第90話 サラブレッドの葛藤

「私ったら、京先輩に何て事を…!ごめんなさい!ごめんなさい!今日は、悪質なナンパに絡まれる事が多くって、またナンパかと勘違いしてしまって。ほんっとーにごめんなさい!!」


こめつきバッタのようにペコペコ頭を下げて謝る芽衣子ちゃんを、俺は、慌てて両手をかざして止めた。


「いや、そんなに謝らないで。俺の方こそごめん!急に声かけたらビックリするよな?」


と謝り返しつつも、ここまでの道のりで見た眠れる道端の男達って、まさか芽衣子ちゃんが…と再び青褪めていた。

一歩間違えば、俺も眠りの小○郎になっていたかもしれない。


今度はちゃんと名前を読んで、呼び止めるようにしよう…。


「えーと…。京先輩、それで、なんで私を追いかけてきたんでしょう?」


「あ、ああ…。それは、えっと…。」


やべ。追いかける事に必死になってて、考えをちゃんとまとめてなかった。

言いたい事は、沢山あるが、何から伝えればいいんだろう…?


言い淀んだ俺に、芽衣子ちゃんは少し表情を曇らせた。


「ああ、真柚さんの事ですか?

あーちゃん、ああは言いましたが、嵐山魁虎の事は鷹月師匠にも相談の上、徹底的にやっつける気でいますし、心配しないでくださいね?

私もできる限り協力しますし…。

それとも、さっき真柚さんと揉めてしまった件ですか?もうちょっと、ちゃんと真柚さんに謝った方がよかったでしょうか…?」


叱られた後、飼い主の機嫌を窺う子犬のような目で遠慮がちに俺を見上げてくる芽衣子ちゃんに胸が痛んだ。


芽衣子ちゃん、俺が真柚ちゃんの件で、何かを言いに来たと思っているのか…。


そうだよな。さっきは、芽衣子ちゃんの味方になってあげられなかったもんな…。


「ち、違うよ。そういう事じゃなくて、俺、君に謝りたいと思って来たんだ…。」


「私…に…?」


芽衣子ちゃんは、キョトンとして、パチパチと目を瞬かせた。


「ああ。今日はせっかく俺の為に真柚ちゃんの件で、来てくれていたのに、俺、芽衣子ちゃんによくない態度をとってしまってごめんね。俺、どうかしてたよ。真柚ちゃんと揉めたとき、味方になってあげられなくて、逆に君を責めるみたいな言い方をしてしまってごめん!本当にごめん!!」


「きょ、京先輩!そんな、頭上げて下さい。私だって悪いところがあったんですから。」


俺が深々と頭を下げると、芽衣子ちゃんは慌てたように言った。


「私だって、今日、あんまり冷静になれなくて、嵐山魁虎から被害を受けている真柚さんを傷付けて怒らせてしまうような発言をしてしまったんですから…。京先輩が信用して、相談してくれてたのに、変な雰囲気にしてしまってごめんなさい!!」


芽衣子ちゃんが頭を下げてくるのに、


「いやいや、俺の方が悪かったんだよ。」

「いえいえ、私のほうが。」


と、謝り合っていたら、芽衣子ちゃんがクスクス笑い出した。


「ふ、ふふっ。私達さっきから、謝り合ってばっかりですね。ふふっ。なんだか、おかしい…。」


「た、確かに…。」


俺はポリポリ頭を掻きながら、笑っている芽衣子ちゃんのピンク色の頬や、長いまつ毛、口角の上がった紅色の口元をチラチラと窺った。


やっぱり、可愛い…よなぁ…。


胸の中のわだかまりが溶かされて、癒やされていくのを感じながら、一方で、そんなのは許されない事だと、責める自分もいた。


「芽衣子ちゃん。君に聞いて欲しいことがあるんだ…。」


「京先輩…?」


「俺の、今までの事。ちょっと長くて重い話になる…。多分、芽衣子ちゃんはそれを聞いていい気分にはならない。

もし、君が嫌だというなら、無理には頼めないけど…。」


そう言って俯いた俺に、芽衣子ちゃんはブンブンと首を横に振った。


「いいえ!京先輩の事なら私はどんな事でも知りたいです。」


「芽衣子ちゃん…。」


「込み入った話になるなら、どこかで落ち着いて話しませんか?例えばその…、私の家…とかダメ…ですか?」


胸の前で手を組み合わせ、頬を上気させて、上目遣いでお願いをしてくる芽衣子ちゃん。


うっ…。芽衣子ちゃんからこんな風に頼まれて、俺は断れた試しが…。

        

         *

         *

         *


「いらっしゃい。矢口くん。」


ヒヒン。どこかで、馬のいななきが聞こえたような気がした。(多分、俺の幻聴)


「こんにちは。すみません。お邪魔します。」


凛々しい馬の顔で、にこやかに玄関口で迎えてくれる芽衣子ちゃんママにも、俺は初めのときよりは、動揺せずに挨拶できたと思う。


あの後、芽衣子ちゃんから、お母さんは在宅だと知らされていたし。


まぁ、休日だし、普通にご家族いるよね。

家で二人きりという状況の方が緊張してしまうところだったからむしろよかったかも。


「これ、つまらないものですが…。」


駅前のシュトレーゼで買ったお菓子の詰め合わせを差し出した。

芽衣子ちゃんはお土産なんかいらないと言ったのだが、年頃の女の子の家に遊びに行くのに、そういうわけにもいかない。


「あらぁ、矢口くん、気を遣わなくていいのに…。ありがとうね?さぁ、リビングにどうぞ?すぐお茶を出すから…」


「あ、あのね、お母さん。今日は私の部屋で京先輩と話があるから、お茶は部屋に持って行っていいかな?」


「えっ。リビングじゃないの?年頃の男女が、部屋に籠もって一体何を?!」

「ひっ!」


動揺した馬(芽衣子ちゃんママ)はぶるぶるっと身震いをして、俺をビビらせた。


「もう、お母さんったら、話をするだけだってば!」


「そ、そうです。やましい事は何もしません。安心して下さい!」


慌てて、弁解(?)する俺達の言葉を聞いているのかいないのか、鼻先(口元)を両手で、押さえて、何かブツブツ呟いていた。


「ええ、そう、そうよね…。芽衣子ももう子供じゃないものね。

娘の成長を受け入れなければ…。

京太郎くんは、もうこれ以上望むべくもない程の相手。ここで躊躇ったら、この子が嫁にいく機会はもうないかもしれない。

また格闘の世界に身を投じて、修羅の道を歩むことになってしまうかも…。

覚悟を決めるのよ。麻衣子…。」


「もう、お母さん、何をブツブツ言ってるの?ここにあるお茶、ポットごと持ってくからね?」


芽衣子ちゃんは、呆れたように言うと、トレーにポットとマグを載せた。


「え、ええ、行って。私に構わず行ってちょうだい…!」


馬(芽衣子ちゃんママ)は、俺達にたてがみ(背中)を向け、哀愁を誘う後ろ姿を見せていた。


「もう、お母さんが変な事言ってごめんなさいね。」

「い、いや…。」


赤くなって謝ってくる芽衣子ちゃんに俺はぎこちない笑みを向けた。

や、やっぱり芽衣子ちゃんママ、インパクト強いわ。

俺はドキドキする胸を押さえて、お茶セットをトレーで運ぶ芽衣子ちゃんと共に、彼女の部屋に向かったのだった。        

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