警備一課長 佐々敦行

「なんでこうなったんだ」


 背広にヘルメットを被った佐々敦之は、自分の職分の変化に戸惑わずにはいられなかった。

 香港領事を終え、警視庁に戻った。

 当初、内示で公安部外事一課を提示されていた。

 外事一課は在日公館との折衝と欧米およびソ連を相手にする部署。

 在外公館で領事を務め、情報活動に活躍した佐々には適任だったし、自分と知見を生かせると考えていた。

 いや、これもかなり異例の人事だ。

 三年もの間、警察を離れ、外交官をやっていたら浦島太郎状態になる。

 警察官の勘を取り戻すため警察大学校の教官などをして挨拶回りという情報収集を行ってから現場に復帰する。

 だが佐々は帰朝後、挨拶回りで警視庁を訪れた時、受付で待ち構えていた同僚に有無を言わせず総監室に移送。

 待ち構えていた秦野警視総監から警備部警備一課長になるよう命令された。

 警備一課は警備課から独立したばかりで、警備部傘下の機動隊の司令部として警備実施を行う新設部署。

 現在警視庁、日本はベトナム戦争反対のデモが過激化しており、その対処に追われている。

 従来の警備課では処理能力が不足し、新たに警備実施を行う一課、訓練計画を立てる二課に分け、一課の初代課長に佐々が選ばれた。

 何故選ばれたのか不明だったが、香港暴動の報告書と提言が秦野総監の目に留まれ読まれ佐々ならと見込まれたらしい。

 警察官とはいえ官僚であり、特に上級職になると無難に済ませようとする人間が多い。

 そんな中、秦野総監は武闘派として有名で、デモに対して断固とした方針を打ち出した。

 そして実現するべく、有能な人間を警視庁に集めていた。

 佐々が呼ばれて、異例の人事を命じられたのもその一環だ。

 命令なので受け入れたが、佐々としては帰ってきていきなりの命令だし、警備部、機動隊の現状は悲惨だ。

 デモ隊相手に警棒のみしか使用していないため、機動隊の半数が負傷。

 自分の着任の挨拶に来た機動隊長の半分以上が包帯姿だ。

 デモ隊の脅威に対して機動隊にも自動小銃なども配備されていた。

 だが、デモ隊に死傷者が出てマスコミから非難を浴び、政府の支持率が低下。

 国民に銃を向けるとは何事か! という真っ当な意見のために使用禁止になった。


 もはや大戦後ではない。


 大戦直後の混乱期、武装強盗や左翼の武装組織、一歩譲って安保闘争の火炎瓶を使った暴動ならともかく、一般人のデモに銃器の使用など内戦と変わらない。

 治安警察機構の特機隊は相変わらず、武力至上主義だが、世間の反発は大きく、解体、廃止論が出ている。

 北海道方面のDMZ付近の武装ゲリラ対処に必要とされているが、首都の警備には過剰すぎる。

 死傷者も多く、非難の的だ。

 だがデモは抑えなければならない。

 デモ隊にも機動隊にも死傷者を出さず鎮圧し、政府への支持率低下を低減するため、香港警察の鎮圧方法を学び実地で見た佐々が機動隊の総指揮を執ることになった理由はそこだった。


「分かりました。ですが、私の要求を受けて入れ貰います」


 外野であれこれ言うより、自ら最前線に立って治安を守る為に活動した方が良い、と佐々は考え任命を受け入れた。

 同時に自分に任せるからには、必要な物を揃えるよう要求した。

 催涙弾の大量使用。

 機動隊員を守る為、身体をスッポリと隠す大盾の配備。

 デモ隊を押し返すための放水車の配備。

 鎮圧作戦、戦術の変更と訓練。

 本部に若手警察官の配属などだ。

 命じた前、秦野は全ての要求を受け入れた。

 むしろ、新しい作戦に対する部下達の意識改革が重要だった。

 警官として一歩も退かないという精神で立ち向かっていたため、雲霞の如きデモ隊の前に消耗してしまっていた。

 勢いのあるデモ隊に突っ込んだら怪我をするのは当たり前。

 後退を戦術に含めた。

 だが、部下達は「逃げるようなことなど出来ません」と言って反対した。

 退かない頑強な警視庁機動隊員、というプライドと裏打ちされた実力が彼等を支えてきた。

 だが、損害を大きくしていた。

 それでも佐々も退かなかった。

 大盾を背中に背負い、後ろに向かって行く訓練も反対を受けながらも実行させた。

 戦術面も、全部隊を投入するのではなく、最精鋭であり筆頭部隊の「旗本」「近衛」の異名を持つ第一機動隊を予備として手元に置くことにした。

 だが、激戦をくぐり抜け、警視庁機動隊の頭号部隊である第一機動隊は前線から外された事に第一機動隊隊長――通常の機動隊隊長は警視だが、第一機動隊長のみ全機動隊の先任となるよう警視正が任命される――は不満を持って佐々の上司である警備部長に襟首掴んで抗議するほどだった。

 だが佐々は


「予備がいるからこそ、それも頼りになる奴がいるからこそ安心して前方に向かっていける。それには実力のある第二機動隊でなければならない。ナポレオン軍の老親衛隊のように士気も練度も高く、肝が据わった部隊にしか出来ない。特に、後のない予備、投入されれば必ず任務を達成する部隊でなければならないんだ」


 佐々の言葉に、第一機動隊は、渋々納得して受け入れた。

 そうした準備を整え、訓練を暫く続けて満を持して投入しようとした。

 だがデモ隊の動きは素早く、市ヶ谷に殺到。

 出動が命じられ、佐々は出て行くしかなかった。


「まあ、出来る限りの事はした。あとは天に託すだけだ」

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