ブレトンウッズ体制の欠点
固定為替制度は、通貨同士の交換を簡単にしたおかげで、確かに自由で活発な貿易をもたらした。
だが、通貨の交換比率は、大戦直後、主要国の国力が衰退した時の相場だ。
戦後復興を成し遂げ、国力が回復すると、アメリカにとって不利な比率になってきた。
例えば日本は一ドル三六〇円と規定され、1950年日本の大学新卒の初任給は一万程。
アメリカの大卒初任給は三〇〇ドル程。日本円で十万円を超す。
当然、日本人が海外製品を買うには価格が高すぎて買えない。
このレートは日本に非常に不利に見えるが、逆に日本から輸出する場合は非常に安く設定できる。
日本で作った衣類を持ち込み一〇ドルで売れば、三六〇〇円の売り上げ。大卒の初任給の三分の一が稼げる。
日本はアメリカに日本製品を輸出することで、大きな利益を得ていた。
アメリカも西側諸国に市場を提供する事で資本主義陣営を引き留める求心力としていた。
アメリカの消費者も格安で商品が手に入ることを喜び繁栄を享受した。
しかし、これはアメリカのドルが、海外へ流出していくことを、アメリカ国内のドルの減少、インフレ発生を意味する。
当初はアメリカも優秀な製品を輸出して貿易黒字を出してドルを回収していた。
しかし、レートによって割高なアメリカ製品を購入する人々は限られており、多少品質が悪いが割安な国産を購入する人が多かった。
一部の値段に見合う高性能な製品を除いて、あるいはアメリカ製品への憧れのみで購入するだけ。
これではアメリカは儲からない。
だが西側の盟主として西側諸国へ政府援助、軍事支援、借款など、政府系の海外への支出が多かった。
そしてその金額は貿易黒字分を上回っている状態。
対外支出でアメリカは常に赤字で、ドルの流出は続いた。
また、日本を初めとする貿易黒字国は稼いだドルを外貨保有に回し、アメリカへ還元しなかったため、ドルの流出は更に加速する。
五〇年代後半からアメリカの赤字は深刻になり、七〇年代はドルの準備金が一一一億ドル分にまで低下した。
当初こそ、アメリカはこの体制を維持するため、英国ポンドとフランスフランを切り上げたり、西ドイツマルクを切り下げたりして維持しようとした。
しかし、焼け石に水だった。
ベトナム戦争が始まると戦費支出が更に嵩み、赤字が拡大。
財政も戦費に圧迫されて社会保障が削減された。
ドルの海外への流出でインフレがアメリカ国内で発生しアメリカ国民の不満が増大した。
この経済的困窮もアメリカ国民がベトナム戦争終結を望む大きな要因となった。
当時大統領に就任したニクソンは、経済問題に対応する事になったが、71年にアメリカの貿易収支が、はじめて赤字となるほどアメリカは弱体化していた。
既に各国の金準備の総計はアメリカの金準備を上回っており、経済的にアメリカは覇者でなくなった。
日本でも七〇年末で外貨準備が四四億ドル。七一年七月末で七九億ドル。
発表前日のドル買いは一日で一億ドルにも達していた。
この状況で八月にはフランスと英国がアメリカに対して三〇億ドルの金の交換を要求。
金の保有が一一一億ドル程度となったアメリカ政府は到底支払うことは出来ない。
支払えば、ドルの金本位は崩壊する。
以上の理由により金によるドルの通貨体制維持が困難と判断したニクソンはドルと金の兌換を停止――金本位の放棄する決断をする。
ニクソンが一五日夜に発表したのは、欧州各国の外国為替市場が開いていないが、日本の東京市場が開いている時間を狙っての事だった。
市場が開いているとき、この報道がなされれば、ドルは一気に売られ、混乱する。
「日本にはペナルティが必要だ」
選挙公約で日本との間に繊維協定を結ぶと公約したニクソンの声に日本が応えなかった。
ニクソンはこのことで日本を恨み、有権者の心を繋ぎとめるため、アメリカ南部の繊維産業の支持を得るため、日本を混乱させようと、わざと東京市場が開いている時を狙った。
ニクソンの目論見は当たり、九時に開いた東京市場は一〇時に発表された声明によりドル売りが殺到。
日銀はドル買いに走る羽目となった。
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