恋隠す教え子は、夢を応援してくれる家庭教師への想いが止まらない。
それはゴールデンウィークの中頃。週の折り返しだった。
本日、
クラシカルな木製のテーブル席に座り、家庭教師タイム。
普段は夜明の部屋で勉強を教え教わっているのだが、
『喫茶店だと落ち着いてやる気もでます』
という夜明の提案で、ゴールデンウィークに入ってからは予定がない限り毎日喫茶店『カヴァネス』で勉強をしていた。
朝から夕方まで、時折紅茶や軽食を交えながらの勉強会。
いくらなんでもお店のご迷惑ではないのかと、伊月がマスターに申し訳なさそうにお伺いを立てると、
『お好きなように過ごしてださい』
いつものメイド服姿で、穏やかに微笑まれる。迷惑なんて一つまみも感じさせない優美な表情だった。
マスターの許可を得て喫茶店で勉強をしている二人だったが、伊月には少し気になることがあった。
(どうしてこんなに頑張ってるんだろう)
彼が家庭教師となってから、夜明は時間を見つけては伊月に家庭教師の仕事を依頼している。
伊月としては助かっている。
実家からの仕送りを断っているため、生活費や教材費などあらゆる場面でお金に羽が生えて飛んでしまう。収入が多いに越したことはない。一人暮らしは出費が多いのだ。
けれども、伊月は仕事だが、夜明は違う。
十代の女子高生ともなれば、遊びたい盛りだろうに、放課後も、休日も、はてはゴールデンウィークさえも勉強漬けだ。
夢のため。彼女はそう言うが、大事な青春を削ってまで志望大学に受からなければならない理由とはなんなのか。
伊月が用意したプリントに夜明は一心不乱に向かっている。課題に集中している彼女に、伊月はつい質問を投げかけてしまった。
「そんなに、志望大学でやりたいことがあるの?」
「やりたいこと……ですか?」
突然声を掛けられた夜明は顔を上げると、不思議そうに瞼をパチクリさせた。
考えるように可愛らしいキャラ物のボールペンを顎に当てる。天上を仰いだ後、彼女は答えた。
「特にありません」
「……え? ないの?」
「はい」
あっけらかんとした態度に、伊月は開いた口が塞がらなかった。
勉強を頑張っている夜明の姿と、彼女が口にした返答がイコールで繋がらない。
(え……え? どういうこと?)
意味もなく顔を叩かれた人のように困惑していると、夜明もこの答えではいけなかったと思い、言葉を付け足した。
「学びたいことがないわけではないんです。大学へ行って、経営を学びたいと思っています」
「そうだよね?」
伊月は安堵の息を零す。
愛らしい仔猫の玩具にされてぐちゃぐちゃに絡まってしまった毛糸が、少し解れたような心地だ。
「ですが、それは志望大学でなくても構いません。なので、やりたいことと訊かれると、ありませんと答える他ないですね」
「でも、絶対にそこじゃないといけないんだよね?」
まさか、伊月と同じ大学に通いたいからという、甘酸っぱい理由ではあるまい。
夜明の志望大学は伊月と出会う前から決まっていた。時系列的にもおかしなことになってしまう。
戸惑う伊月に、夜明は苦笑してみせる。
「両親との約束なんですよ。両親が指定した大学に合格して卒業できれば、私の夢を認めるっていう」
「厳格なご両親?」
「かなり」
「そっかー」
伊月は彼女の母親と何度か顔を合わせている。
夜明と良く似た、彼女の大人の姿を想像させる美しい女性だった。
けれども、受ける印象は正反対。
儚げで優しい雰囲気の夜明とは違い、向かい合っているだけで身が引き締まるような厳しい雰囲気を持つ人だった。
夢や希望よりも地に足を付けて現実を見ている。そんな印象だ。
娘の幸せを願っていないわけではないだろうが、親の想いが必ずしも娘に受け入れられるわけではない。
夜明の母親の鋭い目を思い出した伊月が、感嘆するように呟く。
「いやぁ……なんていうか、よく説得できたね?」
「熱意で押し切りました」
「凄いね」
「最後は両親が根負けでしたね」
むんっと夜明は両拳を握る。
彼女が猛る情熱で両親を説得する光景が、伊月の頭の中でありありと思い浮かんだ。
不意に、伊月が訪ね辛そうに視線を泳がせる。
「あー、訊いていいかわからないけど……夢って?」
伊月の言葉に、夜明は頬を紅潮させる。けれど、俯くことはなかった。照れはしても恥ずべきことではないと、顔を背けずはっきりと告げた。
「喫茶店のマスターになりたんです」
「マスター?」
伊月の瞳が自然とカウンターでカップを拭いているマスターに向けられる。
彼の視線に気付いたマスターがニコリと笑う。
(あの人みたいな……)
夜明に顔の向きを戻すと、彼女はこくりと頷いた。
「綺麗で、優しいマスターになるのが夢なんです」
カヴァネスのマスターを語る夜明の声は熱っぽい。マスターに向けられる瞳は輝いており、どこか尊敬の念を宿していた。
伊月は時折、夜明とマスターが話している姿を目にしている。熱心に話しかける夜明に、落ち着き払っていながらもしっかりと受け答えをするマスター。あまりにも楽し気な雰囲気に、口を挟めないこともあった。
(いいなぁ、そういうの)
羨ましい。
店主とお客という普通の関係だけではない、二人しかない絆が感じられた。
カヴァネスのマスターは夜明の言う通り、眉目秀麗の穏やかな女性だ。聞き上手で、空気を読むのも上手い。
楽し気な二人の会話に気まずさを感じていると、『貴方様はどう思いますか?』と水を向けてくれるのはマスターだった。
喫茶店『カヴァネス』は、そんな彼女の人柄が表れているかのように、静かでゆったりとした時間が流れる雰囲気の良い場所だ。
客足が少ないのも、そうした空気感を大切にしたいマスターが、宣伝に熱心ではないからだろう。
そんなマスターに憧れるのは伊月も理解できる。実際、足繁く通う常連さんの中にも、彼女目当ての人は多い。
ただ、一つ気になることがあった。
「メイドさん?」
「違いますよ!」
夜明が真っ赤になって否定する。
「…………可愛いとは思いますけど」
伊月から背けてポツリと零す。可愛いとは思っているらしい。
実際、店内に合わせたクラシカルなメイド服は、夜明に良く似合うだろう。
ほわんほわんと、伊月の頭の中でメイド服を着た夜明が妄想される。
『お帰りなさいませ。ご主人様がご帰宅するのを、心待ちにしておりました』
(めっっっっちゃくちゃ可愛いなぁ……っ!!)
喫茶店『カヴァネス』にそんなサービスはない。メイド喫茶ではなく、喫茶店なのだから、当たり前だ。
かいがいしくお世話をしてくれる夜明メイドに浸っていると、不思議そうな現実の夜明が首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「……へあ?」
間の抜けた声を上げて一瞬惚けた伊月は、ようやく我に返ってあたふたと慌てる。
「な、なんでもないですっ。はい」
「そうですか?」
尚も訝しむ夜明。
けぷこんけぷこんと咳をして伊月は誤魔化しにかかる。モロ不審な態度であったが、夜明は追及の言葉を飲み込んだ。ふぅううっと、伊月の口から長い息が吐き出された。
(あぁ、そういえば)
言わなければいけないことを思い出し、勉強に戻ろうとした夜明になんでもないように告げる。
「喫茶店のマスター。とても良い夢だね。私も応援するよ」
「……っ!?」
ガバッと顔を上げた夜明の瞳がまん丸になる。
アクアマリンの輝きを放つ瞳には、驚きの感情が満ち満ちていた。そして、驚きを上書きするように、内側から溢れてくるのは歓喜の水だ。
「ありが、とうございます」
じわりと潤んだ瞳を隠すように、夜明はペンを握って勉強に向かうフリをする。
けれども、その胸中は花のような想いが咲き乱れていた。
(本当に……
この気持ちがバレてしまったら、二人の関係が終わってしまう。
そう思っている夜明は、絶対に顔を上げない。頬が緩みきって、想いが溢れているのがわかるから。
必死に手を動かし、勉強しているように装うけれども、
『好き――――――――――――――――――――――――――ッ!!』
と、好意がノートに書き綴られてしまっていた。デカデカと、くっきりと。
ハッと我に返った夜明のノートに、伊月が手を伸ばす。
「それじゃあ、どれだけ解けたか採点を――」
「きゃぁああっ!?」
「なぜ投げた!?」
ぴょーんと放り投げられたノートが店内を飛ぶ。
紙飛行機のように真っ直ぐに飛行するノートはそのままカウンターに飛び込み――マスターのしなやかな手によって優雅にキャッチされた。
おおっと拍手が沸き起こる。
「……凄いね、喫茶店のマスターって」
「……凄いんですよ、喫茶店のマスターは」
あんな人になれるのか。夜明の情熱がちょっと揺らいだ瞬間だった。
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【お礼&お願い】
最新話までお読みいただきありがとうございます。
夜明メイド見たい! 悶える夜明ちゃんかわいい。
喫茶店のマスターはすごいんです。
メイドさんはなんだってできるんです。
と思って頂けましたら、
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惚れない約束を破ってしまった家庭教師、実は教え子に溺愛されています。 ななよ廻る @nanayoMeguru
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