馬事公苑
「うむ、素晴らしい陽気だな」
東京の郊外、用賀近くの馬事公苑に来たパットンは満足げに話した。
「ウィリアム、あとは大丈夫だ。下がっていろ」
「はっ! 閣下!」
一三年仕えてくれている従兵、ウィリアム・ミークス先任曹長に伝えると、ウィリアムは万事心得ましたとばかりに下がった。
必要な事は既にウィリアムが全て終えていた。
だからこそパットンは気持ちよく過ごせたし、愛馬フェバリット・アフリカも馬具を付けられたにもかかわらずご機嫌だ。
パットンが跨がると、フェバリット・アフリカは嬉しそうにいななく。
「よしよし」
愛馬の様子、走りたくてうずうずしている仕草、ウィリアムの手配で十分な餌を与えられ良好な環境を整えられ馬本来の本能、走りたいという気持ちが強まっている。
蹄を鳴らしているようすでフェバリット・アフリカが絶好調だとパットンは読み取る。
近代五種の選手として五輪に参加したこともあるパットンは乗馬も得意だ。
尚武の気風溢れるバージニアの上流階級で育ったこともあり、馬術は幼い頃から習っており得意だ。
だから、愛馬の仕草から調子が分かる。
「さあ、行こうか栗林」
「ええ」
乗馬を楽しもうと誘った栗林も同意して、自らの愛馬に続いて跨がる。
そして揃って馬事公苑の中を走らせる。
二人の共は、西だけだ。
フェバリット・アフリカはオーストリアで畜養された事もあり、素晴らしい走りを見せた。
都心から離れた郊外の静かな場所ということもあり、彼等の馬の蹄の音しか響かず、全てを馬の走りに集中できた。
「かなりの良い状態だ」
お陰でパットンはご機嫌だった。
久方ぶりに爽快な気分にパットンは笑みを浮かべる。
「良い気分だ。戦地に赴く前に素晴らしい気分になった」
満州軍及び共産中国の援軍が乱入し、朝鮮半島は国連軍優勢から混乱状態に転落した。
朝鮮半島西側を進んでいた第八軍右翼の韓国軍が崩壊。
第八軍司令官ウォーカーは撤退を命じた。
パットンは怒ってはいない。
むしろこの混乱の中、撤退させたのは彼が優秀だからだ。
非難するべきは無謀な突出を行った韓国軍のせいだ。
統制できなかったことは減点だが、傷口を広げずに済ませた。
機動反撃を行いたいところだが、山がちな朝鮮半島では山脈に囲まれて無理だ。
撤退を決断し、味方を見捨てることなく、軍の崩壊を防ぎ、秩序だって後退しさせたウォーカーは優れている。
その手腕は見事でパットンは自らウォーカーに電話をして褒めたくらいだ。
極東陸軍最高司令官として十分な働き、部下の行動を的確に評価し褒め称える事をパットンは行った。
だが、その程度で収まるパットンではない。
「やはり戦地に赴きますか」
「ああ、行かなくてはならない。GHQからも命じられている」
栗林の言葉にパットンは頷いた。
「半島西側の戦線が危ういですからね」
「いや、危険なのは東側だ」
「反転攻勢は行わないのですか?」
「西から攻撃を仕掛けても補給が足りない。攻撃は失敗するだろう」
朝鮮半島西側にまともな港湾施設はなく補給は遙か南の釜山から送られてきている。
仁川も陸揚港だが、干満の差が大きすぎて不十分だ。
補給がなければ、軍隊がまともに動けないことはヨーロッパ戦線、四四年の夏から秋にかけてのフランスでの進撃で補給線が延びきって困った事で経験している。
同じ失敗を繰り返すことはパットンはしなかった。
「ならば連中が攻撃を仕掛けてくるであろう東側で待ち構える」
「攻勢の兆候はないと聞いていますが」
「これから起こるだろう。半島西側の共産主義者共の攻勢は限界だ。国境、攻撃発起点から限界まで進んだ」
攻撃を仕掛けても最前線を進むのは歩く兵隊だ。
いかに満州国の工業力が優れていてもトラックが十分にあるはずがない。
合衆国でさえ用意できないし、道路が陥没していたり、橋などが落ちていたら、トラック降りて先に進まなければならない。
はじめて共産中国軍と戦うが、敵も人間だ。
主義主張が違っても限界は似たような範囲に収まる。
攻撃を続けた部隊は、既に体力的に限界のハズだ。
「敵の攻勢限界に合わせて第八軍に反転攻勢を行わせますか?」
栗林の意見は軍事的に妥当だ。
敵が疲れ切った所へ反撃を仕掛けるのは、軍事的に当然のことだ。
しかしパットンは首を横に振った。
「必要とあらばウォーカーは行うだろう。だが、補給が足りない。攻勢限界に達しても共産軍の防備は固いだろう。準備不足のまま攻撃しても跳ね返されるだけだ」
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