第136話 彼女の不安
「アンケートの集計の表を作るだけでいいんですね?ハイ。出来ましたよ?後は数値入れるだけです。」
振り向いて確認すると、隣の新谷先生は、さも嬉しそうにウンウンと頷いた。
「ありがとう〜。いや〜、いつも悪いわねぇ。矢口くん。ついでに、数値も入れちゃってくれる?私、課題をみるので忙しくって!
」
「はああ?」
気軽に頼んでくる新谷先生を思い切り睨んでやった。
机の上に積み上がっているアンケート用紙の山を見れば、昼休みいっぱいその作業で潰れるであろう事は間違いなかった。
「あ、お腹空くでしょうから、数値入れるのは、お弁当食べ終わってからでいいわよ?彼女お手製の♡」
しかし、強かな29才婚活中崖っぷちの新谷先生は、怯むことなく、俺の機嫌をとるかのように、俺の持っている角型のランチボックスを指差した。
「そうさせてもらいますよっ。お先に頂きますっ。」
俺はランチボックスの蓋をとり、中に入っていたサンドイッチにヤケクソのようにぱくつき始めた。
そのサンドイッチの一つ一つには、桃型の焼印が押されている。
あ〜あ、今日は、風紀委員の活動に参加するのは、無理そうだと、芽衣子ちゃんにメールで伝えておかなきゃな…。
芽衣子ちゃんの寂しそうな顔を思い浮かべて、大きなため息をついていると、
新谷先生が流石にすまなそうな顔を向けてきた。
「もーう。可愛い彼女から引き離して悪かったわよう!でも、私だって、担任として何もしてないワケじゃないのよ?君と、氷川さんの噂が広がった時には、『彼は、(ヘタレだから、)決してそんな事はしていませんっ』
て、毅然とした態度で教頭に主張してあげたんだからねっ?」
「ま、まぁ、それはありがたいですけど…。」
「氷川さんの担任は、生活指導の先生に丸投げしたみたいだけどね?」
新井先生は声を潜めてそう言うと、少し離れた席にいる生活指導の金七先生が芽衣子ちゃんの担任の先生長谷川先生とどう見てもイチャイチャしているところを指差した。
金七先生は、長谷川先生にもらったらしい弁当をデレデレしながら、嬉しそうに食べていた。
「あれ、多分、ロー○ンの幕の内弁当お弁当箱に詰め直しただけ。」
「そうなんですか?」
俺は驚いて小声で問い返した。
「ええ。私、よくコンビニ弁当買ってるから間違いないわ。同じお弁当でも、あなたのもらったのとは、随分差があるわよね〜。金七先生も可哀想に…。」
新谷先生は、クスクスと意地悪な笑みを浮かべた。
「あなたには、こんなに気持ちのこもったお弁当を作ってくれる彼女がいるんだから、
そろそろ、もうあの事に区切りをつけてもいいんじゃない?何なら、氷川さんも誘って、
ちゃんと部の活動に本気で参加するようにしてみたら?
将来の希望を考えたら、あなたにとっても、読書同好会の皆にとっても、いい事だと私は思うけど…。」
珍しく新谷先生にまともな事を言われ驚きつつ、俺は目を逸らした。
「いや、そんなの、無理ですよ。俺は良くっても、部長が嫌がりますよ。」
「それは、話してみないと分からな…」
「失礼します!」
その時、凛とした声が響き、白瀬先輩が職員室の戸を開け、中に入って来た。
俺と目が合うと、にっこりとこちらに手を振りつつ、生徒指導の金七先生の方へ向かって行った。
「今日の服装チェックの報告書です。」
「ああ。白瀬、ご苦労様。」
白瀬先輩が、書類を手渡しながら、金七先生の食べていたお弁当を見て、目を丸くした。
「先生。そのお弁当…。(コンビニ弁当、詰め直しただけ…?)」
「ああ。これな。長谷川先生が俺の為に作ってくれたんだ。いいだろう?」
「うふふ。」
「そ、そうなんですね…?わ、わあー。美味しそうなお弁当だなぁ。長谷川先生料理お上手ですねー?」
「うふふ。それ程でもないわよ〜。」
白瀬先輩は、得意そうな二人の先生を前に引き攣り笑いを浮かべながら、棒読みでお弁当を褒めていた。
「ぷぷっ。白瀬さんもコンビニ弁当だと気付いてるみたいね…。」
と新谷先生が笑いを堪えるように口元を押さえている。
「では、失礼します。」
白瀬先輩が早々に金七先生達に背を向けて、
職員室を出ようとしたところで…。俺と新谷先生の方へ向き直った。
「新谷先生、差し出がましいようですが、風紀委員の意見として、一言だけよろしいでしょうか。」
「白瀬さん?な、何かしら…?」
先生方からも一目置かれている程優秀な生徒である白瀬先輩に、きっと見据えられ、新谷先生は、少し怯んだように瞬きをした。
「一人の生徒を私用であまりこき使い過ぎるのは、どうかと思いますよ?昼休みは、風紀委員の活動予定となっています。
彼には、他の生徒参達と同じように委員会に参加して、社会経験を積む権利があると思いますが…。」
…!!
まさか白瀬先輩が、俺への扱いについて先生に抗議してくれるとは…。
彼女の少し怒りを孕んだ瞳を、俺は有り難い気持ちで見遣った。
「うぐっ。ま、まあ、委員会も大事だけど、
今、彼は先生のお手伝いをする事でも、充分社会経験を積むことができて、勉強になっていると思うわよ。」
「新谷先生…。」
自分がサボりたいだけで、こき使ってるくせに、よく言うよ。この人は…。と俺は新谷先生に呆れたような視線を向けた。
白瀬先輩は、そんな新谷先生に頷き、小声で言った。
「そうなんですね。そういえば、
新谷先生、この近くの居酒屋で、
『婚活がうまく行かない!男なんて!!』
って他のお客さんにくだまいたあげく、酔っ払って男子便所へ行って、眠りこけていたらしいじゃないですか?」
「!!!」
俺が思わず新谷先生をジト目で見ると、蒼白になっていた。
どうやら、本当の事らしい。
本当に何やってんだ、この先生…。
「そんな豊かな社会経験をお持ちの先生の元でなら、たしかに、矢口少年は、有意義な学びを得ることができるでしょうね?」
いたずらっぽい笑顔を浮かべてそう言う白瀬先輩に、新谷先生は、タジタジだった。
「し、白瀬さん…。どこでその話を…?」
「ああ。その居酒屋さん、父の行きつけのお店なもので。」
「あ、あの、その話は他の人にはしないでとらえるかしら?」
「え?でも、先生の豊かな社会経験を皆で共有できた方が、勉強になって良くないですか?ね?矢口少年?」
話を振られて俺も大きく頷く。
「ええ。全くその通りだと思いますよ、先生?」
「も、もぅ、分かったわよぅ!矢口くんをもう解放するから、その話は黙ってて!お願い!!」
「了解しました!」
半泣きで、手を合わせて頼み込んでくる新谷先生に、白瀬先輩はニンマリ笑顔を浮かべ、俺にサムズアップをした。
*
*
*
職員室を出ると、俺は白瀬先輩に礼を言った。
「さっきはありがとうございました。相変わらず凄いですね?白瀬先輩は…。先生とも対等にやり合うなんて…。」
「いや。大した事ないよ。実家が道場を営んでいる関係で、情報が集まり易いだけだ。
この学校の先生達は、根は悪くないんだが、放任主義で、生徒に仕事を多めに任せがちだからな。矢口少年も、無理なときには、一つや二つ断る為のネタを持っとくといいぞ?
」
「は、はあ…。勉強になります。」
俺が感心していると、白瀬先輩は、苦笑いをした。
「なんて、偉そうに言ったところで、何でもそれで切り抜けられるワケじゃない。肝心の大事な者は守れないままだけどな…。」
「大山さんの事ですか?」
俺が思い当たる事を言うと、白瀬先輩は憂いを含んだ眼差しで頷いた。
「ああ。雅があんな事になったのは、私のせいだ。秋川栗珠の狙いは私だった。」
「そうだったんですか?」
「ああ。割と目立つ立場にいて、かつ、
栗珠の悪事の情報を掴んでいた私は、彼女にとって、目の上のタンコブだった。
去年の11月頃、新聞部から風紀委員への取材の依頼が来た事があったんだが、秋川と新聞部が良からぬ事を企んでいるという情報を得て、断ったんだがな。
次に雅に個人宛てに依頼が来たらしい。
私は雅を強く止めたんだが、余計に雅は頑なになってしまって、拗れてしまって…。
危うく、風紀委員を中傷するような記事を書かれそうになるところを、現場を取り押さえて、生徒会や先生方にも報告する大事になった。
邪な事を企てた新聞部は、3ヶ月活動停止の処分を受け、その後記事を発行する時は必ず、風紀委員と生徒会の校正を受けるように
なったが、
新聞部に入れ知恵したであろう秋川は、巧妙に逃げ、裁くことが出来なかった。
雅は、大きなショックを受けてな。この事で、元から折り合いの悪かったクラスの女子グループから責められたのもあって、不登校になってしまったんだ。」
「そう…だったんですね。」
大山さんの事は、小谷くんから、大まかな事は聞いてはいたが、白瀬先輩から詳細を聞くのは初めてだった。
その出来事は、大山さんや小谷くんにとってはもちろん、白瀬先輩にとってもひどく辛い出来事であっただろう。
俺は、当時、後から事件のことを知り、何も力になれなかった事を苦々しく思った。
「俺は秋川の本性を知っていたのに、彼女について注意するよう言うべきでした。皆に色々よくして頂いたのに、何も出来ず本当にすみませんでした。」
「いやいや。矢口少年、なんで君が謝るんだ?君が秋川栗珠に何をされたかは、大体知っているし、油断ならない相手だという事は充分分かっていたのだ。それでも、あんな事態になってしまったのは、私の対応が甘かったせいとしか言えない。
君が気負う事ではない。
それに、君と、芽衣子嬢が秋川栗珠と共に、校内放送に出演した直後に、バスケ部女子と結託して、彼女の悪事を暴くことができた。あの秋川栗珠が、別人のように大人しくなっていたのは、君の働きかけがあったせいじゃないのか?」
「そ、そんな…。俺は何もしてません。」
俺が目を逸らすと、白瀬は、ふふっと意味ありげに笑った。
「君は嘘が下手だからな…。まぁいい。芽衣子嬢を守る為に君がした事については特に追求しないよ。
その調子で、彼女をしっかり守ってあげてくれ。
おせっかいついでに、言わせてもらうと、
矢口少年が、いい人なのは、大変結構な事なんだが、八方美人なのは、よくないと思うぞ?
その親切が誰の為のもので、一番大切な人が誰なのかは、きちんと芽衣子嬢に伝えて、
彼女の不安を取り除いてやりなさい。
彼女がおっぱいを押し付けなくてもいいように…」
そこまで言いかけて、白瀬先輩は、何かに思い当たったようにキョトンとして、小首を傾げた。
「ん??もしかして、わざとやってるのか?」
「んなわけないでしょう!」
俺は顔を赤らめてすぐに否定した。
俺は何故かこの人に芽衣子ちゃんの胸に触れてしまった現場を何度も見られてしまっているんだよなぁ…。
「よかった。矢口少年は意外と鬼畜なのかと思った。
芽衣子嬢は、君を一途に慕っているから、君は不安になることなんてないだろうから、彼女の気持ちは分からないんだろうが…。」
「ありますよ。不安になる時なんて!」
決めつけてくる白瀬先輩に、俺は反論した。
「どういう時に不安になるんだ?」
咄嗟に思い浮かんだのは、剛原や、菱山、南さんの事だった。
「うーん、彼女が、他の男子の名前を間違えずに呼んだ時や、たまたま彼女が他の男子と似た色彩の服を着ていた時とかですかね…。」
「君は一体何を言っているんだ…?」
白瀬先輩は、ジト目になっていた。
「ごめんなさい。間違えました。」
自分でも何言ってんだろうと思ったわ。
慌てて取り消そうとする俺に、白瀬先輩はジト目のまま、首を振った。
「いや、今ので、分かった。君は、芽衣子嬢の絶対的な好意に甘えて胡座をかいている。
無意識には彼女が、自分以外の男子に目もくれないのが当たり前と思っている。」
「そ、そんな事は…!」
俺は慌てて否定しようとした。
その時話しながら歩いていた俺達は、
生徒指導室のある、3階への階段を上がり切ったところだったのだが…。
「?!!」
左手方向からこちらに歩いてくる二人の男女の姿を俺は信じられない思いで見詰めていた。
「どこから聞いたのか知りませんが、その噂は、本当の事じゃありませんからね?変な事を言ってはダメですよ?」
「そ、そうなんだ…。」
そこには手を繋いで仲睦まじく話している、芽衣子ちゃんと庭木くんの姿があったのだ。
「め、芽衣子ちゃ…。」
「お、おっと、そう来たか?あ〜、うん…。あれは、流石に不安になる…かもな。」
目を泳がせて白瀬先輩が何かを呟いていたが、ショックを受けて愕然としている俺にはほとんど何も聞こえなかった…。
*あとがき*
今話と、121話で、京太郎くんの所属している部活が、文芸部になっていたり、文芸倶楽部になっているミスが発覚しまして、
読書同好会に訂正させて頂きました。
最近ポカが多くて、大変申し訳ありませんm(_ _;)m💦💦
ご迷惑をおかけしますが、今後もどうかよろしくお願いしますm(__)m
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