第208話 氷川芽衣子の失恋
「んあ?芽衣子?」
「っ…。」
私は家に着くと、リビングのソファーに座り、テレビでキックボクシングの試合を見ていたに静くんが驚いて声を上げたのに、
返事を返す余裕もなく走り去り、自分の部屋に駆け込んだ。
そして、荷物を放り、倒れるようにベッドに沈み込むと、嗚咽を漏らした。
「ううっ…、京ちゃんっ…!!」
今まで、嘘コクという頼りない糸を手繰り寄せて、必死に繋いでいた京ちゃんとの仲だったが、とうとう断ち切られ、今日、決定的に振られてしまった。
上月先輩の為に小説対決に使うダミー小説を書いてまで、彼女の作品を守り通した京ちゃん。やはり一度付き合ったことのある彼女への想いは捨てられなかったのだろう。
嘘コク設定上の彼氏彼女の関係を解消して、彼女と向き合いたいと言われてしまった。
京ちゃんは、上月先輩と話が終わったら、もう一度話をしようと言われていたけれど、
上月先輩と付き合う事になったと詳細な報告を受けた後、一体私はどうすればいいのか分からなかった。
今回の騒動は厳重注意ですんだけれど、私が暴力を振るってしまったところを読者同好会のメンバーのみならず、沢山の人に見られてしまっている。
暴力が嫌いな上月先輩だけでなく、部の皆に迷惑をかけかねない私はもう
それに、京ちゃんの近くにいれば、私は彼の幸せを無視して、彼に迫ったり、上月先輩との仲に嫉妬して、彼女に意地悪したりしかねない。
『芽衣子ちゃんにはキックボクシング界で充分に生計を立てていける確かな才能がある。
もう一度、儂に全てを委ねてくれんかの…?』
4日前に、T国への留学に誘って来た師匠の言葉を思い出した。
二年間、京ちゃんと離れるなんて想像もつかず、断ろうと思っていたけど、今となっては
望みを絶たれた私が唯一進むべき道のように感じられた。
私は部室に戻って来た紅先輩、碧先輩に退部届を渡し、すぐにその場を去った。
帰り際、昇降口で会った親友のマキちゃんに、
気持ちが鈍らない内にと、帰りの電車を待っている間に鷹月師匠に連絡を取り、留学を承諾する返事をした。詳しい話は、両親に相談してからという事になったが、師匠はとても喜んでくれた。
するべき事をしてしまった今、悲しみとショックが一気に来て、私はベッドの上のクッションに、顔を埋めて泣いていた。
「うっ、うっ。京ちゃん…!」
小3で京ちゃんに出会って以来、彼と共に歩む未来を夢見て、彼を追いかけてここまで走り続けて来た。
でも、もうその未来は叶わない。
目の前は真っ暗でもう死んでしまいぐらいの気持ちだった。
ドゴドゴッ!
「オイ、芽衣子っ!開けるぞっ?」
「…!!ううっ…。静くん、放っといてよぅっ!!」
いつものように部屋のドアを蹴られ、私は泣きながら抗議したが、静くんは容赦なくドアを開けて、顰めっ面で、スマホの画面を見せて来た。
「ったく、バカ芽衣子!落ち込むのは勝手だが、周りの人間に迷惑かけんなっつーの!
笠原さんから、俺にまで、メールが来てんぞ?
『芽衣子そちらに帰っていますか?
実は、矢口さんに振られたらしくって、メールも電話も繋がらなくて、ショックを受けて自殺でも考えているんじゃないかと心配です。私もそちらに向かっているので芽衣子と連絡取れたら教えて下さい。』
だって。お前、笠原さんにどんだけ心配かけてんだ!?」
「え、ええっ…!|||||||| あ…、私、スマホ、小説対決の時から電源消しっぱなし…。あれ?でも、なんで私が自殺するなんて…!?学校に通えなくなるって言ったから?あ…、そういえば留学の事ちゃんと言ってなかったかも…。」
さっきは気が動転してて、マキちゃんにちゃんと説明しようと思って出来ていなかったらしい。余計な心配をかけてしまって申し訳なく思った。
静くんは呆れたように肩を竦めた。
「ったく。笠原さんにちゃんと連絡しとけよ?留学って、例の鷹月師匠からの誘いか?」
「う、うん…。」
一応家族には話が来ている事だけは伝えていたのだった。
「俺は、芽衣子はそっちの道の方でいいと思うぜ?才能があるんだから、生かさないのは勿体ねー。普通の世界で生きるにはお前の右足はお騒がせ過ぎるよ…。」
「う、うん…。そうだよね…。私も…そう思う…。」
静くんの言葉に私は寂しい気持ちで笑い頷いた。
*
『ううっ。このバカワンワン!!マキちゃん心配し過ぎて、泣いちゃったぞ?』
「ご、ごめん。マキちゃん…!」
あれからすぐにマキちゃんに電話をして事情を説明すると、涙声で怒られてしまった。
親友に随分心配をかけてしまって申し訳なくなった。
『リサリサ先輩も矢口先輩も心配してたから、すぐに連絡しておくね?』
「あ、うん…。ありがとう…。助かる。」
さっき、マキちゃんに電話をかけようとスマホの電源を入れた時、メールや電話の着信履歴がすごい事になっていて、その中に柳沢先輩や、京ちゃんの着信もあり、心配をかけてしまった事に胸が痛んだのだった。
『とにかく、私もすぐそっちに行くから…』
「マキちゃん、心配してくれてありがとう。
けど、ごめん。今日は一人になりたいんだ…。」
好意で申し出てくれるマキちゃんを有り難く思いながらも、お断りした。
『けど、芽衣子…!大丈夫なの?だって、今まであんた矢口先輩の事、あんなに…!』
「全然大丈夫ではないけど、今日は一人で気持ちの整理をしたいんだ…。ぐすっ。
うまく…言葉にできるようになったら、また、話…聞いてくれる?マキちゃん。ずっ。」
マキちゃんの心配げな声にまた込み上げてきてしまい、鼻をすすりながらお願いした。
『芽衣子ぉ…。ぐずっ。分かった。私は元飼い主なんだから、いつでも頼ってくるんだよ?辛くても死ぬのはなし。約束ね?』
「分かったよ、ク、クウ〜ン(約束する)!」
マキちゃんも鼻をすすりながら答えてくれ、私も泣きながら鳴いた。
マキちゃんへの電話を切って、死にたいぐらい苦しくて、辛いけど、やはり死んではいけないと思った。
京ちゃんも、今私に万一の事があれば、自分に責任があるのではないかと、自分を責め、不幸になってしまうだろう。
彼はそういう人だ。
苦しくても生きなければいけない。
彼と共に過ごす未来はなくても、今まで彼と過ごして来た時間はかけがえのない幸せなものだった。
彼からもらったものをこれからの人生に生かさなければと思った。
私に残されたのは彼との思い出と彼を追いかけて手に入れたこの右足の力のみ。
師匠や静くんが言うように、私にキックボクシングの才能があって、
人に夢を与える事のできるような優秀なキックボクシングの選手になれたら、
それはそれで有意義な人生なのではないかな。
私は思い描いた。
皆の称賛の中、有名なキックボクシングの大会で優勝する自分の姿を…。
そして、いつかの私や京ちゃんぐらいの小さな子が、キラキラした瞳でサインをもらいに来る…。
私は笑顔でその子にサインを渡すと、その子とその子の傍らにいたご両親にお礼を言われる。
どこかで見た顔だと思ってご両親の顔をよく見てみると…。
それは…、幸せそうに微笑んでいる京ちゃんと、上月先輩で…。
「うわぁっ…!わああぁんっっ…!!」
私は再び号泣し始めた。
私のバカッ!!
どうして、こんな時に、自分を更に痛めつけるような想像をしちゃうんだっっ!!
「京ちゃんっ…。京ちゃんっ…。わああぁっ…!」
どうしようもない悲しさに、クッションをビショビショにしていると…。
ピンポーン!
インターホンの鳴る音がした。
ピンポーン、ピンポーン!!
やり過ごそうと思ったけれど、宅配便とか、勧誘にしてはしつこいな…。
「ぐすっ…。」
仕方なく、リビングのインターホンに向かい…。
画面に映っている制服姿の男の子を見て、固まった。
「きょきょ、京ちゃん…!!」
どどど、どうしよう?!
てか、何で、いきなり家の前にいるの?!
うちのマンション、住人が下の入口を解除しないと中に入れないようになっているのに…?
そういえば、いつの間にか、静くんの姿が見えなくなっている。
家を出る時、下で偶然京ちゃんの姿を目にして、中に入ってもらったとか…??
「静くんめ…。勝手に…!」
許可なくそんな事をしたであろう静くんに殺意を抱きながら、ふと、リビングの鏡を見ると、泣きに泣いて目が腫れている私の姿が目に入った。
「うっわ、どうしよう?!すごいブス…!!||||」
今一番会いたくて、会いたくない想い人、
京ちゃんとどう対峙したらいいか、慌てふためきながら必死に考えを巡らせる私だった。
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