ヘンリー・キッシンジャー
ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー。
ドイツのユダヤ系中流階級に生まれる。
幸せな少年時代を過ごしていたが、ナチ党の台頭によりユダヤ人排斥が厳しくなったため身の危険を感じた一家は38年に渡米し移住、43年に帰化。
なお、親族はナチに殺害されたとされる。
ヘンリー自身は髭剃り用ブラシ工場で働きながらジョージ・ワシントン高校を卒業。
卒業後、ニューヨーク市立大学へ進み働きながら学び、会計学で優秀な成績を収めた。
だが第二次大戦が始まると、大学在学中の43年に陸軍に入り従軍。
終戦後、47年に復員するとハーバード大学へ進み政治史を学ぶ。
大学院に進むと外交史、一九世紀の大国外交についての論文をいくつも発表し、修士、博士号を取得し注目を集める。
その後も積極的に外交上の提言を発表し続ける。
キッシンジャーの思考は現実主義、国々の力の均衡だった。
そのため論文は具体的で的確であり、政界からも助言を求められるようになる。
やがて実力を認められたキッシンジャーは、大統領選挙に出馬したネルソン・ロックフェラーの外交政策顧問として参加。
ロックフェラーに外交的なアドバイスを与え、選挙戦を支えた。
残念ながらロックフェラーは、60年、64年、68年と出馬したが予備選で落選した。
だが、選挙戦での的確な外交の助言は共和党内に知れ渡り、キッシンジャーの名は広く知られるようになった。
そして68年の大統領選で勝利したニクソン大統領は、就任直後にキッシンジャーをホワイトハウスに招き入れた。
キッシンジャーは安全保障特別補佐官として辣腕を振るい、法律と規則のアクロバティックな運用でアメリカの外交と軍事を事実上、手中に収めている人物だ。
これから歴史に残る活躍をする人物だが、現時点でも十分に力を持った超人といえた。
「しかし、どうしてアメリカ大統領の補佐官が私達に話しかけてきたのでしょうか?」
もし日本と交渉するなら、日本の東京かワシントンで行えば良い。
外国、それも半ば独立しているとはいえ、東側陣営の一員である満州帝国の中心で話す必要は無い。
そして、佐久田を呼び出した理由を聞きたかった。
「なに、満州国の皇帝が亡くなりましたから」
「ご丁寧なことで」
弔問外交はある。
だが、万人平等を訴える東側での弔問は非常に珍しい。
ルーマニア、ハンガリーなどは王国だったが、ソ連の占領下で王政が廃止され、共和国となった。
ソ連と戦い講和を勝ち取ったため対等な立場を得た満州帝国は、東側では特異な国だった。
東側はもちろん、西側とも交流がある。
君主制を維持しているため、西欧で君主制の残っている国々と良好な外交関係を維持しており、東西両陣営にとって貴重な外交チャンネルとなっている。
「弔問に立ち寄った、ついでです」
キッシンジャーは臆面もなく答えた。
溥儀が亡くなった機会に、相対する陣営の国々と外交チャンネルを作ろうと、東西から多数の外交官が弔問目的でやってきていた。
当然国家元首クラスだ。
さすがに警備上の問題からニクソン本人は来ていないが、副大統領が来ている。
その随員の一員としてキッシンジャーも来ていた。
実際の外交担当者、特使がキッシンジャーであることを各国が認識している。
佐久田もキッシンジャーがキーパーソンだと認識し、動向を探っていたが、まさか呼ばれて交渉を持ち掛けられるとは予想外だった。
驚いたが同時に好機でもある。
キッシンジャーの内心を探るため、佐久田は尋ねた。
「そのついでとは?」
<ついで>が本題である事は佐久田も理解していた。
キッシンジャーは先ほどより饒舌になり、<ついで>――本題を話し始めた。
「日本に、ご協力を願いたいからです」
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