日本の軽空母の発展
西側は大戦中アメリカで建造され戦後余剰となったエセックス級を改造して対潜空母として運用しており、多数の国が空母保有国となった。
東アジアでも例外ではなく、日本、南中国、台湾もエセックス級、サイパン級、護衛空母を購入し運用していた。
しかし六〇年代後半になると老朽化により代替の艦艇が検討されはじめた。
また東南アジアでは経済発展により海軍の規模を拡大しようと小型空母の建造を検討する国が増えていた。
だがアメリカ海軍はフォレスタル級、エンタープライズ、ニミッツ級と超大型空母の整備に向かい、軽空母の建造を破棄した。
しかし、軽空母を導入する中華民国、台湾は、シーレーンの確保もあり自国でも導入、運用出来る中型、小型の空母を求めていた。
アジアの兵器工場の役割を担う日本は、その要求に応えようとして作ったのが生駒級軽空母だった。
戦後初の新造空母は三万トン級の船体にサイドエレベーター、蒸気カタパルトを搭載する事で中型空母として活躍できるようにした。
この生駒級は完成当初こそ成功作であり多数が輸出された。
だが艦載機の大型化ですぐに陳腐化し、運用コストも高くなったため、活躍できた期間は短かった。
しかも更に貧しいフィリピンやインドネシアは、生駒級でも大きく、維持にさえ予算が掛かり導入が難しい。
また、対潜哨戒や陸上の治安維持、その支援基地としての空母に需要が大きく生駒級では大きすぎてコストがかかりすぎた。
そこでヘリ運用に限定した一万トン級全通甲板式のヘリ空母乗鞍級を建造。
各国に輸出した。
当然、F4などは使えないが、ヘリ空母として使い勝手が良く運用評価も高かった。
そこへ英国のハリアーが登場し軽空母に搭載可能となり能力が向上。
運用性が上がった。
日本としても大きく売り込みを図るべく、ハリアーの性能アップに努めた。
これが軽空母の発達に一役買うこととなる。
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https://kakuyomu.jp/works/16816927862106283813/episodes/16818093086809658370
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