太宰について2

村上 耽美

太宰について2

 やはり太宰の友人関係(と言ってもいいのだろうか)等に「羨ましい」という感情を持ってしまう。神保町で入手した『太宰治研究』(奥野健男編 筑摩書房)をパラパラと捲っていた時の事である。


 檀一雄の「熱海行」の事はご存じの方も多いのではないだろうか。

 

 当時、太宰の内縁の妻であった初代に「太宰は熱海に仕事をしにいって、お金がないというから太宰にお金を持っていってほしい、そして早く連れて帰って来てほしい」とお願いされて檀はウキウキで熱海に行く。そして太宰と落ち合って預かっていたものを渡す。そして太宰の「行こうか?」という誘いに乗る。それから酒やら天ぷらやら、温泉やら女やら。そんなこんなで三日目の朝。

「檀君、菊池寛の処に行ってくる」(原文ママ)

といい、檀は宿で太宰の帰りを待っていた。

 しかし太宰は帰ってこない。檀は、太宰が井伏鱒二のところにいると思い向かう。案の定、太宰は井伏のところにいた。そして井伏と将棋をさしていた。一通りの話を聞いた井伏の手の中には三百円足らずの借金の勘定書。この後、檀は井伏と一緒に佐藤春夫のところへ行った。井伏と佐藤は檀たち二人分の宿の支払いをしに熱海へ行った。井伏が膝の上で、二人の女遊びの勘定書をパラパラとめくるのが、とても情けなかったらしい。(そりゃそうじゃ)

 そして檀はこの一環の出来事が、太宰の『走れメロス』の重要な心情の発端になっているのではないかと、メロスを読むたびに幸福を思っていたらしい。


 その話を読んでいて出てきた太宰の言葉に「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」というのがある。私というしがない限界大学生の一意見ではあるが、この太宰の言葉は檀にとっても、メロスをいた太宰にとっても本当に重要なものであったのでないかと思う。「熱海行」を読んで、これが太宰の作品に少しでも影響していると考えたという檀の考えを、読み手側の私たちが同じように考えるためには欠かせない言葉ではないか。その言葉がないとしたら、少なくとも脳無しの私なら理解するために多くの時間を費やすと思う。「熱海行」は、私に新しい太宰を教えてくれた。


 太宰と檀の関係に、何故だか嫉妬してしまいそうである。人間味があるというか、これこそユーモアを感じる。私の人生で、こんな関係になる人は現れるのだろうか。

もし太宰を「人間失格」だと比較的本気で思っている人がいるなら、私は「貴方は太宰より濃い人生を送ってきたのか」と詰めたい。私は豆乳メンタルゆえに絶対できないが、きっと私たちは太宰以上に「人間失格」なのではないのかと思っている。


 今回読んだ『太宰治研究』のすべてをじっくり読んだわけではない上に、肝心の研究部分はほとんど目を通せていない。坂口安吾の「不良少年とキリスト」もあるし、佐藤春夫の「芥川賞」(「熱海行」の次に気になっている)や井伏鱒二の「亡友」もある。研究部分はまだ読み込める自信はないが、読めそうなものはどんどん読んでみようと思った。

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