関東治安警察

 太平洋戦争直後、GHQは日本の帝国主義を破壊し民主化を進めるため、権力機関の解体を行った。

 特に特別高等警察、通称特高をはじめとする抑圧組織を有する内務省警保局は思想統制を行っていた戦犯として解体された。

 そして、民主主義、地域への警察力移行を進め、アメリカの警察制度を真似た市町村警察、各市町村に警察組織を運営させ、地域住民の手で活動させようとした。

 だが失敗した。

 広大なアメリカの郡とは違い、狭い日本、しかも鉄道の発達で移動時間が短くなり、一日で余所の市町村へ行ける、管轄を横断出来る状況は警察力を過度に分散させ、捜査力を低下させた。

 例えば横浜市で犯罪を犯した犯人を横浜市警が追っても、犯人が川崎へ逃亡して仕舞ったら、そこは川崎市警の管轄。

 横浜市警は追えず、川崎市警と協議して捜査依頼をする必要が出てくるのだ。


 日本全土で同様な事がおこっており、犯罪を許し治安悪化の原因となった。

 こんなことをしていてはとても犯人など逮捕できない。

 また、警察力の分散は各警察の縄張り意識を増長させ、連携する意識を低下させ、一種の封建国家のような形になり、国家の統制から外れる自体を生み出した。

 具体的には大阪府の警察が、非公式ながら大阪警視庁を名乗り、東京と対立した事などが象徴だ。

 このような状況ではとても警察力は確保出来ず、治安は悪化する。

 GHQも失敗を認めざるを得ず、極東戦争前、南日本は自治体警察の失敗から都道府県警察へ移行した。

 それでも、かつての国家警察となることを嫌がる政府内の声があった。

 だが、警察の能力不足、特に市町村単位で作られる警察の管轄の乱立は捜査活動の低下をもたらした事実を前に統合はやむを得なかった。

 また一度乱れた治安は戦前の警察でも立て直すことも難しかった。

 しかも旧軍の武装解除のドサクサに紛れて社会に流れ込んだ武器、半島系住民の暴力事件が頻発する。

 特に悩みとなったのは北日本の成立により北日本の工作組織より共産系組織への武器援助による共産系の過激活動、特に徳田指揮下の中核自衛隊、山村工作隊は脅威だった。

 小銃、機関銃は勿論、大口径機関砲さえ所持する彼等相手には警棒程度の武装ではとても制圧できず警察の執行能力の強化が求められた。

 だが、警察は戦前の弾圧による不信感からこれ以上の武力を与える事に人々の不安があった。

 新たに編成された警察予備隊も、北からの侵攻に備えるための公然とした軍組織であり、治安維持活動に使う事は躊躇われた。

 そして警察予備隊自身も、戦前の反省から、国民に武器を向ける事を拒否していた。

 そのため、日本政府は都道府県警察でも警察予備隊でもない第三の武装勢力を作り、権力の集中を防ぎ、警察と軍を牽制しようとした。

 それが、関東治安警察警備部特別機動隊だ。

 いわば戦後の混乱が生み出した忌み子のような存在だ。

 その装備も異様だった。

 当初は米軍装備を流用しようと考えたが、北の脅威を前に警察予備隊が優先された。

 旧日本軍装備の使用も考えられたが、大半が接収済みなうえ、反軍感情が高い時期だったため旧軍を連想する装備の使用は躊躇われた。

 また、創設者が沖縄戦経験者であり火力第一主義、前衛の隊員は全て機銃を装備させるべき、と唱えた事もあり、全員に軽機関銃を装備させようとしたことも異常だった。

 反動が酷い事になると想像されたが、小銃弾さえ防ぐ防具を身につけ、その重量で反動を吸収するという荒技で解決させてしまう事になった。

 だが現物が、機銃がないことにはどうしようもない。

 幾ら米軍でも第二次大戦の武器が余っているとはいえ、警察に機銃を渡すことはなかった。

 そんな時、書類の手違いにより接収を免れた旧日本軍の倉庫にあった中華民国軍の鹵獲品、ドイツの軍事援助で国民党軍が手に入れたドイツ国防軍の装備品が手に入った。

 鹵獲品のため正式装備ではなく接収対象から漏れていたのだ。

 その中には千丁にのぼるM34機銃も含まれていた。

 軍隊に与えるには少量でも、警察、一個大隊三〇〇名に支給するには十分な量だった。

 米軍もパットンのツテで旧ドイツ軍の弾薬を手配して送り届けたこともあり、編成における装備と執行による弾薬消耗には十分対処できた。

 こうしてドイツの装備を身につけた日本の国家警察武装部隊が編成された。

 十分な訓練、錬成期間を経て始まった彼等の執行活動は、予想を上回る成果を上げる。

 旧ドイツ国防軍に似た制服に身を包み、その上から防弾装備装着しM34機銃を握りしめ制圧する彼等は、これまでの警察を越える圧倒的な攻撃力を見せた。

 北千住での武器工場の摘発、中核自衛隊のアジト制圧など、凶悪な事件を持ち前の武装で制圧する様は、市民達から当初熱狂的な支持を受けた。

 特に入り組んだ下町、戦後復興の目玉として建設が進んだ巨大地下共同溝での制圧に関しては他に並ぶ者がいなかった。

 あまりの強さに共産党が過剰な暴力と言って解体を主張したが、それだけ力があった証明であり、共産党の武力闘争を断念させ、徳田を北へ亡命させる原因となる。

 しかし、過剰な装備は時と共に反発を受けて、創設から一年ほどで解体論が政府内に浮上する事になる。

 だが戦争勃発、稚内攻防戦は彼等に新たな戦場を用意した。

 地下陣地の制圧に手間取った佐久田が、狭い地下構での戦闘になれた特機隊を投入する事にしたのだ。

 西南戦争の抜刀隊以来の警察の実戦投入であり、権力争いでライバル関係にある警察に対する貸しとなるので、当初は候補に入れながらも投入は止めたい。

 しかし、実戦経験という点で特機隊は警察予備隊を圧倒していた。

 佐久田もその点を買って、改めて投入を依頼した。

 その証拠に、彼等の地下陣地攻略では非常に素晴らしい動きを見せた。

 ツーマンセル二個の四人チームで全周囲を警戒しつつ火力を発揮する彼等は凄まじい戦いぶりを見せた。

 だが全体の防御力は北日本軍が上回った。

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