第83話 邪なキス

俺は自宅からアパートまでの徒歩15分程の道のりを、軽いとは言えない足取りで向かっていた。

亮介のアパートへ行くのも去年の秋以来だな…。

真柚ちゃんの家庭教師の為、ここに何度も通った事。

そして、最後には亮介のアパートの前で、トラ男と真柚ちゃんが抱き合っている姿を見て、彼女に激しい言葉で詰られ、絶縁状を叩きつけられた事を苦々しく思い出していた。


久々に送られて来た真柚ちゃんのメールは

トラ男から助けて欲しいというものだった。


すぐに、亮介経由で連絡をとって事情を聞くと、受験の時一度はトラ男と別れようと決意をした真柚ちゃんだが、高校入学後、またトラ男が現れ、交際時に撮られていた下着姿の画像をネタに脅され、復縁を余儀なくされたのだと言う。


その上、不良仲間と一緒に同じ学校の生徒をカモにカツアゲの協力するように言われていて、それは色々言い訳をして必死に断っているそうだが、そういう事情もあって、学校にはほとんど行けてないそうだった。


なんとも救いのない状況で、本来なら警察に相談すべき案件だが、画像の拡散を恐れてなるべく公にはしたくないという事だった。


真柚ちゃんからのメールを受け取った時に側にいた芽衣子ちゃんにも、亮介に了解をとって相談すると、芽衣子ちゃんの元姉弟子の南アキさんがそういった不良事情に詳しいそうで、今日の午後話を聞いてもらうアポをとってくれた。


芽衣子ちゃんは、南さんと一緒に少し遅れてくるとの事で、一足先に俺は、亮介のアパートへ着いたのだが…。


亮介のアパート近くの道路で、亮介と真柚ちがこちらに気付いて手を振ってくれた。


「おーい、京太郎〜。」

「矢口さん…。」


真柚ちゃんは、白いブラウスにフレアースカートというこの間のギャルっぽい格好とは真逆格好をしていた。

そして、亮介は…、Tシャツとジーンズというラフな格好はいつも通りだったが、申し訳なさそうな表情をしていた。


「京太郎、ごめんな?本当は自分達で、解決しなきゃいけない問題なのに、お前にまで、相談して迷惑かけちまって…。ただでさえ、お前にはひどい事をしちまってこんな事頼めた義理じゃないのに…。ホラ、真柚。」


亮介が真柚ちゃんの肩を叩くと、真柚ちゃんは俺の前で、思い切り頭を下げた。


「や、矢口さん、今日は、私の為に相談に乗って下さってありがとうございます。

それから、去年は、勉強見てもらったり、ゲーセンに連れて行ってくれたり本当にお世話になりました。それなのに、あんなひどい事を言ってしまって、私、どうかしてました。何て謝ったらいいか…。

ごめんなさい。本当にごめんなさい。」


俺に対して憎悪を漲らせる姿が今だに脳裏に焼き付いているだけに、真柚ちゃんの態度の変化に俺は戸惑っていた。

まぁ、それだけ、時間が経って色んな事が変わったって事なんだろうな。

俺は何度も謝ってくるのを手で、制止した。


「い、いや…。もういいよ。俺も真柚ちゃんの気持ちを分かってあげられないところがあって、悪かったんだから…。

それに、今日の事も、ほとんど芽衣子ちゃんのツテでお願いしてるだけだし、お礼は彼女に言ってよ。もう少しで、南さんと一緒にここに来ると思うよ?」


「芽衣子…さん…?南さん…?」


「ああ、今日相談に乗ってくれるのって、彼女さんの知り合いなんだ?」


「あ、ああ…。ってか、彼女じゃないけどな。後輩の子の知り合い!」


俺は強調して言った。


「ふはっ。照れんなよ。ゲーセンでメッチャイチャイチャしてたくせに。あの後、森のどうぶつのぬいぐるみ取ってあげたんだろ?」


「そりゃ、ぬいぐるみは取ってあげたけど、イチャイチャなんてしてない…って、なんで知ってんだよ?あの後、見てたのかよ?」


「ゲーセンスタッフとして、友人として、一組のカップルの恋の行方を見守らせて頂きました。」


お前はストーカーかっ!


「お兄ちゃんも矢口さんの彼女さんに会ったことあるの?」


話についていけず、目を瞬かせていた真柚ちゃんが、おずおずと聞いてきた。


「ああ。俺がバイトしてたゲーセンに二人で手を繋いでデートに来てたんだよ。」


「へ、へぇ、そうなんだ…。」


うぐっ。手繋ぎと、デートは否定できんな…。嘘告ミッションだけど…。



「あっ。彼女さん…、来たみたいだな…。」


亮介の声に振り向くと、通りの向こうから芽衣子ちゃんと、端正な顔立ちの長身のスーツ姿の男が、仲良さそうに、何かを話しながらこちらに向かってくるのが、見えた。


「えっ…?」


南アキさんじゃない…。

一緒ににいるのは誰なんだろう?


芽衣子ちゃんは、白いワンピースに黒いサマーカーディガンを羽織っており、隣のスーツ姿のイケメンとは、格好までよく似合っており、傍から見たら、美男美女のカップルのようだった。



俺が驚いて固まっていると…。


「あっ。矢口さん、首元に埃ついてま…。キャッ。」


真柚ちゃんが、襟元に手を伸ばして来ようととしたとき、バランスを崩し、俺の頬に真柚ちゃんの唇が当たってリップ音が響いた。


その時、こちらに気付いて手を振ろうとしていた芽衣子ちゃんは愕然と目を見開いた。


❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇


「あれっ?あーちゃん、今日はそっちバージョンなの?」


駅で待ち合わせをしたあーちゃん(生物学上は♂)=私の元姉弟子は、短髪で、男性用のスーツに身を包んでおり、私は目を丸くした。


「今日は、後で、不動産屋とジムの物件について打ち合わせするから、こっちの方が舐められなくていいかなと思ってね。」


「もうすぐ、ジムを開業するって言ってたもんね?ごめんね、忙しいときに相談しちゃって…。」


「いーのよ?鷹月師匠にあんたの事はよくよく面倒見てくれって言われてるし。頼ってくれて嬉しいわ。」


あーちゃんは魅惑的な笑顔で、私にウインクをした。


この前の日曜日、京ちゃんと新庄さんと、静くんの出場するキックボクシングの試合を見に行き、見事、静くんが優勝する姿を見られ、キックボクシングを習っていた師匠と姉弟子に会えたのはよかったのだけど…。


なんと、試合会場で小学校のときのいじめっ子、トラ男=嵐山魁虎に会ってしまった。


小3の頃、京ちゃんや私に日常的に暴力を振るっていたトラ男は、鬼のような顔をしていたと、私の中では記憶していたが、

成長した姿は、金髪でチャラいながらも一応人間の顔をしていた。(当たり前か…。)

しかし、静くんの対戦相手に圧力をかけたり、京ちゃんに蹴りを加えたり(許せん…!)乱暴な言動、傲岸不遜な雰囲気は相変わらずだった。


そして、トラ男の不良仲間達と一緒に奴に寄り添っていたのは、嘘告5人目の疑い濃厚な、嶋崎真柚だった。

初めて見た彼女は髪を赤っぽい茶に染め、

ノースリーブの派手なシャツに、タイトスカートという大人っぽい格好をしていた。

可愛らしい顔立ちをしていたが、額に皺を寄せて、少しツンケンしている印象だった。


いずれにせよ、因縁深い二人との再会の後、帰りのタクシーで呆然と固まっている

京ちゃんに事情を聞くと、嶋崎真柚は、

トラ男と別れたがっており、助けを求めるメールが京ちゃんに届いたとの事。


正直、今更そんなメールを送りつけてくる時点で嶋崎真柚という子の人間性を疑った。


嶋崎真柚という子は、京ちゃんに勉強を教えてもらったり(羨ましい!)、気分転換にゲーセンに連れて行ってもらったり(すごく羨ましい!)

していたのに、急に一方的に京ちゃんを嫌って疎遠になっていたと聞く。

きっと、その時にひどい事を言って京ちゃんを傷つけたのに違いない。

嶋崎真柚からメールが届いた時の、京ちゃんの青ざめた頬を思うと、私は胸が痛んだ。


トラ男と恋人関係になってから、京ちゃんも、お兄さんの嶋崎亮介さんも、その交際に反対していたという。

疎遠になったのには、そういう事も理由にあったのかもしれない。


嶋崎真柚は京ちゃんやお兄さんの意見を聞かず、トラ男の手を取ったのに、それが元で困った事態になったからといって、ハッキリ言って自業自得だと思う。


今更どの面下げて、京ちゃんに「助けて下さい」なんて言えるのだろうか?


でも、たとえ自分を傷つけた相手であっても、助けを求められたら、放って置けないのが、私の惚れた男の子=矢口京太郎という人なのだ。

京ちゃんは、嶋崎真柚を「助けてやりたい」

と思っているらしい。


本来なら、叩きのめしてやりたい嘘コク5人目(ほぼ確定)=嶋崎真柚だが、京ちゃんがそう望んでいるなら、今回は助けるのに協力するしかない。


今は足を洗っているけれど、元ヤンだった姉弟子のあーちゃんに連絡をとってみると、

相談に乗ってくれる事になった。


(学校近くにある)ジムの開業にあたり、自宅もその近くに引っ越したというあーちゃんと、学校の最寄り駅で待ち合わせ、二駅電車に乗った後、嶋崎真柚の自宅に向かっていた。


「結構歩くわね…。その子のお家、駅から遠いの?」


「京ちゃんによると、大通りと反対方向の道を真っ直ぐ15分ぐらいのとこだって。」


私は、L○NEに京ちゃんから送られて来た地図を見ながら返事をした。


「京ちゃんね?ふふっ。あのお尻のキュートな坊やにまた会えると思うと、楽しみだわ!初心な坊やにどんなプレイを教え込んであげようかと考えるだけでわくわしちゃう〜!」


「あーちゃんっ?!」


私は思わず、スマホを握りしめてしまい、ミシッと音を立てた。


「だから、京ちゃんだけは絶対にダメと言ってるでしょ?変な事考えるなら、私が相手になるよ!」


私が、構えのポーズをとると、あーちゃんは

呆れたように肩を竦めた。


「もー、芽衣子は冗談の通じない子ねぇ。ホントあんたはちっこい頃から、『京ちゃん』の事となると見境がなくなるんだから。

ホラ!今から、その愛しの京ちゃんと会うというのに、そんな般若な顔でいいの?」


「はっ!」


私は慌てて、固く強張った顔を両手でほぐした。


「あっ。あの子達かしら?アパートの前に三人並んでるの。」

「えっ。あっ。きょ、京せんぱ…。」


あーちゃんの指差した方向に、京ちゃん、嶋崎真柚、嶋崎亮介さんが並んでこちらを見ているのに気付いて、手を振ろうとしたが…。


嶋崎真柚が京ちゃんの襟元に手を伸ばしたかと思うと、不意にバランスを崩して、京ちゃんの頬に唇を押し当てた。


!!!


チュッというリップ音が小さく響き、京ちゃんが驚いたような表情になるのを見て私は愕然とした。


「京…ちゃ…。」


一瞬目が合うと、嶋崎真柚は口元に邪な笑みを浮かべた。


幼い頃の別れとキス。


『京ちゃんは、私のヒーローでした…!これからもずっとそうだよ!!』


大事な思い出が黒く塗り潰されていくような感覚に陥り、私はその場に立ち竦んだ。

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