北の反攻の影響

「してやられたようですね」


 11月に入り部隊の再編成の為、東京の越中島に戻っていた佐久田は共産軍の反転攻勢と国連軍の後退を聞いて呟いた。


「まさか、満州軍まで参戦するとは」


「国連軍には予想外だったようだ」


「兵力の見積もりが甘いんですよ連中は。過大になりすぎて動かない時が多いですが、動く時は甘く見積もって返り討ちに遭うことが多い」


 ノルマンディー上陸作戦を慎重に進めたが、その後ドイツ軍の防御を舐めきって遅々として進まなかった。

 バルジの戦いでも、ドイツ軍の攻勢はないと判断して二線級の兵力しかおかず、進撃ゆるしてしまった。

 見積もりが甘く、しかも前提が間違っていた時の備えをしないのが米軍の悪いところだ。

 そこに大戦中は付け入らせてもらったが、味方となると脚を引っ張られてしまいウンザリする。


「だが、こちらもしてやられている。稚内で反撃がおこなわれているのだからな」


 手落ちに関しては佐久田も同様だった。

 厳重な封鎖線を突破されて稚内に増援を送られ北日本軍の反撃が始まっていた。


 稚内の固い防備の前に、国連軍、佐久田は封鎖による封じ込めに作戦を転換した。

 北日本軍の策源地である稚内だが、空爆などにより十分な備蓄がない、また市民への食糧供給が必要なため余裕はないと判断し兵糧攻めを計画巣した。

 実際、食糧の備蓄は少なく、物資の追加がなければ11月には降伏以外手段がなくなるとされていた。

 そこで樺太の北日本軍は稚内救援作戦を立案しソ連と秘密の協力を取り付け、実行に移された。

 十月下旬、ウラジオストックより東側陣営の国に向け援助物資を載せた商船団が出港した。

 彼等は国際法に基づき、宗谷海峡の自由航行を求め、まっすぐ進んだ。

 国連軍としては、ソ連を刺激したくないため、稚内や樺太への入港が行われないことから通行を許可した。

 しかし、宗谷海峡を通過したところで、船団の一隻が故障し、大泊へ修理のために向かった。

 そして船団も守るように大泊に入港した。

 国連は北日本への武器援助を警戒し抗議したが、国連軍の攻撃に対する警戒の為、誤射の可能性が高くなる単独航行させられず船団航行が必要と突っぱねて、無視した。

 国連軍もそれ以上は言えず黙認した。

 勿論、領海外から偵察機により船団の動向を、北日本への荷揚げが行われていないか確認していたが、その活動はなく、夕方頃には修理が完了し真夜中に出港するとの通達を受け警戒を解いていた。

 だが、真実は違った。

 荷揚げなど必要は無かった。

 故障が修理され出港直前、船団に陸上から押し寄せた多数のボートが乗り付け、襲撃を行った。

 船内からも多数の武装した勢力が現れ、船団の乗員達は抵抗せず拘束され、ボートに押し込められ船団は乗っ取られた。

 そして船団は出港予定時刻になり船団を出港させた。

 しかし、針路は稚内だった。

 襲撃したのは北日本軍の、特殊部隊と陸上部隊だった。

 船団を乗っ取った彼等は、未明に稚内の封鎖線に到達した。

 警戒していた国連軍は停船させようとしたが、掲げられたソ連国旗を見て対応に躊躇が生まれた。

 その隙に船団は強引に突破してしまった。

 やむなく攻撃する事を決断したが、巨大な水柱に阻まれた。

 修理を終え、大泊から出撃した武蔵率いる北日本艦隊の攻撃を受けたのだ。

完全な修理はなされていなかったが、封鎖線に張り付く巡洋艦や駆逐艦を蹴散らすには十分だった。

 混乱したところへ、タシュケント、ヴェールヌイなどの水雷戦隊が突入し、封鎖線を破壊。

 船団を稚内へ入港させてしまった。

 国連軍は直ちに入港した船団に攻撃を仕掛けるべく、機動部隊の艦載機を放ったが、船団の積み荷、対空砲を配置した北日本の激しい迎撃の前に近づけなかった。

 船団は東側友好国への援助物資、武器弾薬食糧が満載されていた。

 その物資が稚内に陸揚げされてしまった。


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