はぐれものの島-6

 夜になると、寄合所でささやかな送別会が行われた。島の人間たちは控えめな性格が多く、大騒ぎになるようなことはなかったが、それでも穏やかに食事や酒を楽しんだ。奏澄と同じ日本出身の島民にも会うことができ、奏澄は久方ぶりに故郷の話に花を咲かせた。

 夜も更けてきたところで会はお開きになり、二人は島民たちに礼を告げ、退席した。


 メイズは自分が間借りしている部屋に奏澄を案内すると、ベッドに座らせた。


「それ使え。俺は別の場所で寝る」

「え、なんで? 一緒に寝ようよ」


 当然のように言って、奏澄はメイズの服を引いた。今までも、何度も一緒に寝ていたことはあった。特に今日は、離れたくない。そう思っての行動だったが、メイズの方は非常に複雑そうな顔をした後、目を逸らした。


「……今日は、駄目だ」

「なんで? こういうの、嫌になった?」


 拒絶されたことに、泣きそうな声が出てしまった。再会してからのメイズの態度を思えば、嫌われたとは思わない。思わないが、以前ほど近い距離にいるのは、嫌だということだろうか。離れている間に、彼の方は、何か心境が変化してしまったのだろうか。


 訴えかけるような奏澄の視線に、メイズは苦虫を噛み潰したような顔をした後、片手で顔を覆った。


「今日は、何もしない、自信が無い」


 言われた内容が予想外すぎて、奏澄は口を開けた。


「明日からは、ちゃんとする。以前の俺と同じに戻る。だから、今日だけは勘弁してくれ」


 言い逃げるように部屋を出ていこうとするメイズに、奏澄は全力で服を引っ張った。


「待って待って待って!」

「放せ」

「なんで!? 今まで一回だってそんなの言ったことないじゃない!」

「そりゃ今までは……」


 言いかけて、メイズが口を噤んだ。そして、おそらく言おうとしていたこととは別のことを口に出した。


「人のこと毛布扱いする奴に言われたくない」


 確かに。メイズのことを、先に安心毛布などと言い出したのは奏澄だ。しかし、メイズの方だって、一度として奏澄を女性として意識しているような発言をしたことはなかった。女として扱われなかったわけではないが、彼自身が、そういう対象として見たことがある、などと。

 聞きたい。自分のことを、どう思っているのか。少しでも、異性として意識してくれているのか。喉まで出かかった言葉を、奏澄はぐっと堪えた。それを先に聞き出すのは卑怯だ。奏澄は、もう一度メイズに会えたら、今度こそ素直に気持ちを伝えると決めていた。そのタイミングは、今なのではないだろうか。


「メイズ、ちょっと、話させて」


 渋るメイズを無理やりベッドに座らせ、奏澄はメイズと向き合った。


「えっと……メイズが一年どうしてたかは、聞いたけど。私が消えた後何があったか、ちゃんと話してなかったよね」


 どう説明したものか。奏澄は一度目を閉じて、あの空間を思い出した。


「船が落ちた後、私はみんなとは違うところに飛ばされて……そこから、多分、帰れたの。元の世界に」


 メイズは黙って話を聞いている。何を考えているのか、表情からは読み取れない。


「でも、帰らなかった。私は、私の意志で、この世界に残ることを選んだの」


 怖い。指先が震える。それでも、伝えなければ、何も変わらない。

 奏澄は自分の手をメイズの手に重ねて、まっすぐ視線を合わせた。


「メイズのことが、好きだから」


 海の瞳が、揺れる。メイズの瞳に、奏澄が映っている。そのことが、泣きそうなほどに嬉しい。


「今までずっと、私を帰すために頑張ってくれたのに、ごめんなさい。自分勝手なことしたってわかってる。それでも、どうしても、もう一度メイズに会いたかった。メイズじゃないと、ダメなの。あなたと一緒に生きたいの」


 メイズの口元が、何かを言おうと、僅かに動く。ぎゅっと眉が寄って、その表情は苦しげにすら見えた。


「お前のそれは、親愛の情だろ。俺が一番近くにいたから、勘違いしてるだけだ」

「勘違いなんかじゃない!」


 奏澄は思わず声を荒げた。自分の気持ちが迷惑なら、それでも構わない。けれど、奏澄の気持ちを、否定しないでほしい。その気持ちだけで、この世界に戻ってきたというのに。


「お前、それがどういうことか、わかってるのか」

「馬鹿にしないでよ。子どもじゃないんだから」

「――本当に?」


 言って、メイズは重ねていた奏澄の手を取った。支えをなくした上体を押されて、奏澄の体がベッドに沈む。ふっと影が差して、見上げた視界に映るメイズの表情に、奏澄は息を呑んだ。その瞳にちらつくものに、うなじがちりりとした。途端、心臓が早鐘を打つ。本能的に、体が硬直した。


「ほら。わかってなかっただろ」


 覆いかぶさった体勢のまま、メイズが言った。その声は、何故だか泣きそうに聞こえた。


「び、っくり、くらいは、するでしょ」

「無理するな。怯えてるくせに」


 怯えている、わけではない。ただ、メイズの視線はさすが海賊というか、独特の威圧感があって、完全に捕食者にしか見えなかった。蛇に睨まれた蛙の気分になる。

 けれど、何故だろう。今、圧倒的に優位なのはメイズの方なのに。何故彼は。


「メイズは、何に怯えてるの」


 奏澄の言葉に、メイズは目を瞠った。奏澄は手を伸ばして、メイズの頬を包んだ。


「何が怖いの。私が、怖いの?」


 メイズの表情が崩れる。当たりだ。しかし、何故。


「私、何があっても、メイズのこと嫌ったりしないよ」

「……そうじゃない」

「なら、どうして。私の気持ちが、怖い? 嫌?」


 人からの愛情そのものが、怖いのかもしれない。今まで彼には、向けられたことがなかったのかもしれない。一夜限りの情欲ではなく、人生を預けるような愛情は。

 心変わりを恐れているわけではないのなら。この気持ちそのものが、彼の望む好意の形とは、違うのかもしれない。奏澄はメイズに必要とされている自負があったが、決してそれは異性として想われているということではない。


「迷惑なら、私のこと、そういう風に見れないなら、はっきりそう言って」


 それで諦められるのか、と言われれば、また別の話なのだが。そういうことなら、意識してもらえるように、これから頑張ればいい。もしどうしてもメイズの負担になるようなら、諦める努力もする。だから、気持ちを口に出して欲しい。このままでは、お互いに理解できないまま中途半端に終わってしまう。

 メイズはひどく言いにくそうに、何度か口を開いたり閉じたりしながらも、やっと言葉にした。


「見れない……というか、見たく、ない」

「どうして」

「お前が、穢れる」


 ここで声を上げなかったことを褒めてほしい。奏澄は誰にともなく思った。


「……ちょっと、言ってる意味が」

「俺みたいなのがお前に触れたら、汚れる。お前には、もっとお前を大切にしてくれる、真っ当な人間が似合いだ」


 奏澄をこの世で一番大切に扱ってくれるのは、メイズだ。だというのに、今更何を言い出すのだろうか。寄ってくる男を追い払っていたのも、メイズなのに。

 奏澄は、ふつふつと怒りの感情が沸き上がってくるのを感じていた。


「真っ当な人間って、何? 誰ならいいの? 私これから、メイズがいいと思う相手しか、好きになっちゃいけないの?」

「そういうことじゃ」

「そういうことでしょ。私が自分で選んだ相手は、信じられないんだ。私が好きになった人を、信じられないんだ」


 涙ぐんだ奏澄に、メイズははっとしたようだった。メイズの言い分は、奏澄の目が節穴だと言っているのと同義だ。


 ――私の好きな人を、悪く言わないで。


 奏澄はメイズの首に腕を回してぐっと引き寄せると、軽く唇を重ねた。

 触れるだけですぐに離したが、急な出来事にメイズは呆然としていた。


「こういうことも、それ以上も、他の人としていいの。メイズは、それで何とも思わないの」


 気づいてほしい。さすがに、ここまでくれば奏澄にもわかる。だから、諦めたくない。望むものを手に入れることを、ためらわないで。


「私がキスしたいと思うのは、メイズだけだよ。愛してるのも、メイズだけだよ。汚そうが何しようが構わないから、もっと欲しがってよ」


 愛情も、幸福も、もっと求めて、欲しがって。それらを手にすることを、抱えることを、持ち続けていくことを、怖がらないでほしい。そのための支えに、私がなるから。


 メイズは瞳に戸惑いを宿しながらも、震える手で奏澄の頬を撫でた。その手に奏澄が手を重ねれば、泣きそうに顔が歪んだ。仕方のない人、と思いながら、奏澄は微笑んだ。


「お前を、壊すかもしれない」

「そんなに柔じゃないよ」

「束縛、するかも」

「やりすぎたら、ちゃんと怒るから」

「お前が思うような、男じゃないかもしれない」

「むしろもっと見せてほしい。私が知らないメイズを」


 何を言っても微笑むばかりの奏澄に、メイズは続く言葉が思い当たらないらしい。

 けれど、一番大切な言葉をまだ聞いていない。奏澄は、優しい声で促した。


「他に言いたいことは?」


 メイズはぐっと言葉を詰まらせて、何度か息を吐き出した後、その一言を大切に、大切に音にした。


「――愛してる」


 耳元で、掠れた声で囁かれた言葉に、奏澄は目が熱くなるのを感じていた。この言葉だけで、全ての過去に意味があったと思える。どんな未来にも立ち向かえる気がする。

 交わした口づけは、今度は長く離れることはなかった。

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