ニクソン政権の状態

「ラインバッカーは順調なようだな」


 ワシントンの日本大使館の一角、駐在防衛官室の中でその男は呟いた。

 国防軍自衛隊から在外公館に赴任するときは、過去の失敗、相手先で独自の外交を行い、混乱を招いた。その結果、敗戦を導いたという外務省の論理により、全ての駐在防衛官は外務省へ出向し、指揮下に入ることになっている。

 だが、実態としては防衛官が独自に部屋を設け、統合作戦本部情報部へ直接報告している。

 このような体制を作り上げたのは、アメリカから「キャプテン」と呼ばれる対米情報担当官だった。

 初代駐在官として赴任後、米国内に情報網を設け、対米工作の基盤を整えた。それが終わるとすぐに帰国し、二代目に引き継いだ。

 キャプテンは役職名であり、既に代替わりしていた。

 しかし、今のキャプテンもかつての大戦でソロモン方面において諜報工作を担った最後の世代であり、地獄を生き抜いた手練れだった。

 それでも物腰の穏やかな態度は、CIAやFBIの信頼を得ていた。だが、祖国日本のためであれば、たとえ隣国アメリカであろうと工作活動を行うのだった。


「だが北ベトナムが交渉の席に着かないから、作戦は続行か」


 ホワイトハウスと統合参謀会議とのやりとりを記録した報告書を読んだ後、焼き捨てた。

 持っていたら危険だし、全て記憶していた。


「で、ニクソン政権の支持率や行動は?」


「ニクソン政権には、現状問題となるような点はありません。東アジア訪問は成功し、金との交換停止により経済は上向いています。ベトナムでもラインバッカー作戦が成功しつつあり、撤収も順調に進んでいます」


 報告する分析官は、極東戦争からの入隊者だが、熾烈な情報戦を生き抜き、抜擢されたエキスパートだ。


「国民の支持率も上々で、問題は無いようです」


 情報分析能力は的確で、72年5月時点でニクソン政権の運営は盤石。この年の大統領選挙でも再選が確実視されている。

 しかし、キャプテンはそこに疑問を浮かべた。


「確かに全体を見れば順調だ。だが、ニクソン本人はどうかな」


「と、言いますと」


「現実より自己評価が低い可能性がある」


「まさか」


「ペンタゴンペーパーの件を覚えているか?」


「はい、ベトナム戦争の分析報告です」


 70年に編纂された報告書で、第二次大戦後から60年代後半までのアメリカによるベトナムへの介入とその成果についての報告書だった。

 当初は機密文書だったが、マスコミに暴露された。


「議会でも記録に残っている」


 外交委員会で読み上げられようとしたが、ニクソン政権は与党を動かし委員会の議員を欠席させることで定数を満たせず、委員会は中止。

 公式記録は阻止されたかと思われた。だが、土木・公共工事委員会で、ベトナム戦争の影響による公共事業の削減と施設の老朽化の証拠として読み上げられ、公式に記録に残った。


「特に問題のない報告書だったからそのまま出したが」


 ペンタゴンペーパーの漏洩は、早い段階でキャプテンがキャッチし、原文を手に入れていた。だが、分析を終えるとそのままマスコミの元に戻した。

 これまでの事実のまとめであり、軍事機密は少ない。


「君は情報漏洩があって、黙っていられるか?」


「怒り狂いますね」


 相手に自分たちの持っている情報が知られないよう、どのような考えを持っているかが漏れないように、情報漏洩には細心の注意を払っている。

 そんな中、どこかの馬鹿がつまらないミスでご破算にしたときは、怒り狂った。

 だが今では、情報漏洩はどんなに隠してもいずれ起こる、当然の出来事だと考えている。


「ニクソンはそう考えているかな? 自分の政策が暴露されて、冷静でいられるかどうか。特に野党民主党から追及を受けることになれば、頭にくるだろう」


 ペンタゴンペーパーも歴代政権の政策批判などはなく、事実を書いただけだ。だが、自らの成績表のようにニクソンは感じただろう。


「それ以上に、ホワイトハウス内の情報管理体制が問われる事態になるだろう。選挙戦で相手陣営に情報が漏れて、命取りになりかねない」


「では」


「ホワイトハウス、特にニクソンの選挙本部の動きを探れ。変な動きを見せたら報告しろ」


「了解」


 早速、ニクソンの選挙本部、ニクソン大統領再選委員会に工作員を送り込み、協力者を確保した。

 人員の出入りを確認する。そして意外な事実を見つけた。


「警備主任など、元CIA局員が多数います」


「情報収集を行うなら、不思議ではないだろう」


「しかし、彼らの動きですが、盗聴器などの準備をしています。どこかに侵入しようとしている模様です」


「どこに入る気だ……」


 そこまで言って、キャプテンは思いついた。


「敵対陣営、民主党か」


「どうしますか。通報しますか」


「致命傷にはならないし、下手に通報してこちらの身元がばれるのもまずい。それに、信用されることはないだろう」


 暫しキャプテンは考えた後、言った。


「盗聴器に細工はできるか? 例えば、仕掛けた後、故障して通信不能にするとか」


「できますが」


「盗聴器を仕掛けて再侵入したところをFBIに通報して抑えるぞ」


「うまくいきますかね」


「アメリカ国内で油断しているようだ。ヘマをしでかすはず。そこを狙う。もちろん、我々が手を貸したことがばれないように注意しろ」


「もちろんです」


 分析官は指示を出すために部屋を離れた。


「大急ぎでやってくれるだろうが、間に合わないだろう」


 間もなく日米で交渉が始まる。

 しかし、鋼枠は間に合わずニクソン、アメリカの要求を断ることは出来ない。

 上手く乗り切れることを祈るしかない。

 

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