第二章 薔薇薫る宮殿
第二章 薔薇薫る宮殿 1
教会の鐘が九時を告げる音を、イザヤは街道の馬上で聞いた。
城壁の中から空を突くように延びる尖塔が、イザヤが馬を借りた教会の鐘楼だった。その灰色の屋根の上に載せられているのは、縦横の線の長さが等しい正十字。リベル教会のシンボルだ。
町に入り、まっすぐに教会を目指したイザヤは、裏の厩舎へと向かった。
リベル教会は、説教師集団「リベルの会」から発展した宗教組織だ。口承により伝えられてきた「旧世界文書」のうちのひとつである「リベルの書」を教典としており、死後の魂の救済のための功徳を説き続けている。信仰対象は神およびその子たる救世主である。
カナニア連邦の国教となって五百余年、今や大陸じゅうに信徒を持ち、その影響力は決して無視できないものとなっていた。魔力回収機構に対しては、実務上の協力だけでなく、多額の献金を行っている。そのため機構は、カナニア連邦政府の下部組織であるにも関わらず、リベル教会の関連組織と見られることもしばしばだった。
馬丁に馬を返すと、出発時に世話をしてくれた助任司祭が通用口から姿を現した。
「おかえりなさい。首尾はどうでしたか」
目を合わせはするが、その表情も言葉も、どこか他人行儀だった。
「おかげさまで、無事回収できました」
「それはそれは。結構なことです」
唇だけで一瞬微笑むと、イザヤから革袋を受け取った。イザヤの礼に対して小さくうなずくと、彼は教会の中に入るように言った。イザヤの前に立ち、階段を上る。二階の一番奥にある部屋の前に立つと、
「主任司祭の部屋です」
そう言うなり、扉に向かって声をかけた。
「回収人の方です」
「お通ししろ」
助任司祭が開けた扉から中を覗くと、すぐに大きな鳥籠が目に入った。ところどころが錆び付いた鉄製のそれは、主任司祭の机のすぐ横にある小さな台の上に置かれていた。
中に収められているのは、桃色の羽を持つ奇妙な鳥だ。大型のワシほどの大きさで、群青色の嘴の上には真っ黒な丸い目が二つ並んでいる。
「これが……」
「ハルピュイアです。もしかして、見るのは初めてですかな?」
「ここまで間近で見たのは、初めてです」
ハルピュイア。大災害後に突然変異種として現れた新種の鳥である。腹部に袋を持つ従順な性質の種で、回収人の回収した魔石を機構に送るほか、回収人と機構の連絡役を担っている。各地のリベル教会に一羽ないし二羽置かれる決まりとなっており、この鳥のおかげで、回収人は機構に帰ることなく魔石を本部に送ることができるようになっていた。
赤毛を編んで耳の横で垂らした主任司祭は、特に臆することもなく鳥籠の扉を開けた。イザヤがびくりとする間に、ハルピュイアは司祭の祭服の袖に飛び乗った。
「さあ、魔石をどうぞ」
司祭に言われ、イザヤはマントの隠しから赤い魔石を取り出した。
『心配するな、噛みつきゃしねえよ』
エレミヤの言葉に、むっとした表情のみで応える。確かに少し緊張はしているが、恐れているわけではない。むしろ逆だ。
「とてもおとなしいのですね。野生のハルピュイアは、とても鳴き声が大きいものですが」
ふわふわとした腹の袋に魔石を入れることに成功したイザヤは、じっと自分を見つめてくる黒い目を観察した。
「ええ。機構でよく教育されていますから」
「あの、触っても大丈夫ですか」
「もちろん」
司祭は、にこりとしてイザヤのほうへ腕を突き出した。桃色の鳥が、一度だけまばたきをした。
そっと背中を撫でる。つやつやとした、美しい羽毛。黒い目が細められるのを見て、イザヤは思わず唇を綻ばせた。
「かわいい、ですね」
「あなたは動物がお好きな方のようだ」
司祭が笑むのと同時に、ふっと頭の中で薄笑いが漏れる。司祭は後ろの窓へと体を向けると、「では、送りますよ」とイザヤを振り返った。
「お願いします」
窓が開くと、ハルピュイアは大きく翼を広げた。そうして飛び降りるように宙へ体を投げ出すと、風に乗って空高くへと舞い上がっていった。その力強い背中の美しさに、イザヤはしばし見とれた。
*
『おい。おまえ、動物が好きってのはホントか』
「……エレミヤさん。報告はどうしたんです」
仮眠を邪魔され、イザヤは寝台の上で寝返りを打った。ここは教会の一室。エレミヤが機構に「報告」を行う間、イザヤが休むために用意された場所だ。
『いや、珍しいと思ってな。何の動物が一番好きなんだ?』
「なんでも好きですよ。といっても、ほとんどの動物は絵でしか見たことが……」
いや、と言いかけて、イザヤは口をつぐんだ。
「そんなことより、報告を終わらせてください。次の任務をもらわない以上、私たちはただの厄介者です」
『教会に遠慮するこたねえよ。一般信徒の前に姿を見せさえしなけりゃ、あいつらはよくしてくれる』
「とにかく、報告を終わらせてください。私はしばらく寝ます」
『ハルピュイアをどう思った?』
自分の言葉を無視するパートナーに、イザヤは深いため息をついた。
「美しい鳥だと思いましたよ。絵で見たハルピュイアとは全く別物でした。旧世界のハルピュイアは半人半鳥の怪物ですからね。なぜ伝説上の鳥の名がつけられたのかは、謎に感じましたが」
『不気味だからだろ』
「不気味?」
『おれはハルピュイアが嫌いなんだよ。他の動物にはない知性を感じる』
「賢さが不気味なら、犬も不気味ですか」
『犬の話はしてねえ』
今度はエレミヤがため息をつく番だった。
『まあいい。実はもう、報告は終わったんだ。次の任務の指示も受けた。が、眠たいってんなら仕方がねえな。おれももう少し本部をうろつくか』
「終わったんですか?」
イザヤは閉じかけた目をばちりと開け、寝台の上に起き上がった。
「なぜ早く言わないんです。次の任務地はどこですか」
『なんだ、寝なくていいのか?』
「誰かのせいで目が覚めましてしまいましたから」
ブーツの紐を結ぶイザヤの脳裏で、軽い笑いが響いた。
『悪かったよ。次の行き先はフロレンティア、幸いここから船で一本だ。機構に直々に依頼があったものらしい』
「……また船ですか」
『それはこっちのセリフだがな』
壁に掛けたマントを取ると、イザヤはかかとを鳴らして部屋を出た。
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