第202話 彼女との嘘コク関係が終わる時

今までの悪事が明らかにされ、絶望的な状況になった千堂が、八つ当たりのように、ダミー原稿に力を込め、破ろうとした瞬間…。


隣にいた芽衣子ちゃんは、会議室テーブルを蹴ると、右足を構え、千堂の元へ跳んでいた。


「め、芽衣子ちゃん、ダメだーっ!!!」


驚いて叫んだけど、もう彼女の勢いは止まらなかった。


「きゃあああーーっっ!!」

「さ、沙也加さんっっ!!」


跳んでくる芽衣子ちゃんに悲鳴を上げる千堂と、それを庇おうと彼女の前に覆い被さる左門。


芽衣子ちゃんの右足は、左門の額を掠め、その風圧は奴の七三分けの前髪の三の部分を丸ごと切り取った。

「ひっ!ひいいぃっ…!!||||」


床に髪が散らばっているのを見て、左門は腰を抜かした。


ああっ…!とうとうやってしまった!!


止められなかった後悔と共に、俺はこんな時だというのに、怒りに染まった彼女の表情と

見事なまでに美しい右足の動きに、見惚れてしまっていた。


芽衣子ちゃんは、床に一度左足を着地し、勢いで、右足を千堂先輩の首筋に回し当て

怒りのままに叫んだ。


「例え本物でなくても、作者にとっては大切な作品なんです!!

そんな事も分からないあなたにそれを傷つけていい権利はありませんっ!!」


「っ……!!!っ……!!!||||」


千堂は恐怖にガタガタと震え、力の入らなくなった彼女の手から離れた原稿が床に散らばる。


千堂に当てていた右足を離し、芽衣子ちゃんは原稿を拾い集めた。


「ふ、ふぐぅっ…。ふうぅっ…。」

「ううっ…。俺の髪がぁっ…。」


「あなた達には、作者がどんな思いでこの原稿を書いたかなんて分からないでしょうね…!」


その場にへたり込み、泣いている千堂、左門を睨み付け、芽衣子ちゃんは破れかけた原稿を大事に胸に抱きかかえた。


その顔は酷く青褪め、手元はブルブルと震えていた。


その時、俺は昔、殴られている俺を助ける為、めーこがトラ男に初めて攻撃を食らわした時の事を鮮明に思い出していた。


金蹴りを食らわせ、泣き叫ぶトラ男の前に仁王立ちになり…。


「次は必ず…!!」


と、のたまっためーこだが、確かあの時の彼女も、青褪めて震えていたんだ。


今まで、めーこは大人しく弱いと思っていたけど、本当にそうだったろうか。


今まで、芽衣子ちゃんは積極的で強いと思っていたけれど、本当にそうだったろうか。


自分より強い相手に立ち向かうのが怖くない訳ない。

周りが皆敵になるかもしれない状況で、一人で力を振るうのが怖くない訳ない。


けど、俺の為には勇気を振り絞ってくれたんだ。


過去の『めーこ』と今の『芽衣子ちゃん』が

交差するー。


「めーこ」の中に「芽衣子ちゃん」の強さがちゃんとあり、

「芽衣子ちゃん」の中に「めーこ」の弱さが

ちゃんとある事に、俺は今気付いてしまった。


そして、「芽衣子ちゃん」が「めーこ」だとしたら、それを今まで伝えられなかった理由も朧気ながらに分かるような気がしたのだ。


「めーこ」は俺によく似ていたから…。


彼女と向き合わなければならない。そう強く決心した。



❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇



あれから、皆の荷物を部室に移動させた後、紅ちゃん、碧ちゃんは、鈴城さんに今回の小説対決の結果を伝えてくると、部室を出て行ったっきり、戻って来なかった。


俺は部室で一人、芽衣子ちゃんや、上月が先生達とどんなやり取りをしているかと、ヤキモキしながら皆を待っていた。そこへ…。


ガラリ…。


不意に部室の戸が開き、茶髪美少女が部室の戸口から顔を出した時、俺は席を立ち、彼女に飛び付くように詰めよってしまった。


「め、芽衣子ちゃん。大丈夫だった?」


「え、ええ…。心配かけてしまってごめんなさい。皆さんに助けて頂いて、何とか、厳重注意だけで、処分は受けずにすみました。」


彼女はそんな俺に驚いたような顔をしつつ、答えてくれた。


「よ、よかったぁ…。」


俺のせいで、彼女が処分を受ける事になってしまったらどうしようかと思った。


ホッと胸を撫で下ろしていた俺に、芽衣子ちゃんは、何とも言えない複雑そうな顔をした。


「そうですね。もう少しで、読書同好会の皆さんにも迷惑をかけるところでした。

危なかったです。」


普段の彼女らしくなく、少し剣のある言い方をしてくる彼女に俺は目を丸くした。


「芽衣子ちゃん…?俺はそんな事は別に…。ただ、君が心配で…。」


「そうなんですか?今日は、京先輩、何だか私と目が合わなくて冷たかったけど、心配してくれてたんですね。」


「そ、それは…。ちょっと、事情があって…。」


冷たい目で俺を見てくる彼女に、彼女が俺に対して怒っているのだと気付いた。


確かに今日の俺の芽衣子ちゃんへの態度は理不尽で明らかにおかしかったよな。


でも、一体何から話せばいいんだ…?


俺は、芽衣子ちゃんから気まずく視線を逸らせた。


そんな俺に彼女は、淡々と説明を続けた。


「安心して下さい。先程、紅先輩、碧先輩、が鈴城さんを職員室に連れて来て下さって、証言して下さるとの事だったので、千堂先輩、左門先輩の盗作は明らかになりそうですよ。」


「そ、そうか…。紅ちゃん、碧ちゃん、鈴城さんに結果を伝えに行くって言ってたけど、彼女証言してくれる気になったのか…。

まぁ、それはよかったけど、芽衣子ちゃん、これからは、ああいう無茶はしないでね?


まぁ…。こっちも、その…。小説対決について、詳しく知らせてなかったから、余計に心配をかけた部分はあると思うけど…。」


芽衣子ちゃんを諫めようとして、俺は少し言い淀んだ。


ダミー原稿の作者が俺だと知っていた為に、彼女に余計な心労をかけてしまった事を申し訳なく思っていたから。


彼女はダミー原稿(俺の作品)を、上月の作品を引き立たせるに使う事を許容出来なかったんだろう。


だから、投票の時に読書同好会の皆を裏切るような心苦しさを感じながらも、敢えて千堂(ダミー原稿)の方に投票したし、千堂達に破り捨てられるのが堪えらず、あんな事を…。



「芽衣子ちゃんは、知っていたんだね…。」


「ええ。ごめんなさい。気になってしまって、京先輩が寝ている間にパソコンの画面を見てしまいました…。けど…。どうして教えてくれなかったんですか?」


芽衣子ちゃんに、眉根を寄せて責めるように聞かれ、俺は気まずい思いで答えた。


「知っていたら、君は反対すると思った。

それに、今回の件は、君の力に頼らずにに俺の手でカタを付けたかった。」


「…!! どうして…?どんな事でも、私は京先輩の力になりたかったのに…。」


「それは…。今は言えない…。」


哀しげな表情で頼って欲しかったと言ってくる彼女に、まだ全てをさらけ出せないのが心苦しくて、俺は俯いた。


この小説対決を自分の力で乗り切って、芽衣子ちゃんの隣に立てる男として自信を持ちたかった。

もう一つやる事が残っている。


そうしたら、俺は本当の意味で彼女に向き合う事になるだろう。


今朝、偶然聞いてしまった母親の電話の内容を思い出す。


『ええ。聞いているわ。今日、その部活のゴタゴタが終わった後、芽衣子ちゃん、自分が『めーこ』ちゃんだと、京太郎に話すと言っていたわね。』



俺は、真剣な表情で、彼女に問いかけた。


「けど、君だって、俺に教えてくれない事があるだろう?


柳沢と何か画策していた事があるんだよな?

本当に君は嘘コクが好きで俺に嘘コクミッションの協力を求めていたのか?

それとも、他の目的があったのか?


嘘や隠し事があるなら、今までどうして教えてくれなかったんだ?」


「…!!!そ、それは…。」


芽衣子ちゃんは意表を突かれたように、一瞬言葉に詰まった。


そして、愕然とした様子で、俺に謝って来た。


「ごっ…、ごめんなさいっ…。


嘘や、隠し事をするのは悪い事です。それは私も分かっています。


けどっ…そうしなければ…私は、あなたの側には、いられませんでしたっ…。」


ポロッと涙を零す芽衣子ちゃんに、胸が痛んだ。

彼女が望むならこのまま嘘コク上の関係を続けてあげたかった。

でも、それは、彼女の真実を知るまでの事。

全てを知った上で、嘘のまま、この関係を続けていく事はできない。


俺は首を振ると、強いてハッキリと決定的な言葉を告げる。


「けど、嘘の関係からは何も生まれないよ。

芽衣子ちゃんとの嘘コクミッションの設定上の彼氏彼女の関係、一度おしまいにしよう。


俺は誰かと付き合う前に、向き合わなきゃいけない相手がいる事に気付いたんだ。」


「京…せんぱいっっ…!!!」


芽衣子ちゃんは、顔を歪ませ悲痛な声を上げる。

彼女は吹き出る涙を拭いもせず、感情を昂らせて叫んだ。


「上月先輩は、あなたを一度傷付けた相手ですよっ?それなのに、どうしてそこまでっっ!?」


「それでも、俺は上月とちゃんと向き合いたいんだ。」


「きょう…せんぱいっ…。」


芽衣子ちゃんの涙を苦しい思いで見詰めながら、俺はハッキリ宣言した。


君ときちんと向き合う為にも、俺は上月と一度きちんと話をしなければならない。


過去、上月から逃げてしまった事を今までずっと悔やんで来た。

皆に協力してもらい、上月の作品『翼族の兄弟』を守る事ができた今なら、

あの時聞けなかった彼女の言い分も、自分の愚かさも何もかもを受け入れる事ができるような気がしていた。


ガラリ…。


「「「!!」」」


ちょうどそこへ、上月が部室の戸を開けて、部屋の中の俺達のただならぬ雰囲気に目を丸くした。


「え、えっと…。取りあえず、私の方は話が済んで戻って来たんだけど…。


どうしたの?氷川さん、泣いて…?!」


「だ、大丈夫…です…。」


芽衣子ちゃんは涙を拭い、口元を押さえ、気まずそうに俯いた。


俺はそんな彼女に呼び掛けた。


「とにかく、芽衣子ちゃん。後でもう一度話し合おう。すぐ戻ってくるから、ここで少し待ってて?」


そして、俺は上月に真剣な目を向けた。


「上月、話がある。ちょっといいか…?」


「え、ええ。いい…けどっ?本当に…大丈夫なのっ?」


上月は、芽衣子ちゃんを心配げに見遣りつつ、俺と共に廊下に出た。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る