パリ協定
「皆さん、歴史的瞬間です。北ベトナムとの合意が成立しました。アメリカは北ベトナムから名誉ある撤退を行います」
パリの交渉場所となったホテルで、記者団を前にキッシンジャーは意気揚々と発表し、万雷の拍手が送られた。
既に米軍の多くは撤退していたが、今後何があろうと再び米軍がベトナムの地を踏まないということを約束した
北ベトナムも承認し、明確な攻撃を止めることになった。
しかし、キッシンジャー以外の参加者は不満だった。
一方の当事者である北ベトナムは全土を空爆され国家の存立も危うい状態の上、分断状態が維持される
だが空爆によりインフラが崩壊し、国家存続レベルで大損害を受けたため、これ以上戦えない。
いやでも和平の席に着かざるを得なかった。
南ベトナムは、米軍が撤退すれば自分たちの政府が存続し得ないことを知っており、交渉自体が嫌だった
そのため交渉は幾度も決裂しかけた。
ベトナム解放戦線の地位について、北ベトナムは南ベトナムこそアメリカの傀儡だと言って非難し、南ベトナムが反対すると、北ベトナムは同じことを言い返した。
結局、南ベトナム革命政府として政府の地位を与えられ交渉に参加した。
これはまだマシな部類だった。
会議のテーブルの形にもこだわりが見られた。
北ベトナムは統一のため、地位に関係ないことを示す円形のテーブルを主張し、南ベトナムは分断を明確にするべく、長方形のテーブルにして南北が相対するように座ることを求めた。
結局南北両政府が円卓に座り、それを囲むように置かれた長方形のテーブルにアメリカとベトコンの代表が座り、会議が行われた。
こうした、馬鹿げた事が行われ、会議は紛糾したが、結論は決まっていた。
空爆により北ベトナムは戦える状態ではなく、アメリカははじめから撤退を決めていた。
強いのはアメリカであり、最早結論は決まった状態だった。
だからアメリカ以外の参加者の表情が曇っていた。
報道も同じで、アメリカが撤退することを歓迎する雰囲気が漂っていた。
そして、一つのコンテンツとしてこの出来事を終わらせようとしていた。
去年起きたウォーターゲート事件によりホワイトハウスが絡んでいることが判明し、議会で特別委員会が招集されている。
公約通りベトナム戦争を終結させ支持率を上げたニクソン大統領だったが、国内での情報漏洩などに嫌気が差し、また野党民主党のネガティブキャンペーンにニクソン本人が苛立っていた
そのため、民主党の動きを探るため、民主党本部が入るウォーターゲートビルに盗聴器を仕掛けさせた。
しかし、不法侵入とその指示がホワイトハウスから出ていたこと、捜査を妨害しようとしたことで批判が集まり、ニクソンは窮地に立たされている。
外交で成果を上げウォーターゲートを有耶無耶にしたいニクソンだったが、国民の関心はウォーターゲートに向かっていた。
「早晩、ニクソン政権は終わるだろうな」
交渉の席にオブザーバーとして参加していた佐久田は冷めた表情で会見を見ていた。
キャプテンが捜査妨害の証拠などが漏出するように、あるいはホワイトハウスが改修できないように工作をして事件を大きくしていた。
日本としてはアメリカと共にベトナムから撤退でき、アメリカに貸しを作った。
そして、アメリカに対して優位になる状況を作り出した
それで十分だった。
だからこそ、この滑稽な式典を笑って見ていられる。
「まあ、一応は平和になるか」
パリ協定は非常に大きな歴史的成果だった。
この功績により、交渉にあたったキッシンジャーと北ベトナム特使レ・ドゥク・トゥは年末にノーベル平和賞を受賞した。
しかし、レ・ドゥク・トゥはベトナムに平和が訪れていないことを理由に受賞を辞退した
本心ではアメリカが爆撃して無理やり和平に持ち込んだことを無視して、平和をもたらしたとは言えないと抗議しているのかもしれない。
いずれにせよ、アメリカは恨みを買っている。
西側の盟主であるため時に強引さも必要だが、他国の顰蹙を買いすぎている。
「暫くアメリカは動けないだろうな」
ベトナム戦争の傷跡は深く、国民の厭戦気分、膨大な財政赤字、産業縮小による貿易赤字がアメリカを後退させる要因となっている。
ウォーターゲート事件でアメリカの政治中枢が混乱していることも大きい。
依然、強大な軍事力を有しているが、軍事力行使を命じられる部門が混乱していては有効活用できないだろう。
「日本は忙しくなるな」
アメリカが影響力を縮小するということは、日本の立場が相対的に高まることを意味する
既に東アジアでは中華民国より日本の方が影響力がある。
GNPも世界第二位に躍り出ており、安保理常任理事国となったため、国際社会での立場が大きくなっている。
「だが困難が続くな」
影響力が大きくなると言うことは、それだけついて回る責任や厄介ごとも増えるという意味だ。
日本にとっての正念場はこれからと言える。
分断した南北を統一する必要もあるが、北日本への干渉力がない。
満州と協力したいところだが、米ソ対立の中で下手に満州を西側へ引き込もうとすればベトナムのように長期の戦争になりかねない。
ソ連は国力を増強しつつあり、アメリカはベトナムの痛手が大きく、頼りにならない。
ここは我慢して、好機を狙うしかない。
「焦ってはならないが、決して好機は逃せない」
佐久田は自分に言い聞かせた。
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