第204話 真っ暗な世界

「それにしても、京太…、矢口!氷川さんの事好きなら、嘘コクの関係じゃなくて、ちゃんと付き合った方がいいと思うわよ?」


「えっ?いや、もちろん、彼女にはちゃんと、気持ちを伝えるつもりだけど…。」


彩梅…いや、上月がそう言って人差し指を立ててずいっと俺に詰め寄って来たので、俺は少したじろぎつつ答えた。


「その方がいいわ!じゃないと、あなたに中途半端に優しくされて、また誤解しちゃう女子がいるかもしれないでしょ?私みたいに!」

「え?」


「さっき、二人の雰囲気おかしかったし、真剣な顔で話があるなんて言うから、てっきり私、京太郎が氷川さんを振って私に告白してくるのかと、ちょっと期待しちゃったわ。」


上月は、頬を赤らめてこちらを軽く睨まれ、俺は驚いて謝った。


「ご、ごめん!え、俺そんな風に見えた?」


「見えたわよ。もう、全く、あなたって抜けてるんだから…!

氷川さんも誤解したんじゃないかしら?戻ったら、すぐ説明してあげた方がいいわよ?」


「…!! ああ、そうするよ。」


上月の言葉に俺は急に胸騒ぎがし、彼女と共に急いで部室に戻ったのだが…。



「ああ!ぶちょおに、矢口くん!」

「やっと戻って来たぁ!」

「紅ちゃん?」

「碧さん?」


部室に入った瞬間、紅ちゃんと碧ちゃんが半泣きで俺達に縋るように飛び付いて来た。


「私達が職員室から帰ってくると、「今までお世話になりました」って、氷川さんがこんなものを渡してきてぇっ…。うえぇっ…!」


「「…!!」」


「「部に迷惑かけてごめんなさいっ…。」っていうなり、部室を出て走って行っちゃったんですぅっ。追いかけたんですけど、氷川さん、人間とは思えない位の速さで、すぐ見失っちゃってぇっ…。ぐすっ…!」


「「…!!」」


紅ちゃんは、退部届と書かれた一枚の紙を俺と上月に見せて泣き、碧ちゃんはその場に座り込んで泣いた。


「退部届って…!||||||||

氷川さん…、暴力振るった事気にして??どうしよう、矢口!」


「と、とにかく、芽衣子ちゃんに連絡してみるよ…!……出ないな…。」


急いで芽衣子ちゃんにスマホに連絡するも、電源が入っていないのか、すぐに留守電になってしまった。

すぐ、連絡をくれるようにメッセージを入れた後、笠原さんからLI○Eメールが入っているのに気付いた。


「!!」


『すみません、矢口先輩。芽衣子と何かありましたか?


さっき芽衣子と昇降口で行き合ったら、

「もう学校で会えないかもしれない。」と泣きながら学校を飛び出して行ってしまって心配してます。

追いかけたんですが、アイツ常人とは思えない速さで走ってて、追えなくて…。

電話もメールも繋がらなくて…。


多分、家に帰ったんだと思うので、訪ねてみますが、矢口さんも、もし連絡がとれたら、教えて下さい。よろしくお願いします。』


!!! |||||||

それは、いつもの陽気な笠原さんからは想像もつかない程用件のみの簡素なメールで、

それだけ事態が切迫していることが伝わって来た。

一瞬、目の前が真っ暗になったような気がした。


「ど、どうしたの?矢口?!」


手を震わせながら、メールを読んでいた俺に上月に声をかけられ、声を上擦らせた。


「め、芽衣子ちゃん、友達に、「学校でもう会えないかもしれない」って言って、学校飛び出して行ったって…!」


「ええっ…!?||||||| もう学校に会えないって…!氷川さん、まさか、変な事考えていないよね…?!」


「「あ、あわわ…そ、そんなぁ…。|||||||」」


4人でその場に立ち竦んでいると、その場にジャージ姿の女生徒が飛び込んで来た。


「あ、いたっ!矢口っ!芽衣子ちゃんと別れたって本当?!」


「や、柳沢っ?!」


「柳沢さんっ?」

「「「柳沢さん?」」」


柳沢は、泣きながら俺の腕を掴んで詰め寄って来た。


「さ、さっき、部活の途中で飲み物買いに行ったマキちゃんから、芽衣子ちゃんの事、聞いて…!


 もしかして、私から矢口に嘘コクした女子の情報を得ていたから?それとも、嘘コクが好きだって偽って、矢口に嘘コクミッションに付き合ってもらっていたから??」


「や、柳沢、違っ…。ちょっと、落ち着っ…。」

「違うの!芽衣子ちゃんは、悪くないの!!


芽衣子ちゃんは、最初、矢口に過去のトラウマを思い出させて、傷付けてしまうかもと、

嘘コクミッションを本当にやっていいものか迷っていたの。


けど、私が、逆に矢口のトラウマだったり、女子に対する不信感だったり、未練だったりを振り払って、矢口の心を癒やしてくれることになる思うって私が強く勧めたの…!!


二人が結ばれるならこんなにいい事はないと思って、その後も芽衣子ちゃんの力になろうと相談に乗ってた。


なのにまさか、こんな事になるなんてっ!!


私が全部悪いのぉっ!!芽衣子ちゃんの事考え直してあげてっ!!


うわああっ…。芽衣子ちゃんに、万一の事があったら、私も生きていけなっ…」

「っ…!!縁起でもない事言うなよっ!!」


俺は号泣する柳沢を怒鳴り飛ばした。


「柳沢のせいじゃないっ…!!俺が、芽衣子ちゃんに、嘘コクの関係をおしまいにしようなんて言ったから…!!」


それを言い渡した時の彼女の悲痛な表情を思い出して、胸が引き裂かれるように痛み、

俺は、その場に膝をついた。


「俺がっ…!俺のせいだっ…。」


彼女のはにかんだような優しい笑顔がもう見られないとしたら、俺の世界はもう暗闇に閉ざされたようなものだった。


とても生きてはいけない…!


芽衣子ちゃんがトラ男に刺されたと思った時…。

めーこが迷子になった時…。


を失うと思った時、俺は真っ暗な世界に取り残されるような気がしていた。


一番大切だって分かってたのに…!


「っ…!」


「わあああぁっ!!うわあぁっ…!!」


「や、矢口っ…!」

「「矢口くんっ…。」」


俺は、項垂れて、柳沢の嗚咽と、心配げな上月、紅ちゃん碧ちゃんの声を頭のどこか遠くで聞いていると…。


「おやおや。職員室で千堂の問題に決着がついてやっと戻ってこれたと思ったら、

これは、一体何の騒ぎだ?」


凛とした張りのある声を響かせてこちらに向かって来たのは…。


「矢口京太郎くん。呆けてないで、事情を聞かせてくれないか?場合によっては力になれるかもしれないぞ?」


その場に似つかわしくない輝かしい笑顔でそう言ったのは、風紀委員長の白瀬先輩だった…。


「「矢口くん…。」」

その後ろには、心配そうにこちらの様子を窺う大山さん、小谷くんの姿があった。


「し、白瀬先輩…それが…!」


動揺したまま俺が辿々しく簡単に事情を説明すると、白瀬先輩は大きく頷いた。


「なるほど…。よく分かった。「学校でもう会えない」と芽衣子嬢が漏らした事で、もしや自殺を考えているのではと君達は危惧した訳だな?結論から言うと、その可能性はほぼないと思う。」


「え。ほ、本当ですか?」


その言葉に縋るような思いで顔を上げると、

白瀬先輩は黒い瞳を妖しく煌めかせた。


「ああ。理由を説明する前に、君に一つ聞きたい。数日前、芽衣子嬢が君の元を離れた後、私に君の味方になるようにと言われたのだが、それは君の指図ではないよな?」


「何ですか?それ!」


寝耳に水の事に俺が驚いていると、白瀬先輩はニッコリと笑った。


「違うならよかった。君を見損なうのが、半分で済んだ。」


「え。」


「矢口京太郎くん、歯を食いしばりなさい…!」


彼女が剣呑に目を細めるのと、目の前に拳が迫るのと同時だった。


ドガッ!!

「うぐぅっ…!!」


「「矢口っ…!」」

「「矢口くん…!」」

「「か、柑菜さんっ!?」」


周りの皆が驚く中、俺は白瀬先輩に左頬を殴られ、気付くとその場に横倒しになっていた。ジンジンと熱い痛みが走る左頬に手を当てると、少し腫れていた。


「し…白瀬…先輩…?」


「君は一番大切な人を守るどころか、危険に晒しかねない真似をして、一体何をやっているっ?!」


「……!!!」


痛みを堪えて起き上がると、目の前に憤怒の表情を浮かべ怒鳴る白瀬先輩の姿があった。


彼女がこんなに怒っているのを俺は初めて見た。


そして、彼女は怒りを押し殺すように拳を握り込むと、フウッと息をついて、さっき言った事について説明をした。


「芽衣子嬢は、自殺を考えて「もう学校で会えない」と言ったわけではない。彼女の性格上、自殺は選ばないと思うし、前々から彼女はこの学校を去らねばならない案件が生じ、どうしようか迷っているようだった。」


「!!そんな…!そんな大切な事、なんで、俺に言ってくれなかったんだ!?」


事情を知っていたらしい白瀬先輩を俺は思わず八つ当たりのように責めてしまった。


白瀬先輩は困ったように肩を竦めた。


「言えないだろう…。

上月さんの事で必死になっている君を見ていたら。あるいは、君のそんな姿を見て、敢えてそちらの道を選択しようとしていたのかもしれないし。」


「そんな!俺は、彼女とちゃんと向き合う為にも小説対決を頑張っていたのに。ずっと一緒にいたのに…!やっと彼女の正体も受け止める気持ちになれて、後で話そうと言ったのに…!」


俺は芽衣子ちゃんに言うべき言葉を白瀬先輩にぶつけてしまっていた。

そんな俺に白瀬先輩は辛そうに頷いた。


「ああ。それで君達はギクシャクしていたのか…。うん。私は分かるよ。君を見ていれば、芽衣子嬢への気持ちも、彼女の隣に立てるよう、自信を持ちたくて、あんなに懸命に尽力していたのであろう事は…。


でも、彼女にちゃんと、その気持ちを伝えたのかい?

彼氏の義務からではなく、ただ側にいたいからだとそう言ったかい?

彼女にとっては、上月さんの為に努力している君の姿を間近に見せられるのは、辛い事だったんじゃないのかい?」


「…!!」


「彼女は君や読書同好会の意向に背くと分かっていながら、覚悟の上で、君の小説に投票し、皆の前で、力を振るってまで君の原稿

を守り通した。


それなのに君は、告白もできず、彼女の正体を受け入れる事を躊躇い、上月さんを優先した。彼女はもう限界だったんじゃないか?

その状態で待ってくれる女はいないと思うぞ?」


「そんな…。」


白瀬先輩は、愕然としている俺に、小さな子どもに言い聞かせるように言った。


「芽衣子嬢は意志が固い子だ。その彼女が背を向けてしまった以上、それを覆すのは並大抵の事ではないと思う。

矢口少年にはおそらく無理だ。諦めなさい。


こうなってしまった以上は、彼女が選んだ新しい道を祝福して、応援してやりなさい。


それが、君が彼女にしてあげられる唯一の…。」

「嫌ですっ!!俺は彼女を失ったら生きていけませんっ!!」


白瀬先輩が言い切る前に俺は駄々っ子のように大きくかぶりを振った。


分かってる。


綺麗で真っ直ぐな彼女に、平凡で逃げてばかりの俺は相応しくないって。


彼女の隣に立てる男になりたくて、小説対決に尽力して、人の役に立てる事を証明したかった。

だが、彼女の求めていたものは、他の女子に目が向きようもないぐらい、今彼女に向かっている気持ちをそのまま伝えて、正体を隠したままでいる不安を解消してあげる事だったのだと、今なら分かる…。


なのに俺は、逆に彼女との唯一の絆である嘘コクを通したこの関係を断ち切ってしまった。


もう、俺には彼女に言い訳する資格も追いかける資格もないのだと頭では分かっている。


けれど…。


「例え彼女に拒絶されてしまったとしても、このまま終わりにしたくないっ!!

ちゃんと本当の気持ちを伝えたい!!」


狡くても我儘だとしても、どうしても彼女を諦められなかった。


白瀬先輩はそんな俺を見て、目を丸くすると

困ったような、面白がっているような複雑な表情になった。


「そうか…。君の中にもそんな強いエゴがあったんだな…。


それなら、チャレンジしてみるといい。


ただ、とても難しい事だとは思うぞ?


今まで女性不信の君の心をも揺り動かす勢いで向かっていた芽衣子嬢の君への気持ちと同じ強さで今度は君を拒むだろう。


生半可な言葉では彼女に届かない。


彼女の意表を突き、本音を引き出す事が出来たら、あるいは可能性があるかもしれない…。」


「…!やってみます。」


白瀬先輩のアドバイスに俺は大きく頷き、彼女は満足そうに微笑んだ。


「うむ。頑張れ、矢口少年!」


「はい。ありがとうございました。」


「や、矢口…!マキちゃんから、メール来た。今、芽衣子ちゃんと連絡とれたって!

やっぱり家に帰って来て、元気はなさそうだったけど、おかしな事は考えたりしてないって。」


今まで、俺と白瀬先輩の雰囲気に圧倒されて、話の切れるタイミングを見計らっていたらしい柳沢が勢いこんで伝えて来た。


「…!!よ、よかっ…。」


俺は安堵のあまりその場に崩れ落ちた。


「「よかったですぅ…!うわぁっ…!!」」

「氷川さん、よかったぁ…!」


抱き合っておいおい泣いている紅ちゃんと碧ちゃん。

上月も目に涙を浮かべている。


「皆、心配かけてごめん。俺も、芽衣子ちゃんの家に行って話をして来るよ。」


俺は荷物を引っ掴んで、足早にその場を去ろうとすると、

上月が後ろから大声で叫んで来た。


「矢口!私のせいで、氷川さんに誤解をさせちゃって、本当にごめんっ!!もし、誤解を解くために、必要だったら、私説明するから、連絡して?」


「…!いや、上月のせいじゃないけど、

気持ちはありがとう…!」


俺は心労をかけてしまった上月に胸の痛む思いで、礼を言った。


いつかの上月と同じ事を芽衣子ちゃんにしてしまった今となっては、俺はあの時の上月の気持ちがよく分かった。


大事な人を傷付けてしまった俺は、あの時の俺が上月にしたように、芽衣子ちゃんに拒絶され、話を聞いて貰えなかったとしても、仕方がない。

不安な気持ちは抱えてはいたが…。


「矢口、頑張って!二人がうまくいくよう祈ってる!」

「「矢口くん、頑張って下さいね!」」


「応援してるぞ?」

「「矢口くん。頑張れ(って)!」」


柳沢、紅ちゃん、碧ちゃん、白瀬先輩、今までオロオロしながら様子を窺っていた小谷くん、大山さんにも激励を受け、俺は自分にも言い聞かせるように重々しく頷いた。


「うん。皆、ありがとう。今度こそ、きちんとと向き合えるように頑張って来る!」

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