪いて囁く。


「ユーリ、笑ってよ。私が帰って来たとき泣いていたらやだよ?」


オーガスタが珍しく微笑んだ。ユーリはそれを見て少し泣き止む。


「約束だよ、ユーリ」

「うん……」


ユーリの頭を撫でて立ち上がると、今度はミィナが厳しい顔をして立っていた。


「私の方が先に孤児院を出ると思っていたのにね」

「ごめん、姉さん」


「何で謝るんだい。寂しいのは確かだけど、これはお前にとっていい話だろう。娼館の洗濯婦よりお貴族様の暮らしの方が豪華に決まってる。笑って『先に金持ちになって悪かったね』ぐらい言ってやれ」


「…………」


「ほら、怖い顔しないの。こっちは大丈夫だって」


「……姉さん、私は元からこんな顔。無表情で怖いが私の代名詞なんだから」


ミィナが笑った。しかしオーガスタはその瞳がちょっと光っていたのを見てしまった。


「そろそろ出発してもよろしいでしょうか」


御者に声を掛けられ、オーガスタは頷いた。彼はオーガスタの少ない荷物をちらりと見る。


「荷物はこれだけでよろしいのですか」

「ええ」


カバンの中には必要最低限のものしか入っていない。元々オーガスタの持ち物なんてほとんどないのだ。


それに、逃げるならおそらく荷物は置いていかねばならない。出来るだけ身軽にしたいからだ。



でも、ユーリからずっと昔にもらった木彫りの人形。これだけはどうしても持っていきたかった。きっとこれからも手放せないだろう。ユーリとの約束を、忘れないためにも。

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