第76話 師匠と愛弟子

「俺が教えてやった技使わなかったそうじゃねぇか!あんな奴に負けて何やってんだよ!俺みたいな強い男になりたいって言ってたじゃねーかよ?」


そう言って責め立てるトラ男に、風道は辛そうに項垂れた。


「俺、魁虎先輩の事、憧れてました…。でもすいません。俺、もう魁虎先輩の言う事聞けません。俺、ここでキックボクシング続けて行きたいんです!」


「虎太郎…!!」


「虎太郎、よく言った!それでいいんだ。」


トレーナーは風堂に寄り添い、肩を叩いた。


「チッ!あんだけ目をかけてやったのに、裏切り者が!!後悔することになっても知んねーからな!!おい、お前ら、行くぞ!!」

「「は、はい…。」」


トラ男は足音も荒く、取り巻きの一行と一緒にその場を去った。


その後、一連の騒動について風道側のジムが静司くん側のジムに謝罪し、

風道も、静司くんに、反則技を使った事について頭を下げて謝っていた。


色々あった中学の部の試合が終わり、帰りは自由解散となった静司くんは、新庄さんと一緒にその後の高校生の部の試合を見る事にしたらしい。


俺と芽衣子ちゃんはどうするかと聞かれ、

ラブラブモードの二人のお邪魔をするのも気が引けて、一緒に帰る事になったが…、

その選択を失敗したと思ったのは、会場を出たところで、トラ男の一行に出くわしてからだった。


「よっ。さっきの嬢ちゃん。確か芽衣子とか言ったか?あんた氷川静司の女じゃなくて、姉だったんだってな。だったら、俺が口説いても問題ないよな。

俺と一緒に来ねーか?そっちのひ弱な男と違って、悪い奴らから守ってやれるし、

ブランドのバッグでも服でもなんでも買ってやるぜ?」


「お断りします。」


芽衣子ちゃんは俺の腕にしがみついたまま、

ニヤニヤ笑いを浮かべるトラ男を睨み付けると冷たく言い放った。


「つれねーな。お茶ぐらいいいだろうよ。」

「やめろ!トラ男!!」


俺は芽衣子ちゃんに近付こうとするトラ男の前に立ちはだかった。


「京先輩っ…♡」


「んだぁ?ひ弱な陰キャは引っ込んで…ん?お前、もしかして、京太郎かぁ?」


トラ男は俺の顔を見ると目を丸くした。

取り巻きと一緒にいた真柚ちゃんも、口元を手で押さえていた。


「矢口さん…!」


「ああ…。お前は相変わらずだな。トラ男。」


「ん…?お前の隣にいるって事は…、ま、まさかその茶髪美少女は『めーこ』?本郷芽衣子…なのか?」


「んぐっ!」


芽衣子ちゃんは思いも寄らぬ事を指摘されて驚いたのか、青ざめた顔で変な声を出した。


「違う。この子は『めーこ』じゃない。名前は同じ芽衣子だけど、氷川芽衣子ちゃんだ。」


一瞬慄いたような表情をしていたトラ男だが、俺の言葉を聞くと、安心したように胸を撫で下ろした。


「な、なんだ…。別人か。そうだよな。あんな前髪お化けと、こんな美少女が同一人物のワケないものな。はっ。驚かすなよ。

京太郎、お前も身の程に合わない女連れてるじゃねーか…よっ!」


「うぐっ…!」


その瞬間、トラ男にローキックで足払いを受け激痛が走った。

思わず、床に膝をつく。

大怪我はしていないが、足が痺れて暫く歩けそうにない。


「京先輩!!」

芽衣子ちゃんが悲鳴を上げた。


「お前はいい女より、床に引っ付いてんのがお似合いだぜ?真柚に引き続き、いい女紹介してくれてありがとよ。さっ。行こうぜ。かわい子ちゃん。」


「よくも、京先輩に…!!許しません!!」

「ダメだ!芽衣子ちゃん。」


トラ男に飛び掛かって行こうとする芽衣子ちゃんを止めようとした時…。


ドゴォッ!!

トラ男の後ろに人影がよぎり、綺麗な回し蹴りを入れた。


「ぐはぁっ!!」


トラ男は後頭部を押さえてその場に蹲った。


蹴りを入れた人物=長身でスレンダーなパンツスーツ姿の妙齢の美女が、蔑むようにトラ男を見下ろし、ハスキーボイスを響かせた。


「近くにキックボクシングの関係者が何十人もいる中、暴力奮って、女の子連れ去ろうとするとか…あんたバカなの?」


「あーちゃん!」


芽衣子ちゃんはその人物を見て、目をパチクリさせた。どうやら、知り合いのようだった。


「何すんだ、このアマぁ!!」


激昂したトラ男が美女に向かってこようとし

たとき…。


「何の騒ぎじゃい。ゆっくりお茶も飲んでられないのぅ…。」


もう一人会場の入口から、Tシャツと短パン姿の老人が現れた。


かなりの年配にも関わらず、服の上からでも分かる筋肉の盛り上がりと隙のない身のこなしが、その人がただ者ではない事を物語っていた。


それに、その人をどこかで見た事があるような…。


「た、鷹月勇夫…!」


「え?ほ、本物…?」

「な、何で鷹月勇夫がこんなところに…?」


トラ男も、取り巻きの男達も驚いて目を見張っている。


鷹月勇夫…!その名前は俺でも知っていた。ああ、格闘技イベントの解説によくテレビに出てくる人だ。

確か若い頃に大会の優勝を総嘗めにしたキックボクシングの権威とか。


そんな有名人が何故こんなところに…?

俺はトラ男達と同じ疑問を持った。


鷹月勇夫は、芽衣子ちゃんを庇うようにトラ男達の前に立つと、鋭い眼光を向けた。


「芽衣子ちゃんに何か用かの?このは、血の繋がりはないが、儂にとっては身内も同然。場合によっては、儂が相手になるが…?」


「…!! チッ。京太郎、覚えてろよ。お前達、行くぞ!」

「「は、はいっ。」」


怯んだトラ男達は捨て台詞を残して逃げて行った。

取り巻き達と逃げる間際真柚ちゃんが一瞬こちらに視線を送り、目が合った。


「……っ。」


こちらを見た彼女は、何とも辛そうな表情を浮かべていた気がした…。


「京先輩、大丈夫ですか?立てます?」

「あ、ああ…。」


青い顔で、手を差し伸べてくる芽衣子ちゃんの手をとると、俺は立ち上がった。



         *

         *

         *


それから、芽衣子ちゃんと俺は鷹月勇夫に会場内のカフェに誘われ、歓談する事になった。

「師匠。あーちゃん。お久しぶりです。

この人は私の学校の先輩の矢口京太郎さんです。」

「や、矢口です。よろしくお願いします。」


ひょんな事から、有名人と同席することになってしまい、俺は緊張しながら挨拶した。


「そうか…、君が芽衣子ちゃんの…。よろしくな。」


鷹月さんは俺を見て、どことなく寂しそうな表情を浮かべていた。


「京先輩。こちら、私が小4から、中1までキックボクシングを教えて頂いた鷹月師匠です。隣の綺麗な人は私の先輩弟子の南あき…。」

「南アキです!よろしくね!」

芽衣子ちゃんの紹介を遮るように、快活そうにそう言い、にっこりと笑顔を浮かべた。


それから、南さんは、ニヤニヤしながら芽衣子ちゃんにひそっと何かを呟くと、芽衣子ちゃんは顔色を変えた。

「あーちゃん?ダメダメ!京ちゃ…んぐ、先輩は絶対ダメだよ!!何かするつもりなら、私が相手になるよ?」


「ふふっ。も、やだ、冗談よ、芽衣子〜。相変わらずからかいがいのある子ね!」


「ぬぐぐ…。からかわないでよ。」


吹き出す南さんとむくれる芽衣子ちゃん、

久々の再会だったらしいが、二人の様子を見るとかなり親しい間柄のようだ。


「いやぁ。さっき離れた場所から、静司くんの試合見とって、成長ぶりに驚かされておったんじゃが、芽衣子ちゃんも見違えるように大人っぽくなったの。」


キックボクシングの権威、鷹月勇夫は孫の成長を見守る祖父のように、目を細めた。


「ホント、芽衣子女らしくなったわねぇ?一瞬誰か分からなかったわよ。」


南さんもうんうんと深く頷いた。


そんな二人に芽衣子ちゃんは、恥ずかしそうに笑いかける。


「師匠と、あーちゃんとは中1の時以来ですもんね…。二人共お元気そうで…。あの時は急に我儘を言って、キックボクシングを辞めてしまってごめんなさい。」


「いや、こっちこそ、あの時は芽衣子ちゃんの気持ちも考えず、稽古だ、修行旅行だと引っ張り回して悪かったの。あの時は、芽衣子ちゃんの才能を引き出してやるのが、儂の使命のように考えておったんじゃ。しかし今考えれば余計なお世話じゃったかの。

今、芽衣子ちゃんは幸せかの?後悔は…ないかの?」


何故か、鷹月さんは俺の方をチラッと見て、芽衣子ちゃんに問いかけた。


「はいっ。幸せです!キックボクシングを始めた事も、辞めた事も、全く後悔はありません!!」


芽衣子ちゃんもまた何故か俺の方をチラッと見て迷いなく答えた。


「そ、そうか…。それなら、いいのじゃが、キックボクシングをやり直したくなったら、いつでも儂を頼ってくれていいからの…。」


鷹月さんは少ししょんぼりしたように答え、今度は俺の方に問い掛けてきた。


「なぁ、矢口くん。強い女子をどう思うかね?」

「え?か、カッコイイんじゃないですかね?」


急に振られて、俺が戸惑いながら答えると

鷹月さんは嬉しそうに頷き、更に勢いづいたように俺に話しかけてきた。


「じゃろー?強い女子流行ってるらしいし、割れた腹筋にも、何ともいえん美を感じんかの?最近は、結婚しても、出産しても続けている選手もおるしな。好きな女が命を張って戦う姿を応援したいと思わんか?思うじゃろ?」


「???え、え〜と?」


鷹月さんに畳み掛けるように言われ、困っていると、芽衣子ちゃんが慌てて、鷹月さんを止めていた。


「し、師匠、何言ってんですか!?京先輩とはまだそんな仲じゃ…!やめて下さい〜!!」


ん?まだ?


「そ、そうなのか?最近の若い子はそういうの早いというからの。既成事実を作ってもう婚約ぐらい行ってるものかと…。」


「「??!」」


鷹月さん、カップル用プリクラの機械音声を超えるセクハラ発言だぜ。

俺も芽衣子ちゃんも真っ赤になった。


「そ、そんな事してませんよ!」

「そうです!それは早すぎですぅ!!まだ手を繋いだ事しかないのに!」


「ホラホラ、師匠、セクハラ&未練ですよ?芽衣子はもう自分で道を決めてるんだから、今更四の五の言っちゃいけません。アタシはずっと師匠の弟子ですからね?それで我慢して下さい。」


南さんが鷹月さんを宥めるように言い、鷹月さんも残念そうに頷いた。


「う、うむ…。そうじゃな。分かっておるのじゃが、芽衣子ちゃんの顔を見るとつい言いたくなってしまってな…。すまんな、矢口くん、芽衣子ちゃん…。」


「「い、いえ。」」


「もう弟子じゃないとはいえ、儂は芽衣子ちゃんを大事な孫のように思っておるよ。

いくら強いとはいえ、芽衣子ちゃんはまだ高校生の女の子じゃからの。さっきの不良共みたいな奴がいたら、いざというときは、アキも力になってやってくれ。今後距離的にもお前は近くにいることになるじゃろうしな。」


「はい。」


「?近くに…?」


「芽衣子。私、今度ジムを開く事になったのよ。」

「え!そうなの?すごいあーちゃん!」


「ふふ、すごいでしょ?今師匠にも手続きとか手伝ってもらったり、してるとこ。自宅兼仕事場になってて、あんたの学校からも近い場所にあるから、遊びに来てね?よかったら、矢口くんもね?」


南さんはそう言うと、魅惑的な笑みを浮かべてウインクした。


❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇


「何か雲行きが怪しいですね?お客さん達、傘とか大丈夫です?」


タクシーの運転手さんの言う通り、車の窓越しの空には暗雲が立ち込め、今にも雨が降り出しそうだった。

朝はあんなに晴れていたのに。


「ええ。私は折りたたみ傘もってるから大丈夫ですけど…。」

心配そうに芽衣子ちゃんが俺を見た。

「ああ。傘は持ってないけど、家近いから大丈夫です。」


あれから鷹月さんと南さんと別れての帰り道。心配した鷹月さんから、タクシー代を頂いてしまい、駅まで徒歩15分程の距離を楽して移動する事になった俺達だった。


「芽衣子ちゃん、キックボクシング習っているのは知ってたけど、あんな有名な人に習っていたんだね?」

「あ、ええ。最初は以前住んでいた家の近くにあるジムに通ってたんですけど、鷹月師匠がたまたま見学に来たときに、弟子にならないかって誘って頂いて…。」

「でも、あの鷹月さんに誘われるなんて、余程才能があったって事じゃないの?」


「うーん、どうでしょう?静くんと比べたら大した事ないですけどね?

キックボクシングをやっている女の子が珍しかったから目をかけて下さったのかも。」


「そういえば、先輩弟子の南さんも女性だもんな。」


「え?あ、う、うーん、そうかな?えへへ。」


芽衣子ちゃんは曖昧な笑みを浮かべた。


その時、スマホの着信音が鳴って、スマホの画面を見ると、思いもよらぬ人物からメールが届いていて、俺は身を強張らせた。


メールの差出人は嶋崎真柚ー。


去年の秋以来、交流のなかった彼女からのメールの内容は…。


『矢口さん。今日はあんな形だったけど、会えて嬉しかったです。以前はごめんなさい。あの時魁虎の手をとった事、ずっと後悔していました。

こんな事を言える立場ではないと分かっていますが、私を助けてくれませんか?私にはもう、矢口さんしか頼れる人がいないんです。

一度相談に乗って貰えたら嬉しいです。

              嶋崎真柚 』


そのメールを見て、去年の夏から秋にかけての出来事が昨日のように思い出された。


最初に亮介の家で会った時のおどおどした様子の彼女。


勉強を教えたり、ゲーセンで遊んだりする内に少しずつ、笑顔を見せてくれるようになった事。


そして、最後に会った時のこちらを拒絶する冷たい瞳ー。


『矢口さんなんか最初から全然好きじゃありませんでした。ただ、勉強教えてくれたり、奢ってくれたり、自分にとって都合がいいから一緒にいただけ。』



「京先輩、大丈夫ですか?」


芽衣子ちゃんに声にはっと我に返った。

気付けば、芽衣子ちゃんが心配そうにこちらを覗き込んでいる。


「顔色悪いですよ?体調でも悪いんですか?嵐山にやられた足が痛むんですか?」


「いや、体調とかは、大丈夫。ゴメン。ボーッとしてただけ。」


「それならいいんですが…。」

「…!芽衣子ちゃ…。」


芽衣子ちゃんは俺の手に自分の手を重ねて

泣きそうな顔で訴えてきた。


「何かあるなら一人で抱え込まないで、私にちゃんと相談して下さいね?京先輩はもう一人じゃないんですから。私達は人生をかけた嘘コクパートナーです!!」


「!!」


いつしか雨が降り出し、車の窓には、いくつもの雨の跡が線状に走っていた。


外も中も寒々しい景色の中、ただ、彼女の手だけが温かく、俺はその手を振り払う事が出来なかった。





*あとがき*


ちょっと分かりにくいかもしれませんので、解説を。時系列で、以下のようになります。


《芽衣子ちゃんの軌跡》

小3春 母離婚によりK県に引っ越し 

   →京太郎くんとの出会い

小3冬 母再婚によりT県に引っ越し

   →静司くんの所属しているジムに入会

    するも、あまりに人間離れした強さ

    に、ジムももて余しぎみ…。

   →たまたま、ジムに視察にきていた

    鷹月師匠に弟子入りする。

    南さん(姉弟子)との出会い。

    姉が弟子ということで、静司くん  

    も、鷹月師匠に何度か稽古をつけて   

    もらい、目をかけてもらっていた。

中1冬 キックボクシングをやめる。

   (腹筋が割れたのが、嫌だった為)

    女子力を磨く。

中2春 父転勤の為再びK県に引っ越し

   →マキちゃんとの出会い

   →静司くんは、T県で所属していたの   

    と同じ系列のK県のジムに移る。

高1春 マキちゃんと共に青春高校に入学

   →京太郎くんとの再会




いつも読んで頂き、フォローや、応援、評価下さって本当にありがとうございます

m(_ _)m


今後ともどうかよろしくお願いします。


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